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第26話

「おじしゃま~」  煜瑾がニコニコと手を振った相手は、思わぬことに、申玄紀の父である申軒撰(しん・けんせん)だった。 「これは…、申家のおじ様、ご無沙汰しております」  文維が戸惑いながらも、平静を装って挨拶すると、申軒撰も紳士らしく穏やかに会釈をしてくれた。 「まあ、申軒撰!奥様はお変わりなく?」  実は政府高官の令嬢同士、申軒撰の妻と、恭安楽は幼馴染なのだ。北京育ちの2人だが、お互いに上海人の夫を持つことになり居を移した。一方は、有名食品メーカーで裕福な申家の夫人となり、他方は、身分違いとまで言われた、庶民出身の年の離れた一介の大学教員だったため、自然と住む世界が変わってしまい、いつしか交流もなくなっていた。  だが、夫である包伯言が国家を代表する研究者と認められ、神童と呼ばれた息子の包文維が上海でも一番と言われるほどのカウンセラーとして成功すると、思わぬところで接点が出来るようになり、最近では時折、申夫人と包夫人がお茶やランチで同席している姿を上海のあちこちで観られるようになった。 「申家のおじ様、玄紀は…?」  言い知れない不安を感じながらも、文維は玄紀の父に訊ねてみた。 「ああ、あの子なら、そこにいるよ…」  そう言って申氏が指さした先には、高級なベビーカーの中で、幼い玄紀が眠っていた。 「この子は、私がいないとダメなんでねえ」 「え?」  文維が知る申軒撰と言う人間は、家庭も省みず仕事一筋で、国を代表するサッカー選手である息子をも認めず、ようやく広告塔として利用できるほど名前が広まって初めて玄紀を公式に息子として認めたほどだ。  そんな申軒撰が、小さな玄紀を連れて子煩悩な父親を演じているとは、文維には違和感しかない。 (ココに…、何かある)  そう文維は確信した。 「今年は、煜瑾も包家で過ごすのですか」  にこやかに申氏が訊ねる。いつも仕事に追われ、厳しい顔をした申氏しか知らない文維には、それも驚きしかない。  申家と、煜瑾の実家である唐家は、共に早くから上海の富裕層として名を知られ、交流もある。申氏は実際にこのくらいの小さな煜瑾を知っているのだ。 「そうなのよ。だって私は煜瑾ちゃんの『お母さま』だもの」  恭安楽はそう言って、白くツヤツヤした丸い煜瑾の頬に掌を伸ばした。 「おかあしゃま~。煜瑾は、おかあしゃまが大しゅきなのでしゅ~」  頬を撫でられた煜瑾も、嬉しそうに微笑んでいる。 「申家のおじ様も、新年のお買い物ですか?」  なぜ一流企業の社長である申軒撰が、小さな子供を連れて大型スーパーをウロウロしているのか、文維には想像も出来ない。いつもなら国内ブランドの最上級品をビシッと着こなしている申氏が、セーターに暖かそうなウールのハーフオーバーを着ている。さらにボトムはデニムとスニーカーだ。いかにも、子守をしている休日の父親、という姿だった。 「いや、玄紀が退屈だろうから連れ出したのだけれど、どこへ行っても寒いからね、ここで市場調査を兼ねているんだ」  やはり、申軒撰は仕事の鬼だ。玄紀と一緒に自社商品のチェックをしているらしい。 「あら、じゃあ一緒にお昼はいかが?子供たちは一緒に遊べて喜ぶだろうし、包伯言が食事の支度をして待っているの。たまには庶民の家庭的な味も体験すべきだわ」  恭安楽がそう言い出したことで、文維はこの親子から何かを掴めるチャンスだと思った。 「…パ、…パ…」  その時、玄紀がベビーカーの中で目を覚ました。 「玄紀~おはよう~」  天使の笑顔で煜瑾が声を掛けると、玄紀がキョトンとして周囲を見回した。 「パパ~」 「パパはここですよ、玄紀」  あの「申軒撰」が相好を崩して玄紀を抱き上げた。 「玄紀も目を覚ましたことだし、ぜひ、我が家で一緒にお食事を」  ここぞとばかりに文維は申親子を除夕の昼食に誘った。

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