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第33話

 続く父の怒号に、文維はハッとした。 「貴様というヤツは、すでに煜瑾を手なずけていたのか!なんと下劣な!」 「出て行って!今すぐウチから出て行って!」  包伯言の憤怒の表情と恭安楽の悲鳴に、文維は動けなくなり、煜瑾は混乱してしまう。 「文維おにいちゃま!…おかあしゃま、どうなさったの?文維おにいちゃまでしゅよ?文維おにいちゃまがお分かりにならないの?」  母の腕をしっかりと掴み、煜瑾はなんとか文維を思い出してもらおうと、涙ながらに母に訴えるが、煜瑾の動揺が恭安楽には伝わらないようだ。 「かわいそうな煜瑾ちゃん。この人に丸め込まれたのね。何かされたりしていないでしょうね」 「ここから出て行け!今すぐに私の家から出て、二度と煜瑾に近付くな!」  誰よりも信頼できるはずの両親に責め立てられ、文維は呆然として返す言葉もない。 「文維おにいちゃま~!おとうしゃま、どうして文維おにいちゃまが分からないのでしゅか?」  煜瑾の泣き声()じりの訴えを、今は誰も聞こうとはしない。それでも煜瑾は必死で文維を守ろうと、しっかりと抱き止める恭安楽の腕を振り払おうとしていた。 「ダメでしゅ!文維おにいちゃま、行ってはダメ!お願い、おかあしゃま、文維おにいちゃまを苛めないで!」  包夫妻は、煜瑾がすっかり不審者に洗脳されたものだと思い込み、これ以上は無いほど文維を憎々し気に睨みつけている。 「まだ出て行かないなら、今すぐに警察を呼ぶぞ」  包教授が文維に近付いたかと思うと、玄関のドアに向かって、その力強い腕で突き飛ばした。まさか父親からこのような乱暴をされるとは想像もしていなかった文維は、そのままヨロヨロとドアにぶつかってしまう。 「いや~、文維おにいちゃま~行かないで~」 「煜瑾!」  確かに目の前の煜瑾は幼い。けれど、その実は深く愛し合う者同士なのだ。引き離される悲しみと痛みを2人は共有していた。  手を伸ばそうとする文維の襟首を掴むようにして、包教授は玄関のドアの外へと押し出す。    その様子に、煜瑾は美しい黒い瞳を潤ませ、白くまろやかな頬を濡らし、悲痛な声を上げて嘆いた。 「イヤでしゅ~っ!文維おにいちゃま~、煜瑾を置いて行かないで~!」 「煜瑾!必ず迎えに来ます!必ず、君を!」 「いい加減にしないか!」  文維の言葉にカッとなった包教授が、渾身の力で文維をドアの外に押し出した瞬間、文維はまたも(まばゆ)い光に包まれ、目の前が真っ白になった。 「いや~!文維、行かないで!私を1人にしないで下さい!」  遠くから、煜瑾の声が聞こえた。  その声に、文維もまたその頬に一筋の涙が落ちたのだった。 ***  リゾート開発も進む、宝山(ほうざん)地区にある広大な敷地を有する唐家の洋館で、唐煜瓔(とう・いくえい)は目覚めた。これほど気持ちの良い朝を迎えたのは久しぶりだ。  ベッドから出ると、高級なシルクのガウンを羽織り、室内履きに足を通すと、唐煜瓔は寝室を出た。  主人は南面すべし、とばかりに、屋敷の北側にある当主の主寝室から真っ直ぐに南へ向かう。屋敷内の一番日当たりの良い、明るく、心地よい部屋には、この唐家のもっとも価値のある至宝が眠っているのだ。 「煜瑾?」  声を掛けながら、唐煜瓔は、あどけなく、無邪気な、幼い弟が眠る寝室のドアを開いた。  そこには特注させた天蓋付の大きなベッドが据えてある。まるでおとぎ話に出てくるような、立派な王子さまのベッドだ。 「煜瑾、おはよう。一緒に朝食を食べようね」  いつもであれば、目覚めの良い煜瑾は、声を掛ければすぐに、パッチリとその大きな目を開き、穢れを知らない純真な黒い瞳で、大好きな兄に微笑み掛けてくれるのだ。 「おはよう、煜瑾。今朝は、まだお(ねむ)さんなのかな?」 「……」 「煜瑾?」 「……」 「煜瑾!」  だが、今朝はどれほど唐煜瓔が声を掛けようと、肩を揺さぶろうと、天使のように清らかな唐煜瑾は眠ったまま目を覚まそうとしなかった。

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