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第19話 安心する場所
次の瞬間、遥は永井の長い腕で抱きしめられる。
「よく言えた、苦しかったな……!」
そう言われて、遥は永井も雅樹も、やはり初めからそれを疑っていたのではと思った。初めて谷本との本当の関係を他人に告白し、褒められると思っていなかった遥は思わず永井にしがみつく。
これで、谷本とはお別れだ。そう思って安堵より寂しさが勝 ってしまうのは、遥が谷本に縛られていた証拠だろう。
性的暴力を受けている。その一言が言えずにいた十数年。遥自身も認めたくなかったのもあるが、誰かに話して突き放されるのが怖かった。それなら、耐えてその闇から抜けるのを待てばいい、そう思っていたのだ。
けれど永井はほぼ初めから、谷本との仲を疑っていた。雅樹から聞いたにしても、わざわざ首を突っ込んでくるなんて、それ相応の理由があるはずだ。
(やっぱり、永井さんはすごくあんしんする……)
ひとしきり泣き、冷静になって、演技以外で人前で泣くことなんてないのに、と恥ずかしくなる。永井の腕の中で小さくなると、彼は優しく抱きしめ直してくれた。
すると永井は片手でスマホを操作し、何かを送信したようだ。眼鏡の奥の瞳は相変わらず感情が分からなくて、遥はじっと見つめてしまう。
「木村さんだ。早急に谷本さんと遥を引き離す」
「……っ、でも、谷本は相当しぶといですよ?」
泣いたり怒ったりして、相手を力で何とかさせようとするひとは厄介だ。雅樹でも十数年、できなかったことなのにと案じると、永井は頷く。
「だからだ。そのせいできみはずっと苦しめられてきたのだろう?」
そうと分かれば早急に、問答無用で。もし遥が未成年者で、児童相談所にでも駆け込んだのなら同じくそうしただろう、と永井は言う。
「だがきみは成人している。罰することも、訴えることもできる。そのために私はきみに近付いた」
「……え?」
どういうことだ、と遥は思わず聞き返した。永井のその言い方だと、やはり初めから目的があって出会ったと言っているように聞こえる。
「……とりあえず、話はあとだ。遥は谷本さんをどうしたい?」
今言ったように、罰することも訴えることもできる、と永井は言った。しかし、長い間に渡っての暴力でしかも親子となると、不起訴、示談になることが多いという。
「……もう、離れられるなら何だっていいです……」
「……そうか。今はその答えが限界そうだな」
ひとりで納得した永井は、掛かってきた電話に出た。相手は雅樹だろう。
「本人からSOSがありました。彼が認めないと我々も動けませんからね。……ええ」
遥は他人事のようにその会話を聞いていた。平静を保っていられるのは、永井がずっと抱きしめていてくれるからだ。その温もりが嬉しくて、くすぐったくて、甘えるように擦り寄る。
「遥……? ああいえ、遥は今は落ち着いています。とにかく今は離れたいと。……はい」
父親に抱かれる赤ん坊のように、遥は丸まる。とろとろと意識が溶けていくのを感じ、起きていないとと思うのに身体が言うことをきかない。
「ではそちらは任せます。はい、失礼します」
そんな彼の言葉を聞きながら、ああそうか、と納得した。
遥と谷本、同時に抑える必要があったから、雅樹一人じゃダメだったんだな、と。一体、どんな経緯で永井は、遥の支援を買って出てくれたのだろう? それに、恋人契約を持ち出した理由も。
(そのあたりも、ききたい……けど)
永井の腕の中の安心感は絶大だ。黒兎の施術くらい、眠気が襲ってくる。
「遥」
名前を呼ばれた。遥の芸名は子役の時からずっと同じだ。だから呼ばれ慣れているのもあるけれど、永井には本当の名前を教えたいと思う。
「ぼくのなまえ、遥とかいてヨウってよむの……」
うとうとしながらそう言うと、優しい声で「ヨウ」と呼ばれた。
気付けば、谷本に呼ばれなくなっていた名前。芸能人として生活するなら、自分を捨てろと言われたようで悲しかった。でももう、素を出していいのだ。
「……眠りなさい」
そう言って、頭を撫でられる。やはりすごく安心して、遥は素直に目を閉じた。
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