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第1章 1

 4月第2週目の水曜日、大学に入学してから2度目の春を迎えていた俺は、混み合う食堂の中で昼飯の載ったトレーを持ったまま思わず足を止めた。  あの頃と何1つ変わらないあいつが――ふわふわした癖のある焦げ茶色の髪を大きな手で掻き上げながら、垂れた目をさらに押し下げて屈託なく笑い、友達と楽しそうに会話をする俺の幼馴染、笹山蒼空(ささやま そら)がそこにいたからだ。  蒼空が1浪の末、この大学に入学したことは母親伝手に聞いて知っていた。しかし、実際にその姿をここで見ると夢と現実が入り混じったような奇妙な感覚に襲われる。  蘇るのは去年の3月のこと。合格発表の掲示板を見て立ち尽くす蒼空に俺が言い放った言葉。  ――女に(うつつ)抜かしてるから失敗したんだろ。  正直、あの時の俺は自分の合格に対する喜びよりも、あいつの不合格に対する苛立ちの方を強く感じていた。同じタイミングで同じ大学に行くんだって当然のように思っていたから……。  そして、その一因であるはずの染谷茜(そめや あかね)――蒼空の彼女にも腹が立って仕方がなかった。高3の夏休み少し前から付き合い始めた蒼空たちは、受験生同士なのにも関わらず、やれ夏祭りだクリスマスだ、合格祈願の初詣だと遊びまわっていたからだ。  蒼空は昔から勝負が好きで、小1で出会って以来、いつも俺に何かを挑んできては負けていた。  給食の早食い、運動会の徒競走、修学旅行での夜更かし、中学の全国模試、バド部の引退試合、高校最後の実力テスト……数えればキリがないほど色々なことを競い合い、大一番に弱い蒼空はいつも俺にあと一歩及ばなかった。  唯一引き分けになったのは高校受験だけで、大学受験はやっぱり俺の勝ちだった。  負けた蒼空を煽るのはいつものことで、癖みたいなもんだった。  それなのに、あの時のあいつの表情が思い出せない。そうしようとすると胸が痛くて苦しくなる。たぶん、俺はあの時の自分が未だに許せずにいるんだと思う。寄り添う言葉の1つも掛けてやれなかった自分が。  本当は、蒼空が人並み以上の努力をしていたことを誰よりも間近で見て知っていたから。彼女と遊び呆けてたわけじゃなくて、真面目で誠実なあいつらしく、受験と恋愛を両立させようとしていただけだってことも。  あの時の俺は、蒼空と蒼空の彼女に八つ当たりをしただけだった。必死に勉強して掴み取った合格も霞むくらい、蒼空の傍にいられなくなるのが寂しくて仕方がなかった。  惨めでみっともないことをしたという自覚はあった。だから俺はこの1年間、あいつと接触するのを避けてきた。  蒼空もきっと俺に腹を立てていて、会いたくないんだと思う。バド部の集まりにも来なかったし、浪人するのに家から離れた都会の予備校を選んだみたいだし、合格したという連絡もくれなかった。  今さらあいつに合わせる顔なんてない。あいつを支えてやることもせず、のうのうと1人大学生活を過ごしていた俺に、合格おめでとうなんて言う資格もない。俺は逃げるように背を向けると、蒼空に見つからないよう人混みに隠れてその場を離れた。

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