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最終章 2
夏休み直前のある日、授業を終えて1人歩いていると正門の前にいた蒼空が笑顔で俺に手を振った。
「智暁、お疲れ!」
「おう。お待たせ」
今の生活の中で、この瞬間が一番心が安らぐ。
「なぁ、ちょっと聞いてよ。今日の試験早く終わったから途中退出しようとしたらさ……」
蒼空は身振りを交えながら楽しそうに今日あった出来事の話をする。話すときにやたらと手を動かすのは昔からの癖だ。あの日のことがあっても、蒼空はやっぱり変わらない。
正門前の横断歩道を渡ってバス停まで着くと、蒼空は耳打ちをするように顔を寄せた。
「あ、なぁ、智暁。……重森、退学したらしいよ」
「俺もこないだ聞いた」
蒼空は渋い顔をしながら頭を掻く。
「そっか。理由とかよくわかんないけど、家族に地元連れ戻されてもうこの辺にはいないって。一応、言っとこうかなって」
「ん。ありがとな」
「なんか砂原も絡んでるっぽいけど……。智暁、大丈夫?あれから何もない?」
「うん。壱星は普通に来てるけど、俺のことは完全スルー。俺も別の奴らと一緒にいるし」
「そっか。何かあったら言えよ」
俺も蒼空も、それ以上壱星や重森に触れることはなかった。ただ、気まずい沈黙を埋めるように、どちらともなく取り留めのない会話を始めていた。
――あの日、壱星と重森がどうしてあんなことをしたのか、何があったのか、本当のことは何もわからない。
ただ、あの2人はずっと、誰も知らないところで愛し合っていたんだと思う。離れ離れとなってしまった今でも、きっと。
壱星の地元を少し調べてみたけど、砂原という名前の議員はいなかった。地方議員の父親が時々出張に来るというのも嘘だったようだ。俺にそう嘘をつく日、あいつは重森に会っていたのか、それとも……。
重森が壱星に売春か何かをさせていたんだとしても、また、壱星が裏で手を引いて重森に怪我を負わせたんだとしても、それすら愛情表現の一部のように思われる。目の当たりにしてしまったからこそ言い切れる、常軌を逸した関係がそこにはあった。
――智暁君と一緒にいたのは真宙さんを安心させるためだよ。
壱星は確かそう言っていた。俺との関係は、代替品でも隠れ蓑でもなく、あの瞬間のために作り出したものだったのかも知れない。最後にああやって俺の心を完全に折ってしまうことで、あの男に忠誠を示すための……。
あんな風にしか愛を確かめ合えない関係には同情もするし、軽蔑もする。ただ、壱星に乗せられていたとはいえ、俺もあいつと歪な関係を築こうとしていたのは事実だ。
もしも、蒼空がいなければどうなっていたんだろう――。
バスが大きく揺れて、左隣に立つ蒼空の手が僅かに俺に触れる。
「智暁、どうかした?ぼーっとして」
蒼空はチラッと俺を見て、優しく目を細めた。
「……別に何も」
もしも蒼空がいなければなんて、そんなことを考える必要はない。今、蒼空はこうして俺の傍にいてくれて、誰よりも俺を想ってくれている。それが紛れもない現実で、嘘偽りない真実だ。
「なぁ、智暁。ようやく明日で試験終わりだな。夏休み楽しみ過ぎるんだけど」
「そうだなー。どっか行く?」
「行く!せっかくだし遠く行こうぜ。暑いから北の方とか」
蒼空はパタパタと片手で顔を仰ぐような仕草を見せた後、前髪を搔き上げながら少し上目遣いに俺を見た。
「……あ、旅行の計画も立てたいけど、そろそろ家も探さなきゃな」
俺達は夏休み明けから2人暮らしを始めるつもりだ。嬉しさを隠しきれないというような蒼空の表情を見たら、愛しい気持ちで胸が一杯になる。
優しい目つきで明るく笑う蒼空は、昔から何1つ変わらない。ずっと、俺の大好きな蒼空のまま、俺の傍にいてくれている。
だから俺は、これから何があってももう逃げ出したりしない。不安とか寂しさとか、自分の中に沸く醜い感情にもきちんと向き合っていきたい。
長い夢の中で迷っても、必ず夜は明けて朝が来るから。
その時隣にいてくれる蒼空に、相応しい人間になりたいから。
「ありがとな、蒼空」
「ん?……どーいたしまして」
窓の外に広がる抜けるような青空を見ながら、俺たちはそっと手を繋いだ。
完
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