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プロローグ

 薄暗い部屋。布団に寝そべって、壁に掛かった時計に目をやる。午後三時。  少し開いたカーテンの隙間から、太陽の光が射して、俺の顔を照らす。眩しくて手を伸ばして閉めようとしたら、隣から伸びてきた手に手首を掴まれた。 「そのままで」 「いいの?」 「綺麗だから」  そう言って与一(よいち)さんは、肘をついて少し体を起こすと、俺の顔を見下ろす。  頬を指でなぞるから。くすぐったくて、気恥ずかしくてたまらない気持ちになる。 「眩しいし」  耳が熱いから、恐らく赤くなった顔を隠したくて、反対の手で顔を覆った。そしたら、その手もまた掴まれて布団の上に両手を縫い止められてしまう。  そっと、優しく。  俺が嫌がればすぐに外れる程度の力で。 「なんで……俺なのかな、て」 「ん? なにが聞きたいの?」  与一さんは優しい顔で、俺を覗き込む。逆光で陰になったグレーの瞳が深みを帯びて、ドキッとしてしまう。  与一さんの瞳の中には、宇宙が広がっている。吸い込まれそうな深い闇と、きらきらと瞬く星屑。じっと見つめられると、その瞳があまりにも綺麗だから、直視できなくなって、いつも俺が先に視線を外すことになってしまう。 「べつに……」  なんで、どうしてこんなに普通で平凡な俺だったのか、未だに理解できなくて、だから定期的に頭の中に疑問が湧いてくる。その度に口には出してみるけれど。  俺のどこがいいの? どこを好きになったの?  なんてそんな恥ずかしいことは口に出来なくて、聞けない。  だけど、俺がなにを聞きたいのか、与一さんは分かってるんじゃないかと思う。  俺が質問する度に与一さんは違う答えをくれる。  優しいんだ。  ずっと前に、俺が窓辺に吊るした魔除けのサンキャッチャーが日射しを受けて、与一さんの滑らかな頬に光が踊る。虹色の光がゆらゆらと跳ねて、ほんと、綺麗だな。  与一さんは、ほんとに綺麗だ。  魔除け、だなんて笑える。 「いい匂いがするから」  俺の手首を解放すると、指先で俺の鼻先をつんつんしてくる。 「なにそれ」 「甘くて甘くて、目眩がするくらいいい匂いがして、たまらなかった」 「それ本気? 普通に見えたけど」 「普通にしてないと、逃げちゃうでしょ」  そう言ってくすくす笑う。 「こわ」  そう言うと、与一さんはまた目を細めた。 「お腹減ってるよね?」  与一さんは体をさっと起こして、俺を見下ろす。 「うん、起き上がれないくらい、お腹空いてる」  自分が寝すぎたせいなのに、自分でもわがままだって思うけど。寝そべったまま脱力してだらしなくそう言うと、与一さんは嬉しそうに笑って俺の髪を掻き回した。  ふいに、背中を丸めて、俺に近づいてくる。  おでこに、冷たくてしっとりとした感触。  それだけで、心臓が掴まれたみたいにキュッとなる。 「おはよう、乙都(おと)君」  そうやって微笑まれるだけで、結局俺は口ごもってモジモジする羽目になるんだ。 「……おはよ」  いい匂いもなにも、香水だって使わないし、臭うとしたら汗とかそういう臭いやつじゃないの? 「俺がいい匂いだからいいの?」  不思議に思って、部屋を出て行く与一さんの背中に、声を掛けた。 「そうだよ、たまらないくらい甘くていい匂いだから、好きなんだよ」  与一さんは、しれっと真顔でそう答えた。  心臓がドッドッドッと、強く打って、それに、みるみる耳が熱くなる。  与一さんは、そんな俺を見ると、ケラケラ楽しそうに笑いながら、部屋を出ていく。  ジッとしていられなくて、俺は布団の上をゴロゴロ転がった。  階段を降りていく足音と、朗らかな与一さんの笑い声が、小さくなって行く。  はあっ。  好きだな。  

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