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第27話 Am Ende der Dunkelheit

 深夜。  ヴィルと共に廃坑に向かい、突入の前に腹ごしらえをしておくことになった。  エルンストは本人が言っていた通り、出立する私達に夕飯用の軽食(カルテスエッセン)を渡してきた。夜更けに二人、廃坑の前で食事をするというのも妙な光景だが……まあ、想いを無碍(むげ)にする訳にも行くまい。ありがたく受け取った。 「神父様、オレらってほんとに同性っすかね」 「……いきなりどうした?」  他愛のない会話をしながら、薄いハムを挟んだパンを口にする。ちょうど良い塩加減が、料理の腕の上達を感じさせた。 「同性じゃなかったら、恋愛しようがセックスしようが問題なくないすか?」 「さすがに無理があるだろう……」  ヴィルが何を考えているのかはよく分からない。私の裸体など、いつも見ているだろうに……  ともかく、食事はつつがなく終わった。指を組み、祈りを捧げる。それを見たヴィルが、目ざとく指摘した。 「それ……さっきは、やってなかったっすね」 「……よく見ているな」  ヴィルは周りを見ていないようにも見えるが、存外よく観察している。……いや、私以外を見ていない可能性もあるにはあるが……。  わずかに間を置き、話し始める。  どう、説明したものか悩ましい。 「アリッサは以前より改宗を考えていると聞く。悩んでいる最中に、見せる仕草ではあるまい」 「兄貴としてはいいんすか、それ」 「みな、それぞれが異なる救いを求めて何かを信じるのだ。信仰は自らの道標(みちしるべ)とするためのもの。他者から無理()いされるものではない」 「ほーん……」  この考えが正しいのかどうか、私にはわからない。甘いと言われれば、それまでだろう。  それでも……本来「救い」になるべきものが、他者を排斥(はいせき)する理由になってしまうのは、あまりにも(むご)い。祖父の死の際に、痛いほど思い知ったことだ。  一息ついて、廃坑の方に視線を投げる。 「軽い探索に留めるとはいえ、廃坑(はいこう)に入ることには変わりがない。くれぐれも落盤や遭難には気を付けろ。私は滅多なことでは死なないが、貴様は違うのだからな」  ヴィルにも、忘れずに忠告しておく。  私は人間ではないが、ヴィルは人間だ。……頼もしい部分も多々あるが、それに甘えてはならない。「吸血鬼」とは耐久力も回復力も段違いだと、忘れてはならないのだ。 「へーい。あ、上手いこと開拓できりゃ隠れ家にも出来そうっすね」  現状はエルンストに世話になっているとはいえ、いつ、何が起こるかはわからない。  ヴィルの言葉に「そうだな」と頷き、廃坑の入口に打ち付けられた板の隙間から中に入った。 「……確かに、誰かが入った痕跡がある」  壁に、印を付けた跡がある。それを頼りに、奥へと進んだ。念の為に新しい印も付け、あくまで慎重に歩みを進める。 「ランプ、オレが持ってて大丈夫っすか」 「私は夜目が効く。それより貴様の足元を照らせ」 「了解っす」  ヴィルは軽口を叩くが、(まと)っている気配は明らかに先程とは違う。  周囲を警戒しているのだろう。その点においての経験値は、彼の方が圧倒的に頼りになる。 「……!」  と、煙のような臭いが漂う。  ヴィルに手を引かれ、二人で物陰に隠れた。  ヴィルがランプの灯りを吹き消したところで、私の耳が微かな音を拾い上げた。 「……話し声がするな」  目を凝らし、様子を伺う。  ランプか何かだろうか。ぼんやりと灯りが目に入る。その光に照らし出され、軍服を着た男の姿も見えた。髪の色は、軍帽に隠れてよくわからない。……人数は……二人、か。  火薬の臭いが辺りに充満し、思わず顔を(しか)めた。あまりにも臭いがきつすぎる。気分が悪くなりそうだ。 「軍人か……」 「っぽいっすね。火薬くせぇし」  私の呟きに、ヴィルが答える。人間であるヴィルでさえ火薬臭さを感じているとなると、どれだけの量を所持しているのだろうか……  身を潜めつつ、声が聞こえるように更に近くへと歩みを進める。……と、今度は背後から人の気配を感じた。同時に、硝煙(しょうえん)の臭いが濃くな……ったと思えば、突如口を塞がれ、地面に引き倒される。 「……んっ!?」  驚いたが、相手がヴィルだと気付いて警戒を解く。  ヴィルはランプの光で照らされないように気を付けながら、私の身体をしっかりと支え、音を立てないようその場から遠ざかる。……その、見つからないようにというのは分かるのだが……何と言うのか……色々と、心臓に悪い。  結論を言えば、背後から来た影は私達に気付かず軍人達の方へ向かった。……その姿には、見覚えがある。  ヴィルは相手に気付いていないのか、ほっと息をつき、「もう大丈夫っす」と伝えてきた。 「……赤い髪と、金髪の……修道士だったな……」  私がそう伝えると、ヴィルの目が驚いたように見開かれる。ろくに話をする暇もなく、聞き覚えのない声が廃坑内に響き渡った。 「これはこれは、お待ちしておりましたよ」  落ち着いてはいるが、腹に何かを隠し持ったような声……歳の頃は中年程度だろうか。少なくとも若くはないだろう。 「……軍曹(ぐんそう)殿」  赤い髪の修道士が口を開く。……間違いなく、マルティンの声だった。 「それにしてもここ、いつ見ても密会に丁度いいね。誰が見繕ったんだい?」  金髪の方は確か、テオバルト……いや、テオドア……。……テオ……ああ、思い出した。テオドール……イタリア語名で、テオドーロか。 「部下ですよ。新人ですが、優秀でして」  軍曹、と呼ばれた男が言葉を返し、しばし沈黙が続く。  空気は張り詰め、敵意が辺りを満たしていた。……下手を打てば、殺し合いになるのが目に見えている。  ヴィルと共に息を潜め、成り行きを見守る。穏便に済むに越したことはない、が…… 「さて、本題に入りましょうか」 「……また煙に巻くつもりでは?」  話を切り出す「軍曹」に対し、マルティンは不機嫌そうな声音で問う。  話を聞く限り、顔を合わせたのは初めてではないらしい。 「あなた方の主張はこうだ」  ……と、「軍曹」ではない方の軍人がはっきりと告げる。  ……? ……この、声は……。……いや、まさか……そんなはずは……。 「オットー・シュナイダーという『武器』が持ち出されたのは、我々が教会に貯蔵された武器の検分を行った日だった。その際に、私がフランク修道士に『あえて』危険なものを選別して渡した、と」 「ええ、何度も伝えた通り」 「我々の主張は変わらない。検分の途中ではあったが、フランク修道士から状況を聞き、適切と思われる武器を渡した。その際、私の知識が足りなかったがゆえに『誤って』危険性の高いものを渡してしまった……と、何度も説明したはずだ」  ……この声が……「軍曹」の言う「新兵」なのだろうか。  私が動揺する間にも、話は続けられる。 「まぁ、彼はまだ訓練兵ですからねぇ。とはいえ、危険物の取り扱いに長けているのが貴方がた『悪魔祓い(エクソシスト)』ではなかったのですかな?」 「軍曹」の物言いはやけに挑発的だ。  マルティンの感情を逆撫(さかな)でするのが目的なのだろう。マルティンは辛抱強文字(しんぼうづよ)く耐えているようだが、明らかに苛立ちを隠しきれていない。 「そう。ここでわたしが逆上してあなた方を襲えば、正当性を持って『後始末』ができると」 「ははは、我々がこの数日、我慢比べをしていたとでも? 貴方がたのような有閑(ひま)人と一緒にされては困りますなぁ」 「……最悪の場合、わたしが『襲ったことにさえしてしまえば』いい。こんな場所なら証人もいない」  空気が更に張り詰め、一触即発の状態となる。  マルティンたちはおそらく、軍関係者から何らかの情報を聞き出したいのだろう。……いや、既に、軍にとって不都合な情報を握っている可能性も高い、か……。 「……僕、別に暇ではないんだけどなぁ。女の子と遊ぶ時間がもっと欲しいよ」  何やら間抜けな声も聞こえたが、テオドーロか。  本当に何なのだ、こいつは。 「……さて、話を続けましょうか。我々は既に非を認めたというのに、貴方がたはまだご不満らしい」 「軍曹」は、テオドーロの言葉を完全に無視し、話を続ける。  返すマルティンの言葉は、多くの棘を纏っていた。 「わたしにはそれが真実だと思えないから、だけど」 「……ほう? やはり、ありもしないものを信じるのが得意なご様子で」 「現皇帝は植民地支配にご執心。それで、新たな武器が必要なのはわかる。……運用方法を試す手間が必要でも、ね」 「つまり、我々帝国軍がフランク修道士を実験体にして『オットー・シュナイダー』が実用性に足るか判断しようとした……と、考えているのですかな?」 「ええ」  ……。帝国の陰謀、といえば、私にも心当たりがある。  ハインリッヒ司教を襲撃し、私を|辱《はずかし》めた彼らは、おそらく── 「……どういうことっすか」  思案にふけっていると、ヴィルが小声で尋ねてくる。  ……そうだな。さすがに、彼には難しい話題だろう。 「かつての宰相は特定の教派や思想に対しては激しい弾圧を行ったが、他国とは同盟関係を重視し、領土の拡大については慎重だった」  私の方も小声で応じ、解説をする。 「えーと、前の偉い人は他の国と仲良くする方で、攻め入ったりするのはあんまりやらなかったってことです?」 「そうだ。国内の安定を重視したと考えられる」 「ほへー……。そんで、今の偉い人は違うんすか」 「現皇帝は植民地政策を強める方針を打ち出している。軍備の更なる増強が求められ、悪魔祓いが用いる武器に『兵器』としての応用が効かないか目を付けた、といったところか。……あくまで修道士マルティンの見立てでは、だが」  ヴィルが納得したように頷く。  やはり、飲み込みが早い。話を少し聞いただけで事のあらましを掴めるのだ。……もし彼が軍で兵士として教育を受けたのなら、|手強《てごわ》い存在になっていただろう。 「あ、そういえば!」  ……と、テオドーロの声が聞こえ、視線をそちらへと戻す。 「貯蔵されていた『剣』の中には、自らの血を吸わせることで使用するものもあったんじゃなかったかい?」 「……なるほど? 渡す時にわざと『異なる剣』の説明をして渡した、と。いやはや、想像力が豊かで結構なことですな」  やれやれと肩を(すく)め、「軍曹」は語る。  その態度とは裏腹に、無機質な金属音が洞窟内に反響した。……なるほど。図星というわけか。 「我々は会合を重ね、互いの主張をぶつけ合い、互いを知ろうと努力してきました。未だご理解を頂けないとは、(はなは)だ遺憾だとしか申し上げようがありません」 「軍曹」の明朗な声が、洞窟内に響いた。  ヴィルは私の手を掴み、すぐにでも動ける体勢で場の様子を見守る。 「……互いの『戦力を』知ろうと努力したのだろうな」  彼らは理解し合う気など、和解する気など、|端《はな》からなかった。  反乱分子は、「消した」方が手っ取り早い。……司教様が襲撃されたのも、似たような理由だったのだろう。 「元から消すつもりだったくせに」  マルティンが毒づく。彼女も、私と同じことを考えていたようだ。 「ははは……何をおっしゃるやら。貴方がたこそ、『真実を知りたい』などと……如何(いか)にも理想に生きる有閑人の思考ですなぁ」  その瞬間、ヴィルが「開戦」を察し、私の手を引く。跳弾を恐れたのだろうか。ヴィルから見て、あまり良い位置ではなかったらしい。もしくは、闇に乗じて逃亡を図るつもりか……?  視界の端に、額に銃を突きつけられた「軍曹」と、顎に銃を突きつけられたマルティンの姿がちらりと見えた。 「……ふむ、早撃ちには自信があったのですが」  刹那。 「軍曹」ではなく、「新兵」の方が、我々に鋭い視線を投げ……。……この、瞳の……色は…… 「……!」  発砲音が響き、はっと我に返る。  考えるのは後だ。ヴィルに、怪我をさせてはならない。 「ヴィル!」 「大丈夫っす。ありゃ、ただの脅しです」  ヴィルは特に動揺するでもなく、しれっと語る。やはり、私よりもこういった状況には慣れているらしい。 「軍曹殿。亜麻色の髪の、顔に傷がある男でした」 「そうでしたか。覚えておきなさい」 「軍曹」は銃を突きつけられたままの状態で、平然と部下と語り合う。  ヴィルが眉をひそめる。この場面で顔を覚えられるのは、はっきり言って良い状況とは言えない。……相手も、私と同じく夜目が効くようだ。  岩壁を盾に出来そうな場所に移動し、ヴィルは私に声をかける。 「神父様、様子見えますか」 「ああ……むしろ、ここからの方が全体が見えやすい」 「じゃあ、状況教えてください。なんかあったらオレがどうにかしますんで」 「銃撃や跳弾(ちょうだん)は気にするな。私が盾になる」  こちらがランプをつければ、ヴィルも銃弾の的になってしまいかねない。  私がヴィルに状況を伝え、もし攻撃があれば盾になる。……それが、もっともリスクが少ない方策だろう。 「……それは……。……すんません、頼みます」  ヴィルは何事か言おうとしたが、悔しそうに飲み込み、目を伏せた。 「……盗み聞きを気にするなんて、ずいぶんと余裕ね。わたしの能力は、もう知っているはず」  マルティンの声と同時に、何かが蠢く音が聞こえる。……フォン・ローバストラントの「守護精霊(シュッツガイスト)」だ。 「今は修道士マルティンが軍曹とやらの額に、軍曹が修道士マルティンの顎に銃を突きつけ膠着(こうちゃく)状態だが、守護精霊とやらの力を使えば、相手の動きを封じることも、もう一人を拘束することも可能……だったはずだ。隙を見て額を撃ち抜くつもり……か……? 修道士テオドーロもいる以上、()は悪魔祓い達にあるように思われるが……」  闇の向こうの光景がヴィルにも伝わるよう、どうにか説明する。  こうして観察すると、あの精霊は静かに近付くが動きはさほど早くないのだとわかる。ゆっくりと、音を立てず、影は「軍曹」の足や「新兵」の腕に絡みついていき── 「言ったはずです。私の部下は、優秀でして」 「軍曹」の声が、そう言った瞬間だった。  傍らに立つ男の腕が「守護精霊」を振り払い、マルティンの胸板を。 「が……ッ!?」  肉を貫く音が、ぞわりと背筋を撫でる。断末魔のような、(いや)な呻きがマルティンの口から漏れ出す。  ぼたぼたと地面に血が滴り落ち、その上に軍帽がひらりと落ちる。  癖のついた、銀色の髪が視界に映る。 「フラテッロ……!!」  テオドーロの叫びと共に、持ち上げられたマルティンの姿が亜空間へと吸い込まれていった。 「ど、どうしたんすか……!?」 「……新兵らしき男が、修道士マルティンの胸を……腕で、刺し貫いた」  あまりの光景に言葉が浮かばないが、とにかくヴィルに伝えようと努める。 「修道士テオドーロが……あれは……亜空間、だったか? そこに、修道士マルティンを避難させて……いや、だが、あの傷は……」  あの、傷の位置は。  胸の中心から、わずかに左に寄ったあの、位置は…… 「新兵」の低い声が淡々と告げる。……間違いなく、聞き覚えのある声だった。 「心臓を貫いた。もう助からないだろう」  冷淡な声音が、無慈悲な宣告を浴びせる。  それでも、テオドーロはあくまで明るい声で返した。 「あの空間は時間の流れが止まってる。まだどうにかできるよ」 「……ああ、そうかい。だが……あの身体に何度も穴をぶち開けられるってのも悪くはない。……あの赤毛野郎が、『そうした』みたいにな」 「新兵」の口調が砕けた雰囲気に変わり、クックッと(たの)しげな声が暗がりに響く。  ……ああ、やはり……この声は…… 「な、何だか乗り気みたいだけど、僕は戦いが得意じゃないんだ。さよなら(アッディーオ)!」  マルティンを助けるためか、逃亡のためか……テオドーロは亜空間に素早く身を滑り込ませ、姿を消した。 「兄上……」  問いかければ、真っ赤な視線が私を射抜く。 「よぉ、コンラート。久しぶりだな」  低い、揶揄(からか)うようでいて気だるげな声。癖のついた銀髪。……私と、そっくり同じ色をした瞳……。  間違いない。ギルベルト・ダールマン……私の、実の兄だ。  声を聞いた時点で、厭な予感はしていた。それでも……現実を目の当たりにしてもなお、認めたくない光景だった。  行方の分からなかった兄が、軍服を着て目の前に立っている……。 「兄上……その服装は……」 「ああ……俺は商人だからな。ちっとばかし『価値』を売り込んでこうなった」  ヴィルがすぐにマッチを擦り、ランプの灯りをつける。  兄上は上機嫌に口笛を吹くと、足元の血溜まりから軍帽を拾い上げ、被り直した。 「軍の上層部は、俺達を大変重要視しておいでだ。海外進出の足がかりとして、『兵器』としての『価値』を見出してくださった」  皮肉めいた口調で、兄上は静かに語る。  軍服の左腕部分は無惨に破れ、傷だらけの腕はだらりと垂れ下がっていた。……「守護精霊」の拘束を無理やり振り切った名残だろう。  ずたずたに裂けた手の指先から、マルティンと兄上の血が混ざり合い、ぽたぽたと滴り落ちる。  兄上は自らの指先を恍惚と見つめ、香り立つ血を舌で舐め取った。赤く染まった瞳がうっとりと細められ、爛々(らんらん)と光る。  布地の隙間から覗く傷は、瞬く間に癒えていった。

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