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第6話 震える

 そのあと数日は何も起きなかった。  週末のあいだ彼は家に閉じこもっていた。泥のように重い体をひきずるようにして起きたあと、最初にやったのは例の写真を燃やすことだった。そのあとは不安と謎の高揚感にはさまれたまま、落ちつきなく部屋をいったりきたりして過ごした。  スマホはずっと沈黙していた。月曜の朝が来て、彼はびくびくしながら会社へ行った。いつもの机に座り、同僚や上司といつものように話をする。夜になってもスマホは静かなままだった。  火曜、水曜、木曜になっても、夏生は何のメッセージも送ってこない。連絡が来たらどうするかあれこれ想像をめぐらせていただけに、彼はすこしだけ安堵した。  電話が鳴ったのは金曜の昼休みだ。彼は社食を出たところで、反射的にとってしまった。 『マキさん』  夏生は何でもないような声で彼を呼んだ。 『すみません、何日も連絡しなくて』 「夏生君。もう用事は済んだんじゃないのか」 『どうして?』 「大洋の写真は処分した」 『あれはおやじの写真じゃない。あなたの写真です、マキさん。あなたが写ってる』 「昔のものだ。もう捨てた」 『先週のこと、もう忘れちゃったんですか?』  彼は黙って通話を切った。だがスマホはまた震えた。 『既読にした方がいいですよ』  彼はトイレに行き、個室に入った。アプリをタップしたとたん、その画像が目に入った。  彼の写真だった。裸で足を広げ、目を閉じている。  画像の下にすぐさま、文字があらわれた。 『他にもありますよ。音声付きで聞かせてあげましょうか?』  彼は個室に座りこんだまま、しばらく写真を眺めていた。昼休みが過ぎていく。 『いくらほしいんだ』  彼の指は何度もスマホの上で迷い、八文字を送信するのに何分もかかった。返信はすぐに来た。 『マキさんの家に行きたいです』  夏生が彼の家に着いたのは夜十時をまわったころだった。玄関のチャイムを何度も鳴らすので、彼はあわててドアをあけた。酒の臭いが鼻についた。 「マキさん……」  夏生は放り出すように靴を脱ぎ捨てて家にあがると、彼の首に腕をまきつけた。甘えるように抱きしめられて、どうしたらいいかわからなくなった。 「夏生君、離しなさい」 「マキさんってどこで寝てるんですか? 二階? 家、広いよね……」  どのくらい酔っているのか、夏生はクスクス笑っている。リビングにつながる廊下はひんやりと寒いが、夏生の体は熱い。 「いくら声だしても大丈夫だよね? 俺の部屋、すぐ隣に聞こえるからさ……」 (俺の部屋、壁が薄くてさぁ)  そっくりな声が彼の頭の中でリフレインし、背筋がすっと寒くなった。 「やめないか、夏生!」  どうにか腕をふりほどく。夏生はそれでも笑っていた。 「呼び捨てもいいね」  彼はぶるぶる震えていた。 「金が欲しいならやる。もうやめてくれ」 「おやじが撮った写真はなくなったけど、今は俺のがある。マキさんが啼く声をきくの、楽しいよ」 「夏生君……」 「あいつにみせてやりたいな。マキさんは俺のだ」  いつのまにか彼は壁際に追いつめられている。 「何をいってるんだ。大洋は死んだんだろう」  昏い眸が彼をみおろしている。 「ええ、そうですよ」  夏生は物憂げな笑みをうかべた。唇が近づいてくる。酒の臭いがするキスに息が止まりそうだ。執拗に絡む舌からやっと解放されたとき、空気がひたすら甘く感じた。 「キスだけでこうなるのもいいね」夏生がささやく。 「マキさん、ベッドに連れて行ってよ」  次の日彼が目を覚ました時、夏生はもういなかった。

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