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第1話
神に見放された地下牢に鉄錆びた臭気と饐えた匂いがこもる。
糞尿垂れ流しの石床に鎖を巻かれ横たわっているのは全身傷だらけの青年。
下半身には辛うじてズボンを纏っているものの上半身は裸に剥かれ、至る所にみみず腫れができていた。
リルケ村の薬師、ダミアン・カレンベルクはもうすぐ生涯を閉じようとしていた。
ダミアンが囚われた地下牢には窓がない。よって一条の日も射さない。
一日の訪れを告げるのは拷問吏の靴音と閂が外れる音だけ。次第に時間の感覚が麻痺し、痛みに侵された思考が混濁し始める。
「うっ……」
鎖を引きずり虚空を掴む。右瞼は無残に腫れ塞がって、視界が半分奪われていた。
地下牢にはおどろおどろしい拷問具が配置されていた。
三角木馬、鉄棘の生えた椅子、等身大の磔台……全て異端審問に用いられる道具。どれもに使用済みを示す、どす黒い血痕が染み付いている。ダミアンの前の虜囚に使われたものらしい。
先客の運命は今さら聞くまでもない。遠からず後を追うさだめだ。
顔も名前も知らない虜囚に黙祷を捧げ、冥福を祈る。
石床に血の筋を曳き、白い爪が落ちていた。拷問吏に剥がされた生爪だ。
「……これじゃ薬草は磨れない、な」
目の前に右手を翳す。
脂じみた前髪の奥、弱々しい笑みが浮かんで消えた。
不浄な闇が自我を溶かす。
力尽きて手を下ろし、大の字に仰臥する。
「けほっ!」
顔を傾け水を吐く。肺には先ほど飲まされた分がまだたまっていた。鼓膜は水圧で詰まりよく聞こえない。
もっとも地下牢で聞こえる音といえば、自分自身の息遣いを除けばネズミの鳴き声と拷問吏の足音位のものだ。
幻聴でもいい。
ヴァイオリンが聴きたい。
懐かしい旋律を反芻する。
「かはっ、ごほっ」
喉の粘膜が切れたか、血痰まじりの咳が止まらない。
身を丸めて激しく噎せる。鎖が軋んで擦れ合い、虜囚の惨めさを引き立てる。
脳裏を過ぎる走馬灯が運命の少女の面影を連れてくる。
泡沫の如く弾けては結ぶ記憶。それはよく知る少年の顔にすりかわり、凍えた胸に痛みを呼び覚ます。
ダミアン・カレンベルクは地方領主の三男坊として生まれた。
母はお産と同時に死に、乳母や召使いに育てられた。兄たちとは年が離れていた為、親しく遊んだ記憶もない。
幼い頃のダミアンは孤独だった。使用人たちは一部を除いてよそよそしい態度をとる。父は末っ子に殆ど無関心だ。
何故冷遇されるのか、疑問が氷解したのは八歳の頃。女中たちの噂話を偶然聞いてしまったのだ。
「ねえ知ってる?領主さまがダミアン坊ちゃんに冷たいわけ」
「ああ……奥様の不義の子なんでしょ、ここじゃ有名よ」
「馬丁とできてたそうね」
「でもさあ、旦那さまの子って可能性もあるんでしょ」
「奥様似だからねえ、どっちかわかんないのよ。まあ跡継ぎは足りてるし、ね」
密やかに囁き交わす口吻には下世話な好奇心と同情が含まれていた。
自分は祝福された子供ではないのだと、その瞬間思い知らされた。
ダミアンは領主の妻が馬丁と姦通して出来た子だった。
事実はわからない。あるいは領主の種かもしれない。さりとて確かめる術はない。
父が振り向いてくれないのは、兄たちに劣る出涸らしだからと思い込んでいた。
自分の存在自体が汚点だったら、このさきどれだけ努力しても無駄じゃないか。
誰にも知られず静かに絶望したダミアンは、すっかり内向的な子供になり、他人との関わりを避けるようになった。幸いにして領主の館には多くの蔵書があった。首都の大学を卒業した父の蒐集品だ。ダミアンはそれを読んで日々を過ごした。
転機が訪れたのは十四の時。
窓を開け放して勉強していたら、そよ風に乗ってヴァイオリンの旋律が流れてきた。
村外れにジプシーが野営していると使用人が噂してたのを思い出し、出来心で屋敷を抜け出す。
初めての冒険にダミアンを駆りたてた動機は純粋な好奇心。彼はまだツィゴイネルを見た事がなかった。幌馬車で旅暮らしをしている、自分たちとは肌の色が異なる人々らしい。収穫祭で楽器を奏じ、歌い踊って生計を立てているらしい。
その話を聞いて想像を膨らませた。領主の館で窮屈な毎日を過ごす少年にとって、ツィゴイネルは自由の象徴だった。
父には接近を禁じられていたが、時折風に乗り流れてくる音楽は、鬱々と塞ぎこみがちなダミアンの心を浮き立たせた。
どんな人が弾いてるんだろ。
近くで聴いてみたい。
そんな欲求を禁じ得ず広場へ赴き、ヴァイオリンを奏でるツィゴイネルの少女と出会った。
名前はゾラ。
ロマの言葉で夜明けをさす。黒く艶やかな巻き毛を背にたらし、星宿す夜空のような御影の瞳を輝かせた、とても美しい少女だった。
一目惚れだった。
ヴァイオリンを弾き終わると同時に、心からの拍手を贈っていた。
ダミアンとゾラは瞬く間に惹かれ合った。
ダミアンは家族に疎まれている。ゾラは早くに両親と死別していた。似た境遇や立場は共感を生み、互いをより深く理解するきっかけとなる。
即ち、孤独が共鳴した。
「ただでヴァイオリンを聴かせたげる代わりに字を教えてよ、読み書きできるんでしょ。あなた達の言葉で夜明けはなんて書くの」
歌うような抑揚で乞われ、喜んで知識をさしだす。
ジプシーの多くは文字を書けない。当たり前といえば当たり前で、中世ヨーロッパにおける平民の識字率は低い。
しかしゾラは勉強を好み、ダミアンが持参した羊皮紙に繰り返し自分の名前を書いて言うのだ。
「ツィゴイネルにも教養は必要よ、世界の見え方が変わるもの。言葉や計算を覚えれば商人にだまされる事がなくなるし、もっと賢く生きられるでしょ」
「僕もそうおもうよ。君は正しい」
「でしょ」
「ホント言うとさ、ツィゴイネルってもっと怖い人たちかなって思ってたんだ」
「絶世の美少女を捕まえて失礼ね」
「ごめんってば。また何か弾いてよ」
広場にとまった幌馬車の影で、オークの大木が葉を茂らす石垣の裏側でおふたりは逢瀬を重ねた。
木漏れ日が斑にさす下で、少女は矢継ぎ早に質問する。
「この木はなんていうの」
「|オーク《アイヒェ》。雷神ドナーに捧げられた神聖な木」
「たくさん実がなるのね。綺麗なオリーブ色」
「食べられないよ」
「あれは?」
「ヤドリギ。実は小さくて可愛いけど毒がある」
「物知りね。あっちは?」
「|菩提樹《リンデ》。あの下で古代の裁判が行われたんだ、別名|裁きのリンデ《ゲリヒトリンデ》とも呼ばれている」
「種は莢に包まれて風に乗る。私たちと一緒の旅暮らし」
悪戯っぽく微笑み、妖艶な流し目を投げてよこす。
「ねえ、ダミアン。もしも、もしもよ?私たちに子供ができたらなんて付ける?」
ダミアンは赤面するも、真剣に考え込む。
ふたりはしばしば語彙を交換した。ダミアンはロマの言葉や文化に馴染み、ゾラはダミアンの教養を吸収し、互いを尊重することを覚えた。
だからこそ、未来を託す子供に付ける名前はすぐに決まった。
「|世界《ミルセア》」
ダミアンにとってゾラは、自身を新しい世界へ導いてくれた存在だった。
少年と少女の恋は燃え上がり……領主の反対で潰された。
「ツィゴイネルの娘を娶りたいだと?正気かダミアン、絶対に許さんぞ」
「何故です父上、ゾラはとても聡明で心の優しい子なのに。せめて一度会ってください」
「異端の血を家系に入れるなぞ想像しただけで汚らわしい」
「でしたら僕が家を出ます、それでいいでしょ。どうせいらないんだから父上や兄上だってそっちの方がすっきりしますよね」
「カレンベルクの子が幌馬車で旅暮らしなど言語道断だ!いいか、お前は連中の本性がわかってないんだ。ツィゴイネルは盗みたかりを生業とする恥知らずどもだ、そのゾラとかって小娘も例外じゃない、お前をたぶらかして遺産を狙ってるに違いない」
「ゾラを侮辱するな!父上がなんと言おうと絶対結婚する、一緒に生きてくって決めたんだ。子供の名前だって決めてある、ツィゴイネルの名前だよ」
「貴様孕ませたのか!?」
直談判したのが間違いだった。
翌日広場に行ってみるとツィゴイネルの幌馬車は消え失せ、もぬけのからになっていた。ゾラの姿はどこにも見当たらない。
父の差し金だと気付いた時には遅かった。
若かりし情熱の赴くままダミアンとゾラは結ばれ、大人の都合で引き裂かれた。
少年はまた独りになった。
体裁を重んじる領主は三男坊の不行跡に激怒し、彼を遠く離れた村の修道院に放り込んだ。
もとよりダミアンは信心深い少年だった。カトリックへの信仰心篤く、聖書の勉強も熱心だった。
だがしかし、ゾラとの出会いと前後してカトリックの教義に疑問を呈す。聖書は異教徒を公然と非難している。ゾラは洗礼を受けておらず教会にも通ってない、故に異端の誹りを免れない。
だけどダミアンには、どうしてもゾラが火炙りにされてしかるべし罪人とは思えなかった。
聖書には本当に真実が記されてるんだろうか。
神様だって間違える事があるんじゃないか。
僕のように。
父のように。
胸の奥底に芽生えた疑念は日毎に育ち、神への信仰心が試される。
それでもまだ、ダミアンは神を信じていた。
修道院での日々は表面上穏やかに過ぎていく。清貧と禁欲が此処の戒律。厳しく細やかな規則も順応してしまえばさして苦でない。
修道僧ならびにその見習いたちは中庭で薬草を育て、あるいは蜂を飼い蜜を採り、自給自足の暮らしをしていた。
ダミアンは父に幻滅していた。既に実家に見放された身、将来は修道士になる道しか残されてない。
一方でゾラへの未練に囚われ、毎晩の如く夢を見ながら、脱走計画は思い描くだけで実行に移せずにいた。
「おはようございますダミアン、院の暮らしには慣れましたか」
「はい、漸く」
「良い心がけです。精進なさい」
老修道士が柱廊ですれ違いざま、肩を叩いて去っていく。
食堂では先輩修道士が隣の席に招いてくれる。
「こっち来い。ルーベン領主の三男坊なんだって、お前。何やらかしてこんなシケたとこ送られたんだよ」
「ツィゴイネルの子と仲良くなっただけだ。悪いことはしてない」
「ソイツは驚いた。大人しそうな顔してやるじゃん、見直したぜ」
修道院の食事は質素だった。パンと副菜二品の他は野菜に果物、蜂蜜酒が付くだけで育ちざかりには物足りない。
「私語は厳禁ですよ」
「すいません」
修道士に厳しく注意され、おどけた顔で引き下がる先輩に頬が緩む。
生き別れたゾラに続き、二人目の友達ができた。
修道院の生活は単調だ。ひたすら修行と祈りの日々。畑を耕し蜂を育て、食事をとった後は就寝する。
半年が経過する頃にはゾラの面影は薄れ、修道士になるのも悪くないと思い始めていた。
その矢先、体に変化が起こる。
「……ッ……」
夕食後に沐浴し僧房に下がって間もなく、寝苦しさに襲われた。ベッドの中で身動ぎし、寝返りを打ち、謎の火照りを持て余してシーツを掻きむしる。
見れば股間が膨らんで、下穿きを苦しげに押し上げていた。
聖書は自慰を禁じている。なのにしたくてたまらない。
生き地獄のはじまり。
それからは夜毎体が火照って体が疼き、明け方まで悶え苦しむはめになる。
隣で寝ている仲間には知られたくない。告げ口されたら……考えただけで恐ろしい。
「ゾ、ラ」
夜毎夢を見た。裸のゾラが現れた。ある時は無邪気に手招きし、ある時は放埓に股を広げ、娼婦のようにダミアンを誘惑する。
『来て、ダミアン』
「嫌だ」
『貴方が欲しいの』
「来るな」
これはゾラじゃないと理性が否定する。サキュバスがゾラに化けているのだと決め付ける。
しばらく寝不足の状態が続き、日中の修行にも身が入らなくなる。
夜通し火照りと疼きに悩まされ、股間に伸びる手を辛うじて制す。
「うっ、ぐ、ぁ」
恥ずかしい。
知られたくない。
夢魔に魅入られたのか?
歯を食いしばり喘ぎを殺し、シーツを巻き込んで身悶えし、大量の汗をかいて葛藤する。
隣のベッドでは見習いが熟睡している。声や物音をたてたら気付かれる。
一体どうしたらいいんだ。
僕は破戒者なのか。
しまいには縄を咥え自分の手を縛ろうとするも上手くいかない。
「顔色悪いな。眠れてねェの?相談のるぜ」
薬草の手入れをしている最中、親密な間柄の先輩がこっそり話しかけてきた。
彼なら信頼できるかもしれない。
ダミアンは追い詰められていた。体の悩みを誰かに相談したかった。
先輩は新入りに親切だった。
監督役に見咎められたら折檻をうけるのを承知で、空腹のダミアンにパンや蜂蜜酒を分けてくれたことさえある。
だから。
「実は……」
恥を忍んで告白した。夜毎淫らな夢を見ること、火照りを持て余すこと、いけないとわかっていながら自分を慰めそうになってしまうこと。
真っ赤な顔で俯くダミアンの言葉に耳を傾け、「まかせとけ」と先輩は請け負った。
「珍しかねェよ、新入りにはよくあるんだ」
「本当に?どうすれば」
「簡単だ」
そしてまた夜が訪れた。
同室の見習いはすぐ寝息を立て始める。ほどなく扉が開き、蝋燭を持った先輩が忍んできた。片手に縄を持っている。
「コイツで手を縛っちまえば、したくてもできねえだろ」
「でも自分じゃ」
「手伝ってやるよ」
ダミアンは心から感謝した。
先輩は蝋燭皿を机に置き、ベッドに座ったダミアンの両手をロープで束ね、強く縛り上げた。
「痛ッ」
「悪い、キツすぎたか」
「ほどけると困るからこれ位で」
「ちょうどいい」と言いかけ、言えずに押し倒された。先輩がダミアンの口を塞ぎ、下穿きをずらし、猛りきった剛直を押し当ててくる。
「ん゛ん゛ッ、ん!?」
「馬鹿だなあお前。蜂蜜酒に混ぜ物にしてあんの気付かなかった?」
夕食時、必ずダミアンを呼んだのには下心があった。
隙を突いて薬を盛るのは簡単だ。
修道院で栽培している薬草には催淫効果のあるものが含まれる。
「全部お前が、ッぁ」
「抵抗しても無駄だぜ、両手を縛られてちゃあな」
「こんなこと神様がお許しになるわけ、ひっ」
陰茎を掴まれ、素股を擦り立てられる。
「体が火照ってたまらねえんだろ?素直になれよ。大丈夫、神様は寛大なお方だ。自分に仕える子羊の戯れ位、笑ってお許しになるさ」
「いやだあっちいけ、大声出すぞ!」
「やってみろ、隣のヤツが起きたら恥かくのはお前だ。ここ以外に行くあてあんのか?ねえだろ。お互い実家に勘当された身だって思い出せ」
体格と膂力ではかなわない。なお悪いことにダミアンの両手は縄で縛られている。
先輩はダミアンを後ろ向きにし、力ずくで両膝をこじ開け、排泄の用途しか知らない後孔を貫いた。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」
痛い。
苦しい。
凄まじい異物感と不快感。
瞼の裏で真っ赤な光が爆ぜ、抽送の都度生木が裂けるような激痛が襲い、シーツにぱたぱた血が滴る。
「うぶい顔しやがって。初日から目ェ付けてたんだ」
誰か助けて。
父上。
兄上。
ゾラ。
凌辱は一度で終わらない。以来先輩はダミアンのもとに通い詰め、夜毎体をもてあそぶようになる。
「なあ、どうやってツィゴイネル女を口説いたんだ?聞かせろよ」
「うう゛ッ、うっぐ」
好き勝手に揺さぶられ突っ伏す。
汗ばむ背にのしかかり、鈴口から先走りを滴らすダミアンの陰茎を捏ね回し、優越感に酔った先輩が嘲る。
「我慢せず喘げ。隣のヤツはよく寝てる、どうせ聞こえねえって」
何度も神様に祈った。
助けてくれと縋った。
無駄だった。
先輩の行状は日に日にエスカレートしていく。
「あッ、あッ、あぁあッ!」
僧房の天窓から注ぐ青白い月明りが、先輩に激しく突かれ絶頂する少年の痴態を暴く。
願いは叶わず祈りは報われず、ダミアンは堕ちていく。
ある時は目隠しをされた。ある時は布きれで陰茎を縛られた。ある時は股間をしゃぶらされた。
「必ず天罰が下る」
「は?みんなやってるぞ」
「嘘、だ」
「嘘なもんか」
「でたらめ、だ」
「修道士も司祭様もみんなヤッてる、あっちこっちでヤりまくってる。女人禁制の修道院で男色が流行るのは必要悪ってヤツさ、そのへんキリスト様もちゃあんとわかっておいでだ、固てえこたあ言わねえよ」
嘘だ。耳を貸すな。神様はちゃんと見てる、いずれ必ず天罰が下る、コイツを裁いてくださるはずだ!
ゾラに会いたい。
抱き締めたい。
でもできない。
僕は穢れてしまった。合わす顔がない。
今宵も先輩はダミアンの房を訪ね、彼を裸に剥き、絶倫に責め立てる。
軋むベッドの上で腰を振ってる最中に気配を感じ、ふと隣を見れば同室の見習いと目が合った。
ダミアンの痴態を眺めながら、夢中で自慰に耽っている。
ここは地獄だ。
月光で引き伸ばされた影が石床に穿たれ、蠢く。自分に覆いかぶさる男に巻角としっぽが生え、異形の悪魔に変わりゆく。
絶望のどん底に叩き落とされ、現実逃避に身を委ね、それでもまだ悪夢は終わらない。
ある日の夜更け、事が済んだ先輩が帰った後。急に腹痛に襲われ、蝋燭を持って僧房を出た。腸内に射精され腹を下したのだ。
最低に惨めな気持ちで用を足して戻る最中、柱廊の奥に怪しい影が蠢いていた。
なんだろうと蝋燭を掲げ、ダミアンは見た。
優美な穹稜が連続する柱廊の奥、蝋燭の炎が朧に照らす礼拝堂でサバトが開かれていた。
白髭の修道士と司祭が杯を酌み交わし、跳びはねるように歌い踊っている。
「おおダミアン、良い所に」
「宴もたけなわだ、お前も来い」
「我らがいと高き主に栄光あれ!」
「栄光あれ!」
正気の沙汰ではない。酒に阿片でも入っているのか。司祭が弛緩しきった笑顔でダミアンを手招き、修道士が腕を掴んで引きずり込む。真鍮の蝋燭皿が床を打ち、白い蝋燭が横倒しに転がる。
礼拝堂の壁には等間隔に蝋燭が燃えていた。周囲には大勢の修道士が集っている。総じて半裸か全裸、全身が照り光っているのは香油を塗りたくっているからか。
夢と現の区別すら付かない乱痴気騒ぎの渦中、少年は凌辱された。
「おやめください、ッは」
「何を嫌がる?通過儀礼だ」
「洗礼だ」
「喜べダミアン、これで漸く我が院の一員になれるぞ」
「共に主を寿ぎ祈りを捧げようではないか」
司祭が口元に杯を突き付け、無理矢理酒を呷らせる。修道士がダミアンの蕾に香油を塗り込め、赤黒い剛直をあてがい、奥まで刺し貫く。
「お前は我々に奉納された贄だ」
「主に尽くすように儂らに尽くせ」
壁の蝋燭が照らしだす異形の宴。山羊の角を生やした悪魔たちがダミアンに群がり、愉快げに高笑いする。逃げようにも多勢に無勢でどうにもならず、恥辱を耐え忍ぶよりほかない。
酒の効果で全身が悩ましく火照り、陰茎が固くなる。
「お許しください司祭様、なんでもいうこと聞きます、痛いのはいやです」
「安心なさい、痛くはせんよ」
神様はただ見ているだけで迷える子羊の嘆願に応えない。礼拝堂に飾られたキリスト受難像は沈黙している。
「あッ、ンあっ、ふぁあっ」
入れ替わり立ち替わり体の奥の奥まで犯された。誰かがダミアンの頭上に酒を注ぎ、背中に垂れ広がる雫をぴちゃぴちゃなめる。けだものに嬲られてるようで吐き気がした。
頭が朦朧とする。幻覚が現実を蝕み、礼拝堂で乱交に耽る連中が悪魔の本性をさらす。
「良い子だダミアン。股を開きなさい」
「ぁ、うぐ」
貧弱な下肢を押し広げ、巨大な男根が挿入される。抽送の律動が新鮮な痛みを生じ、狂ったように前立腺を突かれ、とぷとぷ先走りを漏らす先端がもたげていく。
「我らが主に全てをさらしなさい」
「お許しを司祭様、ぁあっ」
「おやおや床にたらしてはいけないよ、オナンの戒律を忘れたのかい?綺麗になめてあげようね」
入れ替わり立ち替わり修道士たちが尻を犯す。ダミアンの精液を直接啜り、司祭が恍惚と呻く。
「若人の精液は美味い。生き返る」
蝋燭の炎が縮んで膨らみ、壁や床に投じられた影たちが不気味に蠢く。誰かがダミアンの茶髪を一房すくい、後ろから手を回して乳首を搾りたて、乳白の蜜が滴る陰茎を揉みしだく。
さらには軽い体を抱え上げ、深々と貫き、対面座位で揺すり、十数回の絶頂に至らしめる。
「あッ、ぁッ、ぁあっ」
「気持ちいいか。良い所にコリコリ当たるか。そんなに仰け反ってはしたない子だ、ぎゅうっと食い締めてくるぞ」
薄らぐ激痛に底なしの快楽が取って代わり、自らねだるように腰を押し付け、涙と涎をたらして喘ぐ。
司祭が意地悪く含み笑い、淡い桃色の乳首を吸い立てる。
「ダミアンの名前の由来を知ってるかい?ラテン語の飼いならす、調教師、抑制するもの。そして供物」
「お前は我々の供物として捧げられたんだよ、喜んで奉仕なさい」
近く遠く声が響く。目に映る光景がグロテスクに歪み、蹄と角を備えた悪魔の群れに取り囲まれる。
「あっ、ンああ゛ッ、ふあっあっ気持ちいっ、ぃくっ、ぁあっあ゛あ」
醜悪な肉瘤を生じたペニスが猛然と出し入れされ、山羊の尻尾が脚に巻き付いて締め上げる。
「あッ止まんなッ、やだっ司祭様たすけっ、ぁあっあ」
悪魔たちが踊り狂い、少年の肉体を貪り尽くす。
顔を跨いでフェラチオを強制し、かと思えば蝋をたらし、弾む尻を突き上げて前立腺を狙い打ち、大股開きで潮を吹かせる。
「んっむ、はぁ」
礼拝堂の石床に這い蹲り、両手と口で修道士に奉仕するダミアンの尻と陰茎と乳首を別の男が責め苛む。
蝋燭の炎に映えるイエスの顔は、信徒の堕落を嘆く翳りを帯びていた。
ダミアンが送られた修道院は、一族の面汚しを厄介払いする場所だった。
多額の献金と引き換えに貴族の問題児を預かり、薬と快楽漬けにして調教を施す不徳の温床。
『まあ跡継ぎは足りてるし、ね』
『異端の血を家系に入れるなぞ想像しただけで汚らわしい』
結論として、ダミアンは父に売られたのだ。
翌日、ダミアンは脱走した。
修道院には二度と帰らなかった。
信じていた人たちにことごとく裏切られた。それは神の裏切りに等しい。
ダミアンはさすらった。
修道士見習いの身で路銀は持たず、三日もせず行き倒れ、目が覚めれば粗末なベットに寝かされていた。森の入口付近で倒れた事は覚えている。
ダミアンを拾ったのは、黒い森に住む薬師の老婆だった。
「こき使っても文句をたれない、便利な助手がほしかったんだよ」
ダミアンは老婆と共に暮らし始めた。
薬師の助手を務めるに際し、修道院で育てた薬草の知識や実家で学んだ読み書きが役に立った。
人間嫌いで気難しい老婆だったが、いたずらに過去を詮索してこない距離感は心地よい。
老婆のもとには様々な用向きの村人が通ってきた。二日酔いや冷え性の特効薬、悪阻止めを求めにくる者もいた。産婆として駆り出されることも多い。
「エッカルトの女房が産気付いた。行ってくるよ」
「僕は?」
「留守番してな」
お産の手伝いは女の仕事と決まっており、男のダミアンは待機を命じられる。村にはベテラン産婆のグレーテルもいたが、命に関わる難産の時は、陣痛を和らげる薬湯に詳しい師匠が指名された。
「ヤナギの樹液を煮出した煎じ湯を飲ませるのさ。解熱と鎮痛作用がある」
とはいえ、全員を救うのは難しい。
夜更けに扉が開き、何者かが敷居を跨ぐ。寝ずに待っていたダミアンは蝋燭を捧げ持ち、憔悴しきった老婆を出迎える。
「おかえりなさい師匠。お産は……」
「死んだよ。両方とも」
母親か赤子のどちらか、あるいはその両方が死んだ時、日頃から少ない老婆の口数はさらに減った。
暖炉前の椅子に沈み、ため息に暮れる老婆の姿は痛ましく、黙って付き添うしかできないのがもどかしい。
暖炉に薪を放り込み、老婆は言った。
「全く馬鹿げてるよ。お産の場は男子禁制だなんてね。お前がいてくれたらもっと……いや、過ぎた事さね。忘れとくれ」
うちひしがれた独白で思い出したのは、十数年前に聞いた、ゾラの嘆きだった。
中世の乳幼児死亡率は高い。平民や百姓の子となれば尚更だ。移動中の馬車の荷台で出産するツィゴイネルの場合はさらに危険が伴い、大勢が命を落とした。
『母さんは私を産んで亡くなったの』
誰が死んでも哀しいが、日の目を見ずに死んだ赤子の葬儀は心が塞ぐ。
老婆は無力を噛み締め落胆し、ダミアンは森でローズマリーやカモミールを摘み、それを墓に手向けた。
洗礼を受けず死んだ赤子の魂は|辺獄《リンボ》へ流れ着くと聖書には書かれていた。
何故そうなるのかダミアンにはわからない。罪なき赤子の無垢な魂は、真っ直ぐ天国に昇ってほしい。
神様の言うことなすこと全て正しいとは限らない。
時に遠方からの訪ね人もあった。民間療法に通じた老婆はそれぞれによく効く薬を煎じ、卵やパンやチーズ、野菜や葡萄酒と物々交換する。
地下室の本棚を整理している時、古い本を見付けた。手書きの写本だ。中には魔方陣の描き方が記されていた。
老婆の正体は魔女だった。
「言うかい?」
戸口に立ち塞がる師の問いに対し、静かに首を振る。
「そんな恩知らずなまねできません。貴女のことは尊敬してるし、いなくなったら村の人たちが困る」
本音を言えば、保身が働いた。
「僕は修道院から脱走しました。今も追っ手がかかってるかわからないけど、目立ちたくないんです」
修道院に連れ戻されるのも実家に帰るのも願い下げ。この人は確かに魔女かもしれないが、神を騙る連中より余っ程マシだ。
この一件を境に正式な弟子と認められ、魔術の教えを施された。
老衰で息を引き取る間際、魔女は言った。
「いいかいダミアン、魔術の濫用は禁物だよ。アレは最後の切り札だ。生涯使わずすませられんならそっちの方がずっといい、だがもし使うときがきたら」
皺ばんだ手が頭をなでる。
「魂を売り渡しても悔いがないもののために使いな」
先代は大往生した。
ダミアンは偉大なる師を看取り、リルケ村の薬師を継いだ。
ミルセアと会った時は驚いた。ゾラによく似ていたからだ。
最初は他人の空似だと思った。黒髪黒目に褐色肌のツィゴイネルだから似ているように感じるのだと、未だ初恋の女を忘れられない、おのれの未練がましさを嘲った。
全ての始まりは地下室の戸締まりを忘れた事。荒くれものたちが小屋に雪崩れ込み、ツィゴイネルのガキを見かけなかったかと聞いてきた。ダミアンが知らないと答えると舌打ちし、さっさと帰って行った。
その後地下室へ下り、あの子を見付けた。
美しい少年だった。
天鵞絨さながら艶めく漆黒の髪、なめらかな褐色肌。長い睫毛に縁取られた御影の瞳は激情に燃え、肉感的な唇が震えている。
ダミアンは少年を匿った。
嘗て老婆がそうしたように。
怪我人を叩き出すのは論外。行き場がない孤児となれば尚更。詳しい経緯を聞かずとも、例の荒くれものたちに追われているのは明白だった。
少年はミルセアといった。
ロマには珍しくない名前。単なる偶然だと思った。
心を許してくれるまで少し時間がかかった。ツィゴイネルの境遇を思えば無理もない。
「気がすむまでいてくれよ」
ダミアンはミルセアに薬草の名前や種類、読み書きを教えた。
彼と過ごす時間は楽しかった。ゾラと睦み合った、少年時代のひとときを思い出した。
ミルセアはダミアンが成人後に得た家族だった。
血の繋がりがなくともそこには情が通い、確かな絆が育まれていった。
嘗ての過酷な体験で信仰心は打ち砕かれた。
迷えるダミアンに手をさしのべたのは神にあらず、気まぐれな魔女だった。
やがてミルセアの成長が人生の喜びとなり、彼が大人になるのをそばで見届けたいと願うようになった。
だが、そうはならなかった。
ダミアンは禁忌を冒した。
羊皮紙に向き合い、何度も何度も自問自答した。僕は間違ってないと自己暗示をかけ、されど信じきれず、最後には屈した。
僕は間違っていたかもしれない。
若い男の身でマルガレーテのお産を手伝った、陣痛を和らげる薬湯を飲ませた、産褥に弟子を立ち合わせた……どれも教会が定める禁忌に抵触する。
だからペーターが死んだのか?
マルガレーテも死んだのか?
自分が間違っていたとは認めたくない。あの場はああするしかなかった。
でも。
だけど。
ダミアンは弱い人間だ。
それまで親切だった村人たちは手のひら返し、ダミアン・カレンベルクを石もて追い立てた。
ダミアン最大の後悔は弟子を巻き込んでしまった事だ。
赤子殺しの罪を引き受けるのは自分一人でいい、ミルセアまで糾弾されるのは耐え難い。
額に接吻して瘴気を吹き込んだ?笑わせる。なんとでも言え。僕は誇り高い魔女の弟子だ、この身にうける石ころ程度痛くも痒くもない。
だけどあの子は、ミルセアは関係ない。
僕の本性など知らず、無邪気に一途に慕ってくれた。
生まれたての赤ん坊を抱いたあの子の笑顔を誰にも否定させてなるものか。
たとえ神が見放そうともこの僕、ダミアン・カレンベルクが|世界《ミルセア》を祝福する。
固い靴音が谺し牢の閂が外れる。尋問の再開だ。
拷問吏たちが地下牢に踏み込み、床に腹這ったダミアンを蹴飛ばす。
「起きろ」
「審問官様はまだお休み中だ。あとは俺たちに任せるとさ」
屈強な男が鎖を巻き上げ、ダミアンを吊る。
「あの村にゃ他にも魔女がいるんだろ。誰だ、名前を言え」
「知らない」
背中に鞭が飛来し衝撃が爆ぜる。拷問吏は舌なめずりし、ダミアンの腿や臀を打擲する。
「ッ、ぐ」
「とっとと吐け!」
「正直に告発すりゃ楽に殺してやる、車輪に縛り付けられて四肢をのばされんのは嫌だろ」
全身に脂汗を滲ませ、一方的に与えられる苦痛をただひたすらにやり過ごす。
暴力がもたらす高揚に酔った男たちが下品に嘲笑い、交代でダミアンを鞭打ち、服をみすぼらしく引き裂いていく。
三十分ほど経った頃、一人が何かを取りだした。
「知ってるか、お前ら。悪魔と契った魔女は体の一か所に契約の印が現れるんだ」
「コイツの体にも?」
「それっぽい痣は見当たらねェな」
「見分けるコツは簡単だ。契約の印が刻まれた場所は痛みを感じねェ」
凄まじく嫌な予感に駆られ、首をねじるように振り向き、極限まで目を見開く。
男が持っていたのは男根を模した巨大な張形だった。
「先入観は禁物。何も『外』にあるとは限らねェよな」
下穿きが引きずり下ろされ、剥き出しの尻にずんぐりした張形が突き付けられる。
「よ、せ。やめてくれ」
ヒューヒューと不規則な呼気を漏らす。
ささくれた喉を唾で湿し、怯えた声で制すも、それは拷問吏の嗜虐心を煽るだけに終わる。
「魔女は胎内に契約の印を持ってるって、審問官様がおっしゃってたぜ」
「悪魔の男根が焼き鏝代わりに刻むんだな」
「たまげたなあ」
「契約の印なんて持ってない、そこだけは許してくれ、汚い、ッぁあ」
修道院で凌辱された、忌まわしい過去が甦る。
必死に懇願するダミアンの腰や尻、太腿を張形でなぞり、敏感な会陰を押し上げて拷問吏がうそぶく。
「魔女の分際で審問官様直属の部下に意見する気か?こっちは真っ赤に炙った焼き鏝突っ込んだっていいんだぜ」
「ぐっ……」
汗と動悸が止まらずめまいがする。がしゃんがしゃんと鎖が揺れ、体を雁字搦めにする。
恐怖と嫌悪に慄くダミアンの腰を掴み、後孔に先端を押し当て、拷問吏が囁く。
「リルケ村の魔女の名前を挙げろ」
「だから知らないって言ってるだろ、村の連中とは親しくないんだ!」
張形の先端がめりこむ。ダミアンが絶叫する。
「ぁっ、あ゛ぁっ、あっああ゛ああ」
「ほうら、みるみる飲み込んでいくぞ」
肛門が裂け、内腿を血が伝い落ちる。
亀頭が誇張された張形が後孔を拡張し、媚肉が蠢く直腸を押し進み、前立腺をガツガツ殴り付ける。
拷問吏が口笛を吹いてひやかし、手首に捻りを加えて抜き差しし、一方で陰茎をまさぐり育てる。
「まだ三分の一だ、音を上げるなよ」
「うっ……」
「魔女の名前を吐け」
「本当にしら、ない、たすけて」
窄めた爪先で床を探り、うなだれて呟く。涙と汗と洟汁に塗れたダミアンの顔を一瞥、張形が根元まで埋まる。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッぁあ」
「ふしだらな魔女め、拷問で悦んでたんじゃ世話がないな」
「張形で貫かれて絶頂したのか。てこたァ契約の印は腹ん中か、どうりで外からじゃわかんねえはずだ」
「もっと奥まで抉りこめ、だらしねえ孔に栓をするんだ」
「待、て、やめっ、ぁあっあ」
前に回った一人がダミアンの陰茎を乱暴に捏ね回し、鈴口に溢れた先走りを裏筋に塗り広げる。後ろをとった一人が張形を動かし、奥の奥まで抉り込んでは引き抜く。
「勝手によがるんじゃねえ、ちゃんと答えろ。悪魔のイチモツはこれよりでっけえのか、ええっ?」
「ぁあっ、苦ッ、もうやめ、ンぁ」
「瘤でゴツゴツしてんのか?槍みてえに尖ってんのか?猫みてえに棘が生えてんのか、豚みてえに巻いてんのか」
「違ッ、おねが、抜いて、ぁっあぐ、ぁっンあっ」
抜き差しの都度充血しきった肉襞が絡み付き、前立腺のしこりが刺激される。
拷問吏たちはダミアンの醜態に笑い、劣情し、遂には鎖を巻き落とし、膝這いの姿勢をとらせた彼の口元にペニスを突き付ける。
「淫蕩な魔女め」
「審問官様に代わって仕置きしてやる。さあ、ご奉仕しな」
尻には相変わらず張形が突き刺さっていた。ダミアンは舌を出し、這い蹲り、拷問吏たちの肉棒をしゃぶり始める。生臭い匂いが鼻孔を突き、苦い汁が口に満ちて吐き気を催す。
「ぬい、て、くださ、ぁッあンぁあっ」
一人がダミアンの髪を鷲掴み、尻に生えた張形を靴裏で蹴り込む。衝撃でペニスが痙攣、大量の白濁をしぶく。
「見ろよ、もらしちまった」
「度し難い淫乱だな」
「契約の印を突かれたんだろ」
石床に突っ伏しヒク付くダミアンの頭を踏み躙り、唾を吐き、張形をぐぷぐぷ動かす。
ダミアンはゾラが身ごもっていた事を知らなかった。子供の名前は夢物語にすぎない。
目の前にミルセアが現れたのは偶然だと思っていた。ところがただの偶然で片付けるには、あまりにゾラに似すぎていた。
まさか。
ひょっとして。
母の形見と紹介されたヴァイオリンは、ゾラの物に似すぎてないだろうか?
ミルセアが演奏したツィゴイネルの音楽は、嘗てゾラが弾いたのと同じ曲だった。
二年間共に過ごした弟子の素姓を詮索しなかったのは、真実を知るのが怖いからに尽きる。
もしミルセアがゾラの子供だったら?
ダミアンの血を分けた息子だったら?
そんな事がはたしてありえるだろうか。
ミルセアのヴァイオリンは母の形見。どのみちゾラは死んでいる、ダミアンが殺したようなものだ。
彼女が村から追い立てられた事も知らず、幸せな未来を思い描いてたなんてお笑い草だ。
万一ミルセアがゾラの子であり、ダミアンの息子であったとしても、今さら名乗りでる資格はない。
僕は穢れている。
真実を知ったら、ミルセアだって軽蔑する。
ミルセアが体を売ったのは生きるため。僕はどうだ?最後の夜は乱交に混ざり、嬉々として腰を振ったじゃないか。
ゾラを裏切った。
きみを裏切った。
これはその罰だ。
ダミアンのもとに来て二年もする頃にはミルセアは立派に成長し、類稀なる美貌の青年として知られるようになった。
村人たちの一部からは単なる師弟以上に親しげな様子を怪しむ声が上がり始め、苦渋の決断を迫られる。
エルマー親方へ弟子入りを勧めたのは、下世話な噂が届かないようたち回る限界を感じたから。
ミルセアが巣立てば師弟の仲を勘繰る物好きはいなくなる。彼は村の一員として認められ、幸せな家庭を築くことができる。
それが破滅の兆しになるとも知らず。
結果としてダミアンは説得に失敗し、師弟の間に溝ができた。
話し合いが決裂した数日後、ミルセアは洗濯物を持ち小川へ行った。
ダミアンはもういちど弟子を諭そうと後を追い、川のほとりに蹲るミルセアを見付け、衝撃的な光景に固まる。
「師匠」
ミルセアがダミアンの上着に顔を埋め、貪欲に匂いを嗅ぐ。その手が股間に伸び、下穿き中に消え、激しく動きだす。
「ッ、ふ」
服に染み付いた匂いを吸い込み、夢中で自慰に耽る弟子の姿にショックを受け、その場から逃げ出した。
ミルセアはダミアンに欲情している。
明らかに師弟以上の感情を持ち、性愛の対象として意識している。
地下室に逃げ込んだダミアンは束の間放心状態に陥り、我知らず股間に手を触れ、弟子の名前を呼んでいた。
「ミルセア」
こんな事しちゃいけないとわかってる。警鐘を鳴らす理性と裏腹に手は止まらず、下履きの中に潜って陰茎をしごき、雫に糸を引かせていた。
「ッふ、ぁっあっ、ミルセアっ」
あの子に求められている。
こんなにも慕われている。
誰かに必要とされている事実が泣きたいほど嬉しく、ミルセアの秀麗な風貌や逞しい手に劣情し、じれったげに腰が上擦り始める。
あの子に愛される人間は幸せ者だ。
羨ましい、妬ましい。
本当は手放したくない、ふたり水入らずで暮らしたい。
「んん゛ッ」
片手を噛んで声を押さえ、腰をくねらせ自慰に耽る。川のほとりのミルセアもそろそろ達する頃か。
あの子に抱かれる自分や抱く自分を妄想し、完全に勃起した陰茎を片手で擦り立て、それでも足りずに後孔をほぐし二本指を突き立てる。
こんな卑しい姿、あの子にだけは知られたくない。
絶対に見せられない。
「はあっ、んっぐ、ミルセア、ミルセアあっ」
嘗て修道院で教え込まれた快楽が甦り、自分の惨めさに泣きじゃくり、ぢゅぷぢゅぷ指を出し入れする。
以来、師弟間の微妙な均衡は崩れた。
ミルセアはダミアンの寝顔を眺めて自慰をする。ダミアンはそれに気付かぬふりをし、地下室で自慰に耽る。
ミルセアがそうしたように弟子の上着を盗み、匂いを嗅ぎながら陰茎をしごき、後孔に指を突き立てた。
何故こうなってしまったのか。
弟子に対し抱いているのは純粋な庇護欲だったはず。
修道院を脱走してから十年以上禁欲生活を続けてきた反動だろうか。
壮絶な体験がトラウマとして刻まれ、生理的嫌悪による拒絶反応が起こり、手淫すら控えてきたのに。
少年から青年へと成長したミルセアに恋されてると知り、自慰の現場を目撃するや欲情を禁じ得ず、その名を呼びながら果てる淫乱になりはてた。
だから、これは罰なのだ。
ハンスの息子ペーターと女房のマルガレーテが相次いで死に、ダミアンは村中の人間に魔女呼ばわりされた。
この手が取り上げたせいで、可哀想なペーターは呪われたのか?
実の息子に邪念を抱いた報いなのか?
「開けてよ師匠、中で何やってんだよ!」
今日もまたミルセアが地下室の扉を叩く。ダミアンは弟子の呼びかけを無視し、羊皮紙に文字を書き付ける。
僕は間違ってない。
僕は間違ってない。
僕は間違ってない。
きみを愛したこと。愛されたこと。求めたこと。求められたこと。初恋の人に似た美しい少年と出会い育てたこと、君の師を務めたこと。
間違ってるはずがない、絶対に。
震える字を羊皮紙に書き付け、くしゃりと握り潰し、机に突っ伏して嗚咽する。
「ごめんミルセア」
僕は君の父親かもしれない。
なのに、君を愛した。
想像の中で息子に抱かれ、近親相姦の大罪を犯した。
この期に及んで父と明かす勇気がないのは、偏に僕の弱さ故だ。
ダミアンは夜な夜な病が蔓延する村を出歩き、村人たちが飼っている鶏を盗み、地下室へ持ち帰った。
「ごめんよ」
斧で首を切り落とし、生き血を絞って魔方陣を描く。
ダミアンはカラスや黒猫を使い魔に仕立て、情報収集に放っていた。師匠から伝授されたごく初歩的な魔術だ。
その使い魔たちが、隣町に滞在している異端審問官一行の動向を告げたのである。
もはや一刻の猶予もない。
先代の写本をもとに正確無比な魔方陣を描き上げ、おごそかに呪文を唱える。
刹那、寒気を感じた。
地下室に濛々と煙が立ち込め、魔方陣の中心に影が立ち塞がり、老若男女区別が付かない声を発する。
「君が召喚者?」
「そうだ」
「名前は」
「ダミアン・カレンベルク」
「願いを言え」
召喚は成功した、のだろうか?
深呼吸で覚悟を決め、足腰の震えを押さえ込み、煙幕に包まれた悪魔を睨み据える。
「僕の弟子を、ミルセアを魔女狩りから逃がしてくれ」
「貴方個人に纏わる願いじゃないんですか」
「僕は魔女の弟子として裁かれるけど、ミルセアには人として生きてほしい」
「もったいぶった言い回しですねえ。お弟子さんを助けてほしいと?」
「そうだ」
「貴方のお弟子さんは明日異端審問官に捕まって獄中死する運命ですよ」
「それを変えてくれって頼んでる」
「代償は」
目を瞑る。
開く。
「僕の魂。寿命全部」
地下室に立ち込めた煙がゆっくり晴れ、魔方陣の中心に佇立する人物の素顔が暴かれる。
「な……」
ダミアンは絶句した。
「ご存知ですか?悪魔はねェ、召喚者がこの世でもっとも愛する人間の似姿をとって現れるんですよ」
そこにいたのはミルセアだった。
天鵞絨めいて艶やかな黒髪を靡かせ、長い睫毛に縁取られた黒い瞳を瞬き、悠々と両手を広げ。
「察するに貴方は、この姿を世界で一番美しいと思ってらっしゃるみたいですね」
「……まだ答えを聞いてないぞ。契約は?」
「成立。と言いたい所ですが、少々代償が足りません」
ミルセアに化けた悪魔が秒針の如く人さし指を振り、猫のような足取りで歩いてくる。
「ねえダミアンさん。本気で地獄に堕ちる覚悟があるなら、僕と契って本物の魔女になっちゃいましょうよ」
ダミアンの頬に手をさしのべ、至近距離で囁き、おもむろに口付ける。
咄嗟に突き飛ばす。
「できるわけない、ミルセアとなんて」
「弟子だから?息子だから?些細な問題ですね。そもそも僕は本人じゃない、ミルセアさんに化けてるだけの偽物ですよ。代わりに想いを遂げた所でだあれも責めはしませんよ」
「離れろ悪魔め!」
「あらあらいいんですかそんな事言って、折角呼び出したのに腹を立ててトンボ帰りしちゃいますよ。貴方の魂と寿命なんて腹の足しにもなりません、そこをちょっとしたお愉しみで賄いたいって申し出たんだから願ったり叶ったりじゃないですか」
「ミルセアは僕の子かもしれないんだぞ、寝れるわけないじゃないか」
「でも貴方ミルセアさんの顔を思い描いて自慰に耽りましたよね?前だけじゃ満足できず後ろまでほじくって」
「やめてくれ!」
「正直になりましょうよ、貴方はミルセアさんが大好きなんです、めちゃくちゃに抱かれたいって思ってるんです」
耳を塞いであとずさるダミアンに詰め寄り、ミルセアの顔をしたダミアンが寂しげに微笑む。
「行かないで、師匠」
ああ。
「アンタが欲しい」
やめてくれ。
「ずっとずっと抱きたかった」
「もうよせ、ミルセアはそんなこと言わない。くだらない妄言であの子を貶めるのはやめてくれ」
「現実から目を背けてるのはどっちさ」
力なく跪くダミアンの顔を手挟み、ほんの少し上向かせ、悪魔が言った。
「俺の物になりなよ」
僕の弟子。
僕の息子。
本当に愛してた。
今も
「ミル、セア」
自身に縋り付くダミアンを抱き締め、その服をはだけ、首筋にキスをする。
「ッ、ふ」
「可愛いね。感じてるの」
ダミアンの茶髪を一房指に巻き付け、鎖骨のふくらみを吸い立て、乳首を摘まんでいじくる。
地下室の上には本物のダミアンがいる。今夜もまた師匠の身を案じ、眠れぬ夜を過ごしている。
「やっぱりだめだ……」
「可哀想で可愛いダミアン。いい加減楽になりなよ」
悪魔が酷薄に笑む。
「本物を助けたいんでしょ?」
冷たく固い石床に押し倒される。悪魔がダミアンに跨り、猥らがましく陰茎をしゃぶり、準備が整うと同時に貫く。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ぁあぁ」
霞む視界の彼方、獣性全開のミルセアがダミアンの腰を掴んで打ち込む。
「『ここ』も本物と同寸大ですよ、たっぷり味わってくださいね」
「ぐっ、ふっ、あッうっ、抜けっ、あぁ」
本物に聞かせまいと声を押さえ、されど押さえきれずに高まり、ドロドロに蕩けた顔で泣き叫ぶ。
「気持ちいいでしょ父さん、すっごい波打ってるよ」
「あッ、あッ、ミルセアそこッ、ふあぁッ」
気持ちいい。止まらない。めくるめく荒波に翻弄され理性が蒸発、しとどに涎をまきちらし腰を振る。
悪魔は根元まで深々押し込み、かと思えば快感を増幅する一点を突きまくり、発狂寸前のダミアンを容赦なく追い詰めていく。
「ねえねえ実の息子に犯される気分はどうだい、最高に背徳的でたまらないでしょ、こういうのが好きだって知ってるよダミアン・カレンベルク。大人しそうな顔して本当にどうしようもない淫乱だね、前が大洪水じゃないか!ほらほら上手にイッてごらんよ父さん、沢山出たら褒めてあげるからさ!」
「ミルセア、ぃくっ、も、やめ、ぬい、て、あっあッそこっ、おかしくなるッ」
ダミアンが激しく仰け反り絶頂を迎え、悪魔が衰え知らずの陰茎を引き抜く。
「今度はこっち」
疑問の眼差しを受け流し、またもやダミアンの上に跨り、白濁に塗れた陰茎を唇で浄め始める。
「許してくれ」
「駄目だよ。ちゃんと見るんだ」
ダミアンが腕で顔を覆うとするのを許さずこじ開け、再び勃たせた陰茎に後孔を添え、大胆に腰を下ろしていく。
「ンっ、ふうっ……は、ははっ。全部入った」
ミルセアがダミアンの知らない顔で舌なめずりし、繋がった腰をぐりぐり回し始める。
「童貞捧げたのは母さんに続いて二人目、かな」
夢なら早く覚めてくれ。
「ああンっ、ふぁあっすごっ、でっかくなったぁ」
悪魔がダミアンの上で跳ね回り、甘ったるく喘いだ直後に何かが爆ぜ、華奢な腰をぐっと掴んで突き上げる。
「ひゃうっ!」
可愛い声を出して仰け反る悪魔に続けざま杭を打ち込み、唇を吸い、縺れるように転げ回る。
「気持ちいいよ、父さん」
「僕もだ。ミルセア」
魔方陣の中心で悪魔と抱き合い、唇と肌を重ね、上になり下になり交わる。
嗚呼。
夢なら永遠に覚めないでくれ。
『契約成立です。お代はしかといただきました』
何度も絶頂し、何度も果て、漸く回復を遂げた頃には悪魔の姿は消滅していた。
地下室に残されたのは鶏の生き血で描いた魔方陣と裸の青年のみ。
「うっ、ぐ」
その夜、一人の魔女が生まれた。
『気持ちいいでしょ父さん、すっごい波打ってるよ』
そんなふうに呼ばせたかったんじゃない。
『気持ちいいよ、父さん』
そんなセリフ望んじゃない。
僕はただ、家族になりたかっただけなのに。
仮に悪魔の言い分が正しいなら、魔方陣の中心にミルセアが立っていた時点で、ダミアンの最愛は変わっていたのだ。
「気絶したか」
「行くぜ。反応なきゃツマンねえ」
拷問吏たちが騒々しく去ったあと、地下牢に一人残される。
ダミアンは虚ろな目を宙に据え、ひび割れた唇を動かし、嘗て聴いた旋律を口ずさむ。
悪魔はミルセアのヴァイオリンを持ち去っていた。
また守れなかった。
俯けた顔に会心の笑みが浮かび、伏せた目が意志の光を灯す。
「……当てが外れた、な。それを弾けるのはあの子だけだよ」
アレはミルセアのヴァイオリンだ。
リルケ村の薬師、ダミアン・カレンベルクの一番弟子の宝物。
「他人の為に弾きたくないって、ミルセアはそういったんだ。あの子は僕の為に、僕だけの為にヴァイオリンを弾いてくれる。人まねが得意なまぬけな小悪魔さんは、一生かかったって最高の音を引きだせないよ」
ざまあみろ。
「一生お預けくらってろ」
饐えた地下牢で人知れず勝ち誇り、虚脱しきって目を瞑り、まどろむ。
次に生まれ変わるならヴァイオリンになりたい。
あの子のヴァイオリンに宿って、あの子の弓で弾かれて、あの子の為に世界を訳してあげるんだ。
僕の言葉で。
君の為に。
苛烈な拷問に負けて隣人を売らなかったのは愛する息子の為。
ダミアンが告発した隣人が別の隣人を売り、その隣人がまた別の隣人を売り、延々憎悪が連鎖する。永遠に魔女狩りが続く。
もし今悪魔の力を借りてミルセアを逃がす事が叶っても、その先でまた災禍に巻き込まれたら……
あるいはミルセアの子孫が惨劇に見舞われたら、僕にはどうすることもできない。
だから今、ここで断ち切る。
僕一人の力じゃ歴史を変えるには及ばずとも、命をかけるに値するこの沈黙は、巡り巡って世界を良い方向に導くはずだ。
『いいかいダミアン、魔術の濫用は禁物だよ。アレは最後の切り札だ。生涯使わずすませられんならそっちの方がずっといい、だがもし使うときがきたら』
師匠。
『魂を売り渡しても悔いがないもののために使いな』
これは僕たち人間が使える、ささやかすぎる魔術だ。
神様は音楽の中に宿る。
あの子のヴァイオリンは世界に福音をもたらす。
西暦1472年10月11日、リルケ村の薬師ダミアン・カレンベルクは異端として火刑に処された。
享年29歳。
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