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将門編・2

「でも俺は外では喋らないからな?」  念だけ押して、朝陽はトイレから出る。  ——あれ? ここに居た地縛霊が居なくなってる?  朝陽が配属されている部署からトイレに行くまでの通路途中には、朝陽が入社してきてからずっと女の地縛霊が立っていた。  地縛霊はその場を動けない筈だ。  居なくなっているのはおかしい。  朝陽が足を止めて見つめているのに気が付いたのか将門が言った。 「そこにおった女なら邪魔だったから喰ったぞ」 「喰った~⁉︎」  思わず素っ頓狂な声を出してしまい、朝陽は咄嗟に己の口を手で押さえる。 「美味くはなかったが、霊力の向上には打ってつけだったな」 「桜木、急にどうした?」 「いえ、何でもありません」  案の定怪訝な表情を向けられ、朝陽は将門から逃げる様にその場を後にした。  珍しく定時に上がれた朝陽は、早速服の量販店に向かっていた。  細身の朝陽はMサイズで間に合う。  百七十センチと身長はそこそこあるので、腕の長さに合わせてたまにLを買うくらいだが、将門にはそれでも狭そうだったのを思い出す。  3Lくらいでいいのかもしれないと思案し、上下セットで尚且つ着回しがききそうな服を何着か買って帰路に着く。  予定外の出費に胃が痛んだ。  その間も将門は朝陽の隣を歩いている。  朝陽が頼んだ通りに黙ったままでいてくれるのは有り難かった。  チラリ、と視線を上げた。  朝陽の頭一つ分くらいは身長が高く、また、眉間に皺を寄せているからか妙に威圧感がある。  パッと見は裏社会の人物に見えなくもない。  年齢的には二十代半ばに見えた。  改めて見ても、ルックスとスタイルが抜群に良い。  芸能人だと言われても納得出来るくらいの独特な雰囲気とこの容姿では、他者を魅了して止まないだろう。  朝陽だけにしか見えないのは、残念に思えるくらいだった。  それとは別に常に圧を放っている将門がいるお陰で、今まで無駄に寄ってきていた浮遊霊が一切寄って来なくなった。  寧ろ悲鳴さえ上げて逃げていくから、朝陽としては普段の生活よりも楽だった。  ワンルームの部屋に着き、スーツジャケットを脱いでネクタイを緩める。  それから買ってきた荷物を漁った。 「これ着てみてくれ」 「うむ」  将門が部屋着を脱いで、新しい服に袖を通す。 「ああ。3Lでちょうど良かったな。将門は筋肉の厚みがあるから、これでも小さかったらどうしようかと思ったけど」  もう一度袋を漁って今度はズボンと下着に手をかける。  そしてハタと気がついた。  何で霊に服なんて買ってるんだろう。  朝陽は軽く凹んだ。 「お前の服が小さ過ぎるのだ。後、細い。ちゃんと食っているのか?」 「ひっ」  背後から急に腹回りをがっしりと掴まれて悲鳴を上げる。 「まるで女子《おなご》だな」 「うるせーよ。体質だ。うちの家系はみんな細いんだよ」 「それにしても朝陽。昨夜から思っていたが、お前、何でそんなに美味そうな匂いがする? 腹が減る」 「え? 美味そう……?」  冷や汗が出た。  昼間霊を喰ったとか聞かされた後に美味そうとか言われると、グロい想像しかできない。 「おい、まさかとは思うけど俺が喰いたいとか言い出すんじゃないだろうな……?」  恐る恐る振り返ると、ニヤリと嫌な笑みを浮かべられる。 「いやいやいや、無理。俺は美味くないぞ。それに痛いのもスプラッタも嫌だ。断る! 絶対不味いからやめておけ!」 「そんなの喰ってみんと分からんだろう?」  ペロリと背後から首筋を舐められる。  そのまま甘噛みされてしまえば体が恐怖で大きく震えた。  その直後だった。  心臓が忙しく動き出し、急に体が熱を発した気がして朝陽は目を瞠った。  初めて知る感覚に戸惑いを隠せない。 「あ? え……、何だこれ?」  甘い疼きが腰から上を駆け上り、上擦った声が出そうになる。  呼吸さえ苦しくなってきて、朝陽は漏れそうになる吐息を押し殺すように左手で口元を覆った。 「成る程。この桜の紋様といい、もしかしてお前〝華守人 《はなもりびと》〟か」  ビクリと肩を揺らす。 「何で……、その呼び名を知っている?」  将門が知っているとなれば、平安時代から既に華守人の存在が確認されている事になる。  朝陽は内心動揺していた。 「まだ生きていた時代に、噂で耳にした事がある」  華守人とは数百年前に滅びた第二の性別の一種で、その性別であるΩ《オメガ》の陰に隠された存在を示す言葉だった。  かつて、この世には男女を分ける性別の他に、もう一つの性別があった。  カリスマ性を持ち絶対的な権力を誇る α《アルファ》と、最下位に位置する Ω《オメガ》。そしてどちらにも俗さない β《ベータ》と呼ばれる三種類の性別だ。  βに比べ、αもΩも圧倒的に数が少なく、いつの間にか第二の性別は無くなっていった。  しかし、先祖に神を持つ桜木家には稀に覚醒遺伝した華守人と呼ばれるΩが生まれる。  百年に一人生まれるか生まれないかと言われている華守人は、最も重要な存在であると共に、特殊な使命を持ち合わせていた。  華守人は通常のΩとは違い、生者とは番う事が叶わないのだ。  底のない己の霊力を糧にする事で人外の神格クラスのαと番い、その霊力を持ってして霊力の高い子孫……次の華守人候補を生み出す事が使命に当たる。  そう言ってしまえば聞こえは良い。  有り体に言えば、神格クラスの人外へ差し出される嫁と称した生け贄なのだから。  鎮魂と互いの霊力維持、そして祟り神として堕ちないように結界を張るのが目的であり、同時に役目ともされていた。  故に華守人は、神格化クラスの結界が不安定な時に合わせるように産まれてくる。  幼い頃、朝陽のうなじに桜の花びら形の一つである陰山桜《かげやまざくら》の紋様が現れた時、祖父の博嗣から話しを聞かされた。  紋様は〝視える側の人〟にしか見えない。  朝陽は二十歳になった今でさえヒートが来た事もなければ、番候補者とも出会っていない。  単なる迷信だとばかり思っていたのはとんだ誤算だった。

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