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ニギハヤヒ編・2

 ***  実家に向かうのにこんなに緊張したのは初めてだった。  朝陽が張っていた結界はやはり無に帰している。それだけでも脅威に値した。鍵を開けて入り、朝陽は後ろ手にスライド式の扉を閉める。奥から博嗣の姿をしたナニカが顔を見せた。 「言われた通りに来たぞ。じいさんを解放しろ」  初めっから神と崇められている人物に会うのは初めてだ。また結界の事もあり、朝陽の表情は強張っていた。 「せっかく来たんだ、寛げ」 「世間話しに来たわけじゃねえんだよ。それに此処はアンタん家じゃねえ。じいさん家だ」  目の前にいる博嗣の体に入っているナニカに語りかけ、返答を待ちながら正面から睨みつける。 「そういう気の強い所なんかはコノハナノサクヤヒメにそっくりだな」  伸びてきた手をかわして朝陽は身構えた。  結界を張るつもりだった手印は即座に崩される。後ろに飛び退こうとした体も、反対側の手で捕えられて動けなくされた。 「シシシッ、儂が怖いか?」 「得体が知れないから当たり前だろ!」  何をされるのか頭をフル稼働させていたが、意に反して頭を撫で回される。 「愛《う》いな、朝陽」 「は……?」  何をされているのか理解するまでに時間を要した。  ——何で俺はコイツに頭を撫で回されているんだ?  朝陽は宇宙猫のようになった。 「安心しろ。儂はお前を害する気はなくなった。早く中に入って座れ」  大人しく座卓を前にして座る。  男はまるで服を脱ぐように博嗣の体から出ると、今度は霊体のまま朝陽を膝枕にした。  朝陽の隣には、無造作に置き去りにされた博嗣がいる。手を伸ばし、博嗣の脈拍を測って安堵の息を吐く。無事だった。 「ニギハヤヒノミコト、で間違いないよな?」  未だに頭が追いつかない。  電話を受けた時点では剣呑な雰囲気になると想像していたし、朝陽も嫌な予感しかしていなかった。それにこの通り結界だって壊されている。なのに博嗣の体に入っていた男は簡単に博嗣の体を明け渡した。  ——本当に危害を加える気はない……のか?  男に視線を落とす。  かなり体躯がよく、しかも高身長だ。二メートルを超えるオロよりも少し高い。  褐色の肌に、灰色のウェーブがかったウルフカットの髪を後ろに緩く撫で付けている。  幾束か落ちた前髪の下には、黒と灰色が上下で分かれた色合いの瞳が覗いていた。その厳つい男が朝陽の膝の上に頭を乗せている。 「ニギハヤヒでいい。お前の張った結界は中々手強かったぞ朝陽」  頭の位置を変えた男の手が伸びてきて頬を撫でられる。とても大きな手だった。 「そりゃどうも。それを壊して中に入ったアンタもどうかと思うけどな」 「これでも神だからな」  両手で届く範囲の髪の毛を掻き乱された。こうして猫可愛がりされるハメになっている現状が本当に理解出来ない。 「何でじいさんに入ってた?」 「儂の居た社が壊れてな。ちょうどそこに現れたのがお前の残り香を身につけたそのじいさんだった。記憶を読み取った所お前の事が分かって興味が湧いたから体を拝借したまでよ。お前と会えたからもう用はない。番の誘引力というのがここまで強いとはな」 「番っ⁉︎」  喉を嚥下させ朝陽はニギハヤヒを見つめた。 「そうだ。儂がお前の最後の番だ」  瞬きさえ出来なかった。  隣から博嗣の呻き声が聞こえ、朝陽は視線を向ける。目を覚ました博嗣が体を起こしていた。 「一体……何が……」 「起きたのかじいさん。良かった!」 「朝陽何故ここにおる……、ひょえ?」 「体を借りていた。すまんな」  今度は博嗣が宇宙猫になった。  ——うん。言いたい事は分かるぜ、じいさん。  宇宙猫が解けたのは良いが、朝陽に膝枕をさせているニギハヤヒを再度見て、博嗣は座ったまま気絶した。  いくら慣れてきたとは言え、自分の家にふてぶてしい神がいるのだ。動じない訳がなかった。  目を覚ますのを待つ間、朝陽は足が痺れてきたのを理由にニギハヤヒに場所を移動して貰った。博嗣は悪夢に魘されているのか額に脂汗を滲ませている。三十分くらいして目を覚ますなり、即行で土下座してみせた。 「ニギハヤヒノミコト様、どうか……どうかお社にお戻りくださいませ」  博嗣は土下座したまま顔さえ上げなかった。 「あー? 怠いし、断る。他に祀っている者がおろう?」  ——何だこのやる気の無い神様は。  心底面倒臭そうにしている雰囲気が朝陽の方にまでビシバシと伝わってくる。 「朝陽がそこの神主をやるなら戻ってやっても良いぞ?」 「いや、俺既に会社員として働いてるし」 「なら面倒だし嫌だ」  どんな暴君だよ、と心の中で悪態をつく。 「そうだな。護りの代わりにこの玉をやろう。儂の霊力が蓄積されておるから魔除けになるぞ。大切に扱え。儂は朝陽について行く」  掌から光る玉を出し、無造作に博嗣に投げ渡した。  ——先ずはお前が大切に扱えよっ! 「これは……?」 「十種神宝《とくさのかんだから》の一つ、生玉《いくたま》だ」  博嗣はまた気絶しそうになっている。  本来は国宝としてきちんとした神社で厳重に保管されていなければならない品物だ。こんな風に投げてよこす等あるまじき行為である。案の定、幽体離脱するかのように博嗣の霊体が半分体から出かかっているのを見て朝陽は慌てて博嗣に守りの結界を施した。

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