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不思議な体験
啓吾が曰くを語っていた木を背後に少し行くと、足元からジジ····と微かな音が聞こえた。なんだろうと思い、僕たちは足元を見下ろす。
りっくんがライトで足元を照らし、土の上に転がる天敵の姿を視認した。ひぇっと、一瞬息を呑んで一歩下がる僕とりっくん。
りっくんだって怖いはずなのに、僕を庇うように後退る。カッコイイなぁなんて、浮ついた心がいけなかったのだろう。
バチでも当たったかのように、死にかけだった蝉がジジジジジッとのたうち回る。
「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!?」」
りっくんは僕を抱き上げ、2人で叫びながら逃げ惑う。
「あっ、コラ待て! 危ねぇだろ!」
朔が、懐中電灯で僕たちを照らして叫ぶ。けれど、りっくんは僕を少しでも敵から離そうと懸命に走る。サンダルなのに、僕を抱えているのに、いち早くゴールに向かって走り続ける。
「あははっ。もう蝉いないよね」
「だね。りっくん、もう大丈夫だから下ろして?」
「やーだ♡ このままゴールしちゃお。どうせすぐそこじゃん。ゆいぴ、怖いのもう嫌でしょ?」
「嫌だけど、朔が····。ほら、まだ呼んでるよ」
「後で謝ろ。めちゃくちゃ怒られそうだけど」
ハイになっているのか、りっくんが啓吾みたいな事を言っている。
そして、少し歩いて僕たちはふと気づく。もうあっていいはずの所にゴールはなく、啓吾と八千代が居ない事に。
道を間違えたのかもしれない。僕たちはそう結論づけて、りっくんが踵を返す。
僕は自分で歩くと言って下ろしてもらい、りっくんに手を引かれて歩くこと数分。僕たちを追って歩いてきた朔と出会 す。
お説教が始まる前に、ゴールがなく道を間違えた可能性がある事を伝えた。朔は不思議そうな顔をしつつ、僕たちは来た道を戻ってゆく。
道と呼べる道は、僕たちが歩いているこの1本だけ。だから、間違えるはずなどないのだけれど。そう思いながら、僕たちは時々顔を見合わせた。
不気味に思いながらも引き返していると、当然、後続の冬真と猪瀬くんに出会う。イチャつきながら歩いている2人は、僕たちを見ても離れない。
冬真はキョトンとした顔で、拍子抜けするほどいつもの調子で話し掛けてくる。
「あれ? なんで戻ってきてんの?」
「ゴール、あっちになかったんだけど」
りっくんが、ゴールがあるはずの背後を親指で指して言う。
「えっ!? んなわけないじゃん。道外れてねぇよ?」
冬真は振り返り、来た道をライトで照らす。それは間違いないと、全員が確信しているのだが、聞いていた場所にゴールがなかったのだからどうしようもない。
僕たちは仕方なく、来た道を戻ることにした。
「蝉ならもう完全に死んだから大丈夫だぞ」
朔は、僕の手をしっかりと握って言った。相当お怒りなご様子だ。
これはまずいと思い、僕とりっくんは慌てて謝った。けれど、なかなか許してくれない朔。
歩きながら沢山謝って、僕が言い訳ばかり並べていたら、突然ふっと笑い『可愛いな』と言って許してくれた。なんだか分からないけれど、許してもらえて良かった。
僕は、朔の手をギュッと握る。できるだけ、それに視線を向けないようにして、例の木がある場所を足早に抜けた。
それからまた暫く歩いていると、僕たちは目を疑うようなとんでもない事に気づく。猪瀬くんは、恐る恐るそれを口にする。
「俺たちさ、まっすぐ歩いてきたよね? 道って1本だけだっよね?」
「あぁ、それは間違いねぇ。入る前、GPSでルート確認もしたからな。だからおかしいんだ」
「だよなぁ····。なーんでここに戻ってくんだろうね。これちょっとヤバくね?」
「ちょっとどころじゃないよ、バカ冬真。武居泣いてんじゃん。可哀想に····」
「な、泣いてないもん····ちょっとしか」
僕は、ポロポロと涙を落としながら、力いっぱい朔の腕にしがみついている。りっくんは、僕を守ろうと腰を抱いてくれた。
だって、どう考えたっておかしいんだもん。さっき通り過ぎたあの木が、目の前に現れるだなんて有り得ないじゃないか。
「同じトコぐるぐるするパターンのやつ? 森系ホラーの定番じゃんね。これもう無駄に動かない方が良くない?」
冬真は、まるで他人事のように言う。けど、ここはホラー映画の世界じゃない。現実なんだ。そんな事があってたまるか。
だけど、実際に起きているこの状況から、どうやって抜け出せばいいのか見当もつかない。
「とりあえず啓吾に連絡····は、無理か。ここ圏外じゃん。なんで?」
冬真は、スマホを高く掲げながら聞いた。全員スマホを取り出し電波を確認する。
「うーん、全員圏外か····。どうする? 待ってもこれ、助けとか来ないでしょ」
りっくんの諦め気味な発言に、皆は反論しようにも言葉が見つからない。そんな中、僕にはハッと思い浮かぶ事があった。
「八千代····。僕が呼んだら来そうじゃない?」
「「「「··あぁ」」」」
全員一致で納得した。何の根拠も確証もない。けど、なんとなく八千代なら来てくれそうな気がしたんだ。
皆、緊張した面持ちで僕を見つめている。凄いプレッシャーだ。緊張で息が震えてしまう。
それでも僕は、ゆっくりと大きく息を吸い込んだ。そして、できうる限り大きな声で叫ぶ。
「八千代! 助けてぇぇぇ!!」
皆は、八千代の野生の勘を信じて待つ。入り口からここまで、十数メートル。ゴールからは50mくらいらしい。八千代なら、木々の間を掻い潜って一瞬で駆けつけられる距離だ。
だけど、数分待っても八千代は来ない。皆は違う手段を検討する。
諦めきれない僕は、もう一度だけと、大きく息を吸い込んだ。
「八千代ぉ! 僕ここだよぉ! 助けてぇぇぇ!」
僕の声が反響を終え、シンと静まり返る夜の森。尋常じゃない気味の悪さに、恐怖心は増大するばかり。
僕が二度も叫んだ所為で、動物も鳥もきっと····いや、違う。そう言えば、行きに聞こえていた動物らしき足音も、鳥の羽ばたきや鳴き声すらも一切ない。煩かった虫の声だって、いつからか全くなくなっている。
僕たちだけが、完全に隔絶された世界なのだろうか。そう思わざるを得ない。
やはりだめか。そう思った時、ザッザッザッと物凄いスピードで近づいてくる足音が聞こえた。皆、そちらを向いて身構える。
「結人!」
八千代の声だ。けれど、八千代の姿はない。僕は、その声に応える。
「八千代! ここだよ! お願い、僕を見つけて!!」
なんて、まるで映画みたいな小っ恥ずかしいセリフを叫んでしまった。皆は、期待を込め周囲に目を凝らす。
なんとしても、八千代に見つけてもらわなくちゃ!
僕は八千代を呼び続ける。足音が、僕たちの周りをグルグルしているようだ。だけど、確実に少しずつ近づいている。
喉が枯れるほど声を出し続け、10分ほど経った頃、背後である出口側から八千代が現れた。
「八千代!!」
僕は振り向き、歓喜して八千代に抱きつこうと走り出す。のを、朔が僕の腕を掴んで止めた。
「んなぁっ!!?」
驚いて変な声が出る。確認が先だと言って、僕を背後に下がらせる朔。
「お前本当に場野か?」
「あ? 俺が俺じゃなかったら誰なんだよ。俺は俺だわ」
「証明しろ」
「はぁ? 結人の声頼りにここまで来たんだから俺だろうが」
なんだか、とんちみたいな会話だ。もはや意味が分からない。
「まぁアレか。ンなら結人のイかせ方語ってやろうか?」
不敵な笑み浮かべて言う八千代。理解はしつつも、僕を引き止めた朔に少し苛立っているのだろう。けど、それをここで語るなんて正気の沙汰じゃない。
なのに、取り乱している僕は口を挟めず、八千代と朔を交互に見てわたわたする事しかできない。止めなきゃと思っていたら、朔が良からぬ感じで止めてくれた。
「それは知り尽くしてるからいい。なんなら俺のほうが知ってる」
「なワケあるか。俺のが知っとるわ。はぁ··、んじゃどうしろってんだよ」
「··っ、どうしようか。····よし、住所言ってみろ」
悩んだ末のお間抜けな確認方法に、一同和んで微笑んでしまった。一人、真面目に答える八千代。納得した朔は、僕の腕を離してくれた。
けれど、もう駆け寄る雰囲気ではない。そう思っていたら、八千代が僕にズンズン歩み寄ってきて、ガバッと力いっぱい僕を抱き締めた。
「んわぁっ····い、痛いよ八千代ぉ」
「うるせぇ。どんだけ心配したと思ってんだ」
「んへへ、ごめんね。来てくれてありがとう」
僕は、力いっぱい八千代を抱き返す。そんな僕たちの横を、皆は怠そうに歩いてゴールへ向かう。
「なぁ場野ぉ、ゴールまで案内して」
「んなもん知らねぇわ。結人の声頼りに来たつっただろうが」
皆の足がピタリと止まる。問題再発だ。
そう思った直後、聞き慣れた軽々しい声に、僕たちは心から安堵する。
「んお〜〜〜い、ば〜のく〜ん? 俺ぼっちなんですけどーっ」
啓吾の声が、ゴールの方から聞こえてきた。どうやら、僕たちは迷い込んだ奇妙な世界から抜け出せていたらしい。朔が確認したら、スマホの電波も入っていた。
僕たちは、ようやくこの迷いの森から出られるようだ。
八千代は、僕の腰を決して離さず、ゴールまでベッタリとくっついて歩いた。歩きにくいったらないんだけど。
ゴールでは、腕を組んでムスッと頬を膨らませた啓吾が待っていた。
聞けば、啓吾には僕の声が聞こえていなかったらしい。それなのに、八千代は僕の声が聞こえたと言って森の中に駆け込んだものだから、ポツンと1人で残され心細かったらしい。
僕たちはテントに入ってからも暫く、この不思議な体験の話で持ちきりだった。僕が、ウトウトし始めるまで。
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