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夜の街
多くの男女が溢れ、ネオンが煌めく大都市の繁華街。
いつもは来ることも愚か縁の一切ない場所だが、今日は理由があってここに来ていた。
楽しいはずの初めての繁華街も今は恐ろしい場所にしか思えない。
早く帰りたい気持ちはあっても帰れず、不安に苛まれながら彷徨っている。
大人の駆け引きがそこかしこで繰り広げられるこの街を月ヶ瀬祐羽 は心細さを胸にとぼとぼと歩いていた。
幼さの残る顔がネオンの光に照らし出される。
すれ違う大人たちが不思議そうに振り返って通りすぎて行くが、それもそうだろう。
高校生になったとはいえ、まだまだ中学生にしか見えない。
そんな少年が物慣れない様子でオドオドと歩いているのだから目立つなというのが無理な話だった。
「…ここ、どこだろう?」
祐羽は知らない街に呑み込まれようとしていた。
祐羽はこの春、市内の公立高校へ無事合格して通い始めたばかりのピカピカの一年生だ。
入学した祐羽は直ぐ、迷うことなく憧れていたバスケ部へと入部した。
中学では特別運動能力があるわけでもなく、また花も好きだった祐羽は園芸部に所属していた。
しかし、その頃からバスケ部のかっこよさに憧れていて、高校では念願叶って入部したのだ。
そんな祐羽のバスケの腕前はというと、毎日練習に参加していたものの運動神経がいまひとつの祐羽は、未だに進歩は無く基礎中の基礎の練習に明け暮れていた。
もう三ヶ月は経つのだが、正直ドリブルさえも怪しい。
大抵ボールを蹴飛ばして『待って、待って』と追いかけるのがオチだった。
そんなバスケ部員にあるまじき運痴っぷりを発揮している祐羽だが、何だかんだ皆から可愛がられ部内のマスコット的存在となっていた。
163センチの身長と幼い顔ち。
長い睫毛の縁取られたパッチリした黒い瞳に同じ色の艶やかな髪の毛。
前髪をほんの少し短めにしているのが、余計に幼さを際立たせているのかもしれない。
特別美少年というわけではないが、パーツひとつずつが目立っていた。
日焼けをすれば軽く火傷状態で冬には元に戻る白い肌に、小さく赤い唇。
黒目がちの瞳が一番のチャームポイントになっていて、微笑まれれば誰も嫌な気持ちにはならない。
性格も穏やかで、ちょっと天然なところもあった。
その為、庇護欲に駆られてついつい可愛がりたくなってしまうらしかった。
しかし、別の感情に苛まれる部員も少なからず居た。
そんな祐羽だが、邪な思いの部員や男達からも襲われる事は無かった。
それどころか、男性はもちろん女性からの告白すら経験が無い。
男連中からは無邪気な態度に純粋な視線を向けられてはなかなか本音を出すことも手を出すことも難しかったのだ。
また女の子達からは可愛い弟か、おかしなところではイケメンの多い人気のバスケ部の邪魔なライバルポジションとして扱われている。
それさえ鈍感な祐羽は、余程でない限り殆ど気づかないでいた。
なので、祐羽は未だに恋愛に縁が無い清く正しい生活を送る日々だった。
そんな祐羽は、バスケ部のメンバーと共に地区予選突破の打ち上げという事でカラオケに来ていた。
練習の後に翌日が部活休みという理由で軽く小腹を満たしゲームセンターに寄ってカラオケに。
気がつけば夜の八時。
今までこんなにも遅い時間まで外で遊んで過ごす経験は、幼く真面目な性格の祐羽には無かった。
他の部員からすれば、遅くもなんとも無い時間なのだが…。
不審者対策の一環として、部活は学校側の規則から夜の八時には門を抜けていないといけないので、いつもはもう少し早く帰宅しているだけに祐羽はソワソワとしてしまう。
今日は両親に遅くなることを伝えていたので大丈夫だが、これから電車に乗って自宅まで帰るとなると 九時は確実に過ぎるだろう。
それに、まだまだカラオケは始まったばかりだ。
まだ帰宅する事はないだろう。
僕だけ申し訳ないけど、早く帰ろう。
「すみません。僕、今日はお先に失礼します」
引き止める先輩達を振りほどき店を出た。
心配してお開きにするかと言ってくれた部長だったが、自分だけの我が儘でそれは申し訳なくて祐羽は断固として首を左右に振った。
すると、同じ様に帰ると言い出した同級生が数人居たことで「気をつけて帰れよ」と祐羽を見送ってくれた。
自分の我が儘で楽しい時間を潰さなくて済んだと安堵してカラオケ店を出た。
祐羽は、同級生数人と楽しくお喋りしながら駅へと向かった。
いつもは降りない歓楽街の多い駅周辺は人の数も半端無い。
自分ひとりでは圧倒されて前に進むことさえ怪しかったかもしれない。
こうして駅へとようやく着いた所で、それぞれの家方面へと向かう電車のホームへと別れる。
「じゃぁ、またな!」
「祐羽、気をつけて帰れよ!」
「うーん…心配だな」
自分を気づかってくれる同級生に、祐羽は嬉しくなり笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。そういうみんなも気をつけて帰ってね。じゃぁ、また明後日学校でね!」
そう言って手を振ると、同級生たちも心配そうにしながらも手を振り返してそれぞれのホームへと歩いて行った。
祐羽も同じ様に歩き始めたが、そこであることに気がついた。
両親にこれから帰宅する旨を伝えようとしたのだが…。
「えっ、う、嘘…⁉」
バッグの外側のポケットに入れていたはずの携帯が無い。
ポケットのファスナーが全開になっている。
閉め忘れてしまったのだろう。
「もしかして、落とした…?」
不安になって立ち止まり改めて確認するがバッグのどこにも見当たらない。
あの中には家族や部員、友人の電話番号から今までの連絡のやり取りや写真まで沢山入っている個人情報の宝庫だ。
落としたとすると、自分だけでなく他のみんなにも迷惑がかかることになる。
それだけは、絶対に駄目だ探さなきゃ。
「あっ‼そうだ‼もしかしたらカラオケのお店に忘れたのかも…」
同級生に電話を掛けてもらおうと思ったが時すでに遅く、ホームの電車は全て出た後で彼らの姿はそこには無かった。
その事実に祐羽はガッカリと肩を落とし意気消沈した。
「…取り敢えず、お店に戻ってみよう」
乗る予定だった電車がホームに着いたが、祐羽は踵を返した。
このまま駅に居ても仕方ない。
一応、下を確認しながら歩き駅員にも確認したがスマホは無かった。
そうして再び引き返し街を歩いていたのだが、ここで大きな問題が発生したのだ。
祐羽は本人は認めないが、正真正銘の方向音痴だった。
案の定、見事に道に迷っていた。
全く来ることの無い繁華街。
おまけに普段縁の無いせいか、誰もが知っているはずの有名なカラオケ店の名前さえもすっかり忘れていた。
「ど、どうしよう…」
祐羽はその場に立ち止まると地面に視線を落とし途方に暮れたのだった。
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