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第1話

「よし!タロ、行け」 (たすく)はそう声をかけて、ボールを投げた。 河川敷にあるドッグラン。 佑がまだ小学生の頃に、保護施設から譲り受けたミックス犬のタロは、喜び勇んでそのボールを追って走り出した。 佑が寮に入ってしまってからは、散歩には連れ出してもらえても、遊んでもらうことはなくなっていた。 ボールをくわえて戻ってきたタロは、全身で佑にぶつかるようにする。 中型犬よりは体が大きな愛犬に体当たりされて、しゃがんでいた佑は後ろにひっくり返る。 「わかった。タロ、こら、やめろ!」 冬休みで寮から家に戻った佑は、真っ先に愛犬とこのドッグランに来た。 「君の犬?」 すぐ近くの柵の外から声がかけられた。 佑は興奮気味の愛犬の首をおさえながら、声をかけてきた人物を見た。 年は佑よりいくつか上。大学生らしい男が佑を見ていた。 「あー、そうです」 佑は起き上がりながら答えた。 「俺、この辺にはよく来るんだけど、初めまして、だよね!?」 「そうですね。俺、寮に入ってて、今、冬休みで家に帰って来たんで…」 答えながら、早く次を投げろとばかりの愛犬のリクエストに、佑はボールを投げた。 「そうなんだ?俺、最近この近くに越してきたばかりだから、だから会わなかったんだな」 「最近?」 「ああ、突然の異動でね」 「この時期に!?てか、社会人…ですか?」 言ってしまってから、佑は自分が十一月に転校したことを思い出して苦笑する。 「そうだよ。あれ、もしかして若く見えた?」 相手は笑いながら聞き返してきた。 「ああ…、はい。大学生かと…」 佑が遠慮がちに言うと、相手は笑って、 「よく間違われるんだよな」 と言った。 「俺は野田。野田光一。君は?」 「あー…、中野です」 佑は何故か、下の名前を言いたくない、と思った。 「そう。冬休み中はここに来るのかな?」 「そう……ですね」 佑はもっと遊びたがっている愛犬にリードをつけると、 「俺、そろそろ戻らないと…」 と言って、その場をあとにした。 佑が家に戻ると、リビングに新聞を広げている父親がいた。 こんな時間に父親が家にいるとは思わなかった佑は、リビングの入り口で足を止めた。 「……ただいま」 佑が低く言うと、父親は新聞から目を上げて佑を見た。 「お帰り」 彼はまたすぐに新聞に目を落としたが、佑にはそれだけでも衝撃だった。 父親が自分を見て、自分の声に返事をしてくれた。たったこれだけのことが、佑には嬉しかった。 佑はキッチンに行き、夕食の準備をしている家政婦の多恵子の側に行った。 「今日は何?」 佑が物心つく頃からこの家で働いてくれている彼女は、振り返って、 「佑さんが好きなハンバーグですよ」 と優しい笑みを浮かべた。 「やった!」 佑がそう言うと、彼女はさらに笑みを深くして、 「佑さんがお友だちのおうちにいらっしゃるまでの間は、佑さんが好きな物を作ってさし上げます」 そう言い、次に目線を少し上に向けながら、 「旦那様は胃もたれなさるかもしれませんけど」 と言った。佑は笑いながら、 「何か手伝う?」 と聞いた。 佑は翌日、午前中に愛犬を連れてドッグランに行った。 愛犬と遊んでいると、前日会った野田が来た。 その翌日は、お昼頃に時間をずらしたが、野田はまたあらわれた。 「野田さんって、もう休みに入ってるんですか?」 愛犬を撫でながら、佑はそう聞いた。 「ああ、ウチ、わりと休み多いほうだし、有休もたまってたしね」 野田が佑の隣に腰をおろした。 佑は少しすわる位置をずらして、距離をとった。 何、とはハッキリ言えないが、なんとなく近くにいたくない感じがした。 「え…っと、中野くんてさ、もしかして…」 野田の口から出たのは、佑の父親が役員をつとめる会社の名前。 「………………」 佑はどう答えるべきか考えてしまった。 相手は何か望んでいるのか?それともただの興味本意か? 佑は答えずに立ち上がった。 「え?待って。どうして行っちゃうの?」 野田の手が佑の腕をつかんだ。とっさに振り払っていた。 「用があるんで…」 佑はそう言って、その場を離れた。 佑は翌日から、その河川敷に行くのをやめた。 少し遠くなるが別の、公園に併設されたドッグランに行った。 佑は家に戻ってから、ほぼ毎食、父親と食事を共にしていた。 こんなことは佑の記憶にある限り、初めてだった。 多恵子は作りがいがあると言って、毎日張り切って佑の好きな物を作ってくれていた。 佑が昼食後、公園に併設されたドッグランで愛犬と遊んでいると、 「ここにいたんだ?」 と声がかけられた。 佑の動きが一瞬、止まる。 「どう…して、ここに?」 声をかけてきた野田は笑みを浮かべて、 「急に来なくなったから、探したよ」 と言った。 佑は背筋に嫌な感覚をおぼえた。 「コイツが、同じところじゃ飽きるかなと思って……」 佑は我ながら苦しい言い訳だと思った。 「なるほどね。そうだよね」 野田は佑の質問に答える気はなさそうだ。 「あの…」 佑は思いきって口を開いた。 「俺、親父とは仲良くないんで、俺に何か期待してるならお門違いですよ」 野田はポカンとした顔をし、次に笑い出した。 「なんだ。俺はそんなふうに思われてたわけ?」 「………………」 「俺の行動、そんなに怪しかったかなぁ?」 野田はなおも笑って言った。 「はい」 佑は固い表情でそう答えた。 「もしかして、知らない人とは口を利いてはいけません、って感じ?」 「………………」 佑が黙っていると、野田は笑うのをやめて困ったような表情をした。 「そんなに警戒させちゃったか…。俺、ただ君と仲良くなりたかっただけなんだけどな」 「は?俺、高校生ですよ」 「友達に年齢って関係あるのかな?」 「ない、と思いますけど…。会社の同僚とか」 「異動したばっかり」 「学生時代の友達とか」 「俺、地元秋田だし…」 「………………」 佑が黙ると、野田は笑顔で聞いてきた。 「友達、ありだよね?」 野田は佑の反応など無視して右手を差し出してきた。 佑が躊躇していると、勝手に右手をつかんで握手をして、 「よろしく」 と嬉しそうな顔をした。 愛犬を遊ばせてやりたい─── そういう気持ちは強かった。明日には田上の所に行くことになっていて、また一緒に遊ぶことはしばらく出来なくなる。 佑は目の前でお行儀よくすわり、尻尾をパタパタさせているタロを見た。佑が“行こう”と言うのを待っている。 でもまた、あの野田と顔を合わせるのは気が重かった。 何故、と問われても、自分でもハッキリとはわからない。ただ、なんとなく嫌な感じ、としか言えない何かが、野田からは感じられたのだ。 堀井が一緒にいてくれたら─── 一瞬そんな思いがよぎり、佑はそう思ってしまった自分を振り払うように、 「タロ、行こう」 と明るく愛犬に声をかけた。 愛犬は立ち上がり、嬉しさを全身で表現していた。 佑は今日は河川敷のドッグランにした。 野田の姿はない。 大晦日でみんな忙しいのか、他の人影もない。 佑はいつも通り、ボールを投げたり、一緒に走ったりして、またしばらくは遊んでやれなくなる愛犬と文字通り転げ回って遊んだ。 ふと視線を感じて柵のほうを見ると、野田がニコニコしながら、こちらを見ていた。片手を上げて手を振ってくる。 佑は愛犬とたわむれることで、気づかなかったふりをした。 「今日はこっちなんだ」 野田が中に入ってきて佑のほうに歩いてくる。 佑は舌打ちした。 相手に聞こえても構わない。むしろ聞き取れ、という気持ちがあった。 聞こえなかったのか、無視したのか、野田は佑のそばに腰をおろした。 佑は愛犬をかまうふりで距離をとる。 「大晦日だね。中野くんは初詣とか行くの?」 「いえ…」 「じゃあ、俺と行かない?今夜」 「いや、夜は家族と…」 「あれ?お父さんとは仲良くないって言ってなかった?」 野田は佑の素っ気ない返事にも変わらずニコニコと話しかけてくる。 佑は再度舌打ちした。 「ねえ、行こうよ。俺もこっちでまだ知り合いいないし、寂しいんだよ」 野田が佑の手に手を重ねてきた。 佑はその手を払って、体を引いた。

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