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act.6 Platinum Kiss 〜 the 2nd day 5
空と俺がホームを出て、一年ほど経った頃だ。
突然、ホームの職員から連絡が入った。幸也の行方を尋ねる電話だった。
その時、初めて俺は幸也がホームを飛び出して失踪していることを知った。
もともと通っていた高校で人間関係がうまくいっていないとこぼしてしたらしい。もしかすると虐めのようなこともあったのかもしれない。職員が言うには、幸也は陰鬱な雰囲気を引きずるように生活するうちに、ホームでも次第に孤立してしまったのだという。
学校と施設。毎日往復するその両方で居場所をなくした幸也は、ある日忽然と姿を消してしまう。
職員からその連絡を受けたとき、既に空がアパートを出た後だったから俺は独りで暮らしていた。俺が幸也と最後に連絡を取ったのはもう半年も前で、その居場所を知る由もなかった。
それ以降幸也が見つかったという話は聞いていない。行方知れずのまま、ホームを退所する年齢を迎えたはずだった。
『一海、元気にしてた? 空は?』
『……今は、離れて暮らしてる』
それだけを告げると、幸也は少し目を見開いて『そう』と全てを察したかのように呟いた。
『俺のことはどうでもいい。お前はどこでどうしてる。ホームから俺のところにもお前のことで連絡があった』
『ある人のところでお世話になってるんだ』
幸也は気まずそうに目線を落として、淡々と語っていく。
誰しもが名前を知る大きな暴力団。その傘下に入っている組の若頭。そんな肩書きを持つ笠原という男が、幸也の世話になっている相手らしかった。
『笠原さんは、どこにも行き場のないこんな僕を拾ってくれた命の恩人だ』
一度言葉を区切って、目を閉じてから真っ直ぐに俺を見つめる。
『僕、笠原さんの』
愛人なんだ。
そう発音する唇は、わずかに震えていた。
『愛人って、お前』
言葉を詰まらせる俺に、幸也は畳み掛けるように言う。
『セックスの相手をして、生活の面倒を見てもらってる』
いつの間にかウェイターがテーブルまで来ていた。
幸也は軽く会釈しながら運ばれてきたグラスを手に取って、自嘲気味に笑う。
『軽蔑した?』
俺が首を横に振ると、幸也は意外そうな顔を向けてくる。
『お前はそれで救われたんだろ。お前がよければ、いいんじゃないか。俺が口を挟む資格はない』
口を突いて出た言葉は俺の本心に違いなかった。幸也は一瞬だけ目を見張り、俺を凝視する。わずかに瞳が潤んだように見えたのは、光の加減がそうさせたのかもしれなかった。
『一海』
少しの沈黙の後にそう促されて、俺は飲みかけのドイツビールが入ったグラスを持つ。
『僕たちの再会に』
ガラスのあたる澄んだ音が響いた。
幸也はグラスに唇を付けてカクテルを口に含み、飲み干してからそっと微笑んで見せた。
その艶かしく濡れた唇を見ながら、俺はぼんやりと考える。
こいつはどうやって男に抱かれているのだろう。どうしても想像がつかなかった。
『一海。車の免許は持ってる?』
『一応持ってる。車はないけどな』
『そう』
不意に投げ掛けられた問い掛けに答えれば、幸也は満足げに目を細めて口角を上げた。
俺は高校卒業前から、アルバイトで貯めた金で車の運転免許を取りに行っていた。
定職にはつかなくとも、最低限の生活を送るとために何らかの仕事はしていかなければならなかった。車の免許を持っている方が、仕事の幅も拡がる。
俺は本当の意味で金に困っていたわけではなかった。かつて授業料の引き落としに使っていた俺の銀行口座には、今でも空から毎月かなりの額が振り込まれているのを知っていた。けれど俺は、その金に手をつける気にはなれなかった。
『免許を持ってるから、何だ』
幸也がそんなことを訊いてきた理由が、俺をドライブに誘うためではないことは当然わかっていた。
『実はね、一海に仕事を頼みたいと思ってるんだ。口が硬くて信頼できる人を探してた。ものを運ぶ仕事だ。報酬は弾める』
ヤバイ仕事だというのは薄々察していた。それでも俺はふたつ返事で頷く。
『やるよ、幸也』
俺は破滅への階段を転がるように落ちていく。
それ以来、幸也は不定期に仕事を持ち掛けてくるようになった。
連日のときもあれば、一週間空くこともある。
一回の仕事の報酬は、数千円から十数万円。その値段は中身の価値というよりも、危険度に比例しているのだろう。
幸也からは、仕事を請けるにあたって幾つかのルールが提示された。
この仕事のことを誰にも口外しないこと。荷物の中身は決して開けずに指定された場所まで届けること。万一何かがあっても、組の名前を出さずにしらを切り通すこと。
俺が身なりを整えてこんなスーツを着ているのも、何か機材が入った未開封の段ボールをトランクに積んでいるのも、全ては目くらましのためだ。
もし警察の車両検問にあっても、会社員風の男が商品を車に積んでいると見なされれば、きれいに梱包された山積みの段ボールを全て開封して確認するようなことは、それこそ余程のことがない限りないはずだった。
幸也と約束したとおり、俺は自分が運ぶ荷物の中身を見たことがない。いざとなれば、何も知らないことが我が身を守ることになるのは承知していた。
一度、ひどく重みのある一斗缶を三日間続けて運んだことがある。
遠く離れた地方の公園の木陰に隠すように置いておけば、しばらくすると誰かがそれを持ち去っていく。たかがそれだけの仕事で、報酬は過去最高の額だった。
そのとき車内に充満していた饐 えた臭いに俺は思ったものだ。
きっと俺もこんな臭いを放ちながら朽ちていくのだろうと。
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