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第24話 忘れたくないもの
「譲、おはよう。昨日はすまなかったね。私は大人げがなかった」
譲はパチクリと瞬きをした。
公爵がしおらしく謝っている。
寝起きの頭を働かせると、昨夜を思い出し、危うく爆発しそうになった。
だが良かった、今朝は拘束されていない。
「今日は、私にして欲しいことがあるかい?」
そう言われて譲は考えるが、何かを要求してまた昨夜のように無体を強いられては困る。
「公爵に本を読んで貰うでいい。中庭で」
ヴィクトルの顔がほころぶ。
「ああ、わかった。そうしよう」
中庭に出ると、DP54が姿を見せた。
「今日はお前と遊びに来たんじゃないよ。仕事に戻ってくれ」
DP54は小首を傾げ、尻尾を一度ゆるりと振る。
「ごめんな、また今度」
今度は伝わったらしく、のっそりと背中を向けて去って行った。下がってしまった尻尾に、胸がきりっと痛んだ。
譲が中庭を訪れたのは二度。まだ全体を見て回っていない。
ヴィクトルは譲を中庭の硝子ハウスに案内した。
温室で育てる植物を管理する硝子張りの小さな小屋だ。球体状の天井が洒落ており、色彩豊かな緑と花々、テーブルセットが透けて見える。
「ここなら、リラックスできる。昼食もここで取ろう。サンドイッチか、簡単につまめるメニューを作らせる」
「はい。賛成です」
硝子ハウスの広さはベッドがある部屋と同じくらい。限りある空間にヴィクトルと二人きりになるのは不本意であるものの、囲っている壁が透明なので開放感が違った。
風通しが良いところも、気に入った。
哀しそうな犬を見ても顔色を変えなかったのに、譲に対してはヴィクトルは表情をコロコロ変える。
深呼吸をする譲を見て、横でヴィクトルも安堵したように息を吐いた。
変な人だ。憎らしいとも思うが、譲を心配している気持ちも嘘じゃないんだろう。
(どう接していいのか、・・・難しい)
譲が見つめていると、ヴィクトルは微笑んだ。
「あのさ、ありがとう。落ち着く」
「良かった。じゃあ、この場所は譲にあげる。置きたいものがあればいいなさい。許可できるものがあれば取り寄せる。手始めにテーブルセットを新品に入れ替えようか」
「えっ、いや、そこまでしなくていいっ」
「いいんだ、譲が嬉しいなら私も嬉しい」
譲は困惑して首を掻く。
ヴィクトルの思考をほんの少しでも理解できたら、普通に会話ができるんだろうか。
たった数回の会話のキャッチボールも、今の自分達にはできていなかった。
(これじゃ自分はボールを投げたのに、フリスビーになって戻ってきたみたいな感じだよ)
だから受け取り辛いったらないのだ。でも受け取らなければ豹変するかもしれなくて・・・逃げられない。拘束具や脚のハンディに加えて、譲の身体を重くしていた。
譲はフリスビーをボールだと思って、また投げる。
「ならさ、絵を描きたい。スケッチブックと、鉛筆と、色をつけられる何かが欲しい。色鉛筆でも絵の具でも何でもいい。それなら一人で過ごせるし、いいだろ? 別に外にメッセージを送りたいとかじゃない」
———送れる相手もいない。
「ただ、自分のために残しておきたいことがある」
「描いた絵を私に見せるなら」
「見せるのは構わない」
「それならいいよ。許可するよ」
譲は許可を貰って笑顔になった。だがおもむろにあることに気がつき、複雑な心境になってしまった。
◇◆
お絵描き用の画材セットは翌日に届けられた。
「お絵描きに読み聞かせ、他にやりたいことはあるかな?」
「・・・・・・今はない!」
譲は真っ赤に頬を染める。
「これは?」
鉛筆を使った下書きだが、スケッチブックに描いた絵をヴィクトルは不思議そうに指差した。
「両親の祖国だそうです。瓦礫の下から見つけたアルバムを失くしてしまったので、写真に写っていた風景を忘れないように」
あのアルバムは逃走していた時に落としてしまった。
思い当たる場所は幾つか浮かぶけれど、探しには行けないだろう。
雨風に晒された上に、アルバムは焦げて煤汚れていた。
ゴミに紛れてしまった可能性も大きい。
アルバムが譲の手元に戻ってくることはない。
「下手くそだから、見ても面白くないだろ?」
自分で描いた絵を見下ろして譲は苦笑した。
「そんなことないさ。描けたら必ず見せてくれ。楽しみにしているよ」
「わかった・・・うん」
黙々と絵を描く譲を眺めているヴィクトル。言葉を介さなかったからもあったのか、この日は穏やかなまま一日を終えた。
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