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第56話 イザークの教え【1】

 イザークはどうやって譲と接触を図ろうとするのか。  思いがけない方法だった。  ヴィクトルの留守を狙って、使用人に扮したイザークが譲の部屋に現れたのだ。  ヴィクトルの兄アルセーニーの離れがある方向で大きな物音が聴こえ、ロマンが様子を見に行っている時だった。コツコツと外から窓を指でノックされ、譲は大いに舌を巻いた。  番犬達を手懐けていた男だからこそ取れた方法である。番犬そのものを逆手に取ったのだ。彼らが大人しいということは、こちらの屋敷内が安全である証明。誰も侵入者がいるとは疑わない。 「どうだ。譲の真似をしてみたんだ。俺の執事服も中々だろ?」 「別にどうでもいいですから、急いで中に入って下さい」  譲は窓を開けて、イザークを迎え入れた。 「そう、すげない態度を取らずにさ。感想をくれよ」  文句を言われ、仕方なく視線をやる。背筋を伸ばしたイザークは前髪をかき上げておでこを出している。片眼鏡を外し陰気なマントを羽織っていなければ別人だった。 「似合ってます。でも遊んでる場合ではないんじゃ・・・?」  リミットはロマンが戻ってくるまでだ、余裕を持てるような時間はない。 「くっくく、譲の指摘通りだ。普通ならな」  イザークが懐から小瓶を出した。それと注射器。 「譲の世話係をしているあの執事は、今頃離れで眠ってるよ」 「睡眠薬ですか」 「そうだ。適量なら鎮静薬、多めに打てば睡眠薬になる。言っとくけど、ここの厨房から拝借したんだぜ? いくら優秀な人間でも、しばらく戻ってこられない」 「でしょうね・・・・・・」  経験者ゆえに譲は納得させられる。 「お願いします。こんな危険な手口はこれっきりにして下さい」 「まあ、今のところは頷いておくさ。とにかく話をしようか」 「ちゃんと約束をして下さい」  譲は肩をすくめるイザークを睨む。 「怖い顔をしないでよ。譲の気持ちが変わるかもしれない」 「約束をしろ。ふざけるな」  イザークは人を怒らせて愉しむ悪趣味な男だった。  やはり好きになれない。  ドムを通して感じた人柄がまやかしに思えてくる。 「まあ、まあ、時間制限があるのは本当だしな。早速、始めようか」  譲に睨まれながらイザークはベッドに腰を下ろした。そして懐に手を入れたかと思うと、「手のひらを上に向けてみな」と拳を握ったまま譲に差し出してくる。 「何ですか」  唐突に何なのか。眉を顰めたが、言われたように手のひらを上にして前に出すと、ぱらぱらと落ちてきたのは色とりどりに包まれたキャンディだった。 「お菓子?」 「俺のとこの商会で扱ってる品の一部だ」  譲は包み紙とロゴに見覚えがあった。 「公爵が買ってきてくれたことがある。熱を出した俺のために」 「はっ、今は要らない情報だよ、ったく。ちなみにそれは真っ当な方の商品な」 「真っ当な?」 「エルマー商会では様々なものを流通させてる。真っ当じゃないと言えば大体は想像できるだろ」  譲はごくりと唾を飲み込んだ。 「人・・・とか」 「あ——、人な、そいつもかつては。だが俺の代ではしてない。法律で駄目になったって理由もあるんだが、リスクに反して需要が絞られ過ぎている。それよか稼げるもんが」  イザークが指を銃の形にし、バーンと心臓を撃つ真似ごとをする。 「武器って、何処に流している武器ですか・・・・・・?」 「そんなの決まってる。軍だよ」  しかし譲はますます首を捻った。 「確かに軍に武器がなければ話になりませんけど」 「気になるよなぁ。が、その前に譲の気になっていることを先に教えてやるよ。物事には順番があるからな。何が知りたい?」  改めて訊いてくる必要などないはずだ。この男は譲が知りたいと思っている内容を認識しているだろうに。  順番・・・とはつまり、イザークが最初に中途半端に話したことが、譲が欲しい情報である——アゴール公爵家の内情に深く関わってくると告げているのか。 「・・・・・・この国のアゴール公爵とは何ですか」  譲は慎重に問う。 「いやに抽象的な質問だな」 「すいません、俺は公爵が生きる世界のことを何も知らないので」  だから譲はヴィクトルの抱えている問題をひと欠片も理解してあげられないのだ。  それが歯痒くてたまらない原因だ。 「いいや、素直で宜しい。うーんと、そうだな」  イザークは考え込み、苦虫を噛んだような顔をする。  険しく刻まれた表情を見て質問を撤回すれば良かったのに、譲はしなかった。後悔するかもしれないなんて思いもせず、無邪気にヴィクトルを想ってイザークが話し出すのを待ってしまった。  しばし経つと、一言目が告げられた。

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