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第95話 良い方向に進むためには

 譲は席に戻ったヴィクトルをちらっと見る。  二人きりの場所ではある程度フランクに話をするが、人がいる前ではどう接するべきかわからない。  公爵様とただの平民。  はたから見るアゴール公爵のイメージを壊してはならないだろう。  譲が萎縮していると、ヴィクトルが食堂に滞在している者達に告げる。 「当艦の運航は順調である。着港場所は予定通りにレニーランドと定めた。到着時刻は約半日後だ。それまではひとまず解散する。そう時間もないが艦内の設備、客室は好きに使うといい。褒美にゆっくりしてくれ」  それからヴィクトルは歓声がわく中をすぐに抜けてくる。 「ちょっといいかい」  譲はテーブルの脇に立ったヴィクトルに驚いた。 「アゴール公爵閣下、は、はいっ」  ヴィクトルはナガトに視線を向ける。 「テティスの中であればアレは作動しないと思って構わないかな?」  そう確認を取ると、ナガトが慎重に頷いた。 「宜しい。しばし譲を借りますよ。二言三言話をしたら返しますので」  互いの立場があるので丁寧に言う。ナガトも承知しているので「どうぞ」と送り出してくれた。譲と馬鹿話していた時のように吹いて笑ったりしない。  譲はヴィクトルと一緒に螺旋階段を上った。  最上デッキで二人きりになった途端、身体の力が抜けたようになる。 「大丈夫?」 「ごめんなさい、めちゃくちゃ緊張してたみたい。公爵とああやって話してて、ナガトは何で平気な顔でいられるんだろうな」 「彼は平民に紛れていただけで、元来は高貴な血筋の持ち主だからね」  譲はヴィクトルに腰を支えられて客室に入った。  性急に唇を寄せられ、壁に押しつけられた身体がしなる。 「ん、・・・ん、はあっ」  愛情深いキスは、しかし譲の唇を割ろうとはしなかった。重なってきた熱さに驚かされはしたものの、優しく紳士的なキスで、譲の方が物足りなくなる。 「その顔で戻ったらナガト王子がびっくりしてしまう」 「・・・・・・そんな誘導するみたいなやり方しなくても、テティスを降りた後に俺がどうしたいのかは決まってるよ」 「そう、じゃあ聞かせてくれるかい。譲はどうしたい?」  譲は唇を重ねたまま、吐息と共に答えを吐き出した。 「許されるなら、公爵と一緒にロイシアに帰りたい」    ヴィクトルは譲の腰を強く抱き寄せる。 「では努力してみよう」  自信ありげな口調と表情。 「良かった」  譲は安堵する。 「方法があるんですね」 「こうして二人で生きていたことが奇跡的だからね、どうにかやってみるよ」 「わ、ンンッ」  ヴィクトルが譲の鼻先をくすぐった。  詳しく教えてくれなかったが、譲は多くを知り過ぎて良い結果になった試しはなかったと学んでいる。  望む流れに乗れているのなら何も言うまい。この偉大な男の力に身を委ねるだけだ。  部屋を別々に出た譲は螺旋階段を使わず一度別階段を用いて下のデッキに降り、迂回をして食堂に戻ることにした。  その途中、食堂の扉の手前から変な声がしたのを聞きつける。  手前にあるとすれば厨房だが、今は雇われのコック達はショックで働けないので、ヴィクトルの手駒であった警護兵近と衛兵らが好き放題に食べ物や酒をかっくらっている。  近づいてみると声がしているのは正確には厨房の入り口に設置されている狭い物置だった。  掃除用具を入れておく為の場所だろう。  譲は漏れてくる呻き声に飛び上がりそうになった。 「えっ、トーマスさん?」  ドアを開けてみると、モップやら箒やらの隙間にトーマスが拘束されて押し込められているではないか。 「大丈夫ですか?!」  慌てて駆け寄り、背を起こして口のテープを取ってやる。 「申し訳ない。セレモニーの直前にボスに縛られた。悲しいことだが、私はボスに信じられていなかったんだ・・・どうか助けてくれないか、このことで私は目が覚めたよ」 「大丈夫です。革命軍側で生き残っているのは俺とナガトだけになってしまいましたから。俺はトーマスさんのこれまでを知っているわけではないですし、密告できることはありません」 「ああ・・・見つけてくれたのが君でよかった。ありがとう」 「いいえ、出ましょう。立てますか?」  何度も涙を流して頭を床にこすりつけるトーマスを慰めていると、後ろで「うおっ」と声がした。  ナガトだ。ちょうどいいところに来てくれた。  譲は仰天しているナガトに声をかける。 「トーマスさんが生きていたよナガト。ボスに裏切られたみたいだ」 「そうか、だが捕まってたお陰で助かったなんて皮肉だな」 「ええ。誠にその通りです。命拾いを致しました」  トーマスが弱々しく答えた。 「ほら立ち上がるのに手を貸してあげよう。手当てをしないと」  譲はナガトと共にトーマスの両脇を支え、客室に運んだ。横になりたいとトーマスが口にしたからだ。疲れ知らずの男達が騒いでいる食堂は休ませてあげるには不適切だとナガトが渋い顔をし、譲は客室を使おうと提案した。  トーマスは客室のベッドに横になり、疲労のせいからか顔色が悪く見えた。譲はナガトと目を見合わせ、彼を一人で休ませてあげる為に静かに外に出た。  廊下を歩きながらナガトが溜息を吐く。 「爆発解除の方法を訊き出したかったけど、想像を絶するようなことが次々と起こって、今は頭を整理したいだろう」 「うん。革命軍の誰もこの結末を迎えるなんて思いもしてなかったよな」 「ああ、昨日とは何かもが変わっちまった・・・。あとは心残りはイザークさんだ。あの人もトーマスさんみたいに戻ってきてくれたらいい」 「うん」  譲は俯いたナガトの肩を抱いた。 「とりあえず着港時間までそうないし、キャプテン室を調べてみるか」 「そうするか」  そして二人は甲板に上がる階段を上った。

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