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ナイトブルーム【試し読み】
黒縁メガネを掛け、咥えタバコのまま頬杖をつく姿が好きだ。春の木漏れ日が降り注ぐ午後、ぼんやりと穏やかに思う。
何にか悩んでいるのか、考えているのか、時々ため息を漏らし複雑な表情を浮かべる横顔をそっと盗み見る。
「なぁに見てんだよ。そんなに見つめられたら、余計に一文字も書けないんだけど」
彼は視線を俺に向けることなくそれだけ言うと、口端に咥えていたタバコを唇から抜き抜く。人差し指と中指の間に挟み、気だるそうにテーブル上に置かれた灰皿にそれを押し付けた。そんな、何気ない仕草もやっぱり好きだと思う。
「別に、見つめてたわけじゃない。勝手に決めつけるな」
「執筆作業中の俺に見惚れてるようにしかみえないんだけど、違うのか?」
「違う。いいからさっさと書けよ、締め切り過ぎてんだろ」
本音を口にしないまま間髪入れずに誤魔化し、彼の斜め前に置いてあるコーヒーカップを手にした。
「もうちょっと待ってろ、もうすぐ初稿が仕上がるから。そしたら一旦休憩する」
耳の後ろ辺りで切りそろえられたストレートの黒髪が揺れ、俺の頬に触れると少し低めの声が耳元を掠める。妖艶な声色に、手にしていたコーヒーカップを危うく落としそうになってしまう。
「零すなよ。余計な仕事が増える」
「お前が変な声で囁くのが悪い」
「変な声って……なんでも俺のせいかよ。まぁ、いいや。大人しく待ってろ」
スタイリッシュなダークブラウンのテーブルに横並びで座る俺たちは、数ヶ月前から恋人と呼ぶ関係になった。
テーブルの色に合うネイビーブルーのラグに座り、真横で必死にパソコンに向かいタイピング音を響かせているのが、片瀬響 。俺の高校時代の後輩だ。
俺たちは演劇部の先輩と後輩の関係で、それ以上でもそれ以下でもなかったが、ただひとつだけ特別な想いがあった。それに気づいたのは実に十五年の年月が経ってから。
『深月和歌 って女みたいな名前だな』そう馬鹿にされた最悪な出会いから始まり、ちょっかいを出されていた高校時代。
俺は片瀬が鬱陶しくて苦手だった……のに、それが十五年ぶりに再会して思い知らされた片瀬への恋心。長く燻っていた恋煩いに決着を付けたのは、意外にも俺自身だった。
夢を叶え脚本家になった片瀬と、役者で一人前になる夢を諦めホテルマンに転職した俺。どんな因果か、役者を辞めるきっかけを作った有名脚本家、紫山夜光 との再会も、長い恋煩いをぶり返すトリガーとなった。
そんな片瀬と紫山、俺の意外な接点は、空白の十五年を埋めるピースのひとつとしてはとても大きすぎた。
片瀬の俺への恋心は大人で、それこそ再会していなかったら言うつもりはなかったと言われた時は、正直意味がわからなかった。
俺の為に自分を犠牲にし、自作品と引き換えに俺を守ったと言われた時は胸が苦しくて、全部ひっくるめて文句を言った。
それでも片瀬は反論するわけでもなく、静かに笑っただけだった。
そんな紆余曲折を経て、今ではこうしてお互いの家に行っては穏やかな時間を過ごす。図書館でのバイト以外は大抵は毎日家にいる片瀬と、休みが不規則な俺。時間を合わせるのはだいたい片瀬で、俺はシフトの休みと絡ませ、彼の家に行くことが多い。マンションの家賃はそれほど高くないと言っていたが、広々としたワンルームは狭い俺の家とは大違いだ。
「なぁ、これってお前の趣味?」
背中を預けているだけの、ブルー基調のチェック柄のソファーを指さす。
「現品限りで二割引だったから買った……って話しかけるな」
シナリオを書きながらも、律儀に俺の質問に答える辺りは真面目というかなんというか。チェック柄も片瀬のイメージではないから、正直意外だった。
「意外だと思ったんだろ?」
「なんでわかった」
「だぁーかーら、脚本家は観察力や洞察力が磨かれるって言っただろ。さっきからソファー見ながら不思議そうにしてるから、そんなこと思ってるんだろうなって、すぐにわかる」
脚本家だと打ち明けられた時、そんな話もされたな……と、思い出したと同時に余計なことまで思い出してしまった。
「深月先輩?」
「……ちょっ、なんで急に先輩とか付けるんだよ」
「俺も思い出したから。ホテルでのあれこれ。アンタって言った方がいいか」
俺たちが恋人同士になった時、名前で呼び合うと決めた。でも実行してるのは片瀬だけで、照れが入ってしまう俺はいまだに苗字で呼んでいる。だからいつもは和歌と呼ぶはずが、急に呼び名が変わってあからさまに動揺してしまった。
「あとちょっとなのに……」
ため息と共に、ボヤいた意味を理解する前に塞がれた唇は、キスによってそれを思い知らされる。
「……っ……んっ、なにっ……」
肩を抱き寄せられ、片瀬が自然な流れでメガネを外し、テーブルに置く。身体が傾き、薄く開いた唇を吸いながら舌を絡ませキスは次第に深くなっていく。
「……っ……このまま、抱いていい?」
「……しょ、初稿……上がるまで……っ休憩しないっ……て」
息継ぎの間に片瀬に熱っぽく囁かれ、流されそうになるのを堪え、ぼんやりと仕事の心配をする。要領のいい片瀬のことだから、締め切りさえなんとかしてしまうだろう。だけど、と、思いながらも夢中になってしまう。
「一回だけ……。な、いいだろ?」
片瀬に押し切られると、断れない。それを知ってて言う辺り意地が悪いけど、さっきからの濃厚なキスで身体はすっかりその気だ。
「ちょっと、待てって……せめて……ソファー」
「結構気に入ってんじゃん、チェック柄のソファー」
二割引で買った割に、片瀬はやたらと話に絡ませたがる。意外だと思ったチェック柄も、よくよく見ると合ってるのかもしれないと思った矢先に、身体をソファーの上に持ち上げられた。
そのまま、覆いかぶさってきて身体が重なり合う。下半身を押し付けられると形を変えた片瀬のモノが当たり、ゴリっと音でもするんじゃないと思うほど硬い。
「マジで、ここで……」
「ベッドまでもたないから、ソファーでいいだろ?」
「でも、原稿っ……んっ、待てって……っ」
首筋に舌を這わせたままで「なぁ?」と囁かれると、もう無理だった。
……【続く】
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