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 運命が二人を導いたとするならば、こうやって終わりにすることも運命なのだろう。  愛する人の子を成すことができないオメガ性など、パートナーとして共に生きていく意味がないに等しい。 「――番を、解消してください」  テーブルの上にひろげられた第三の性婚姻抹消届。『妻』の記入欄に書かれている文字は細かに波打ち、インクが掠れている。  こんな薄紙一枚で、夫夫関係を終わらせることができる世の中が信じられない――そう思っていた。  下町でテーラーを営む柏尾(かしお)夕貴(ゆうき)は、テーブルを挟んで目の前に座るパートナー、重野(しげの)宏海(ひろみ)を直視することができなかった。心の奥に隠した後ろめたさがそうさせているのは明白だったが、どこまでも真剣で真っ直ぐな瞳を持つ彼にすべてを見透かされそうで怖かった。  何も言わず席を立った宏海にかける言葉は見つけられない。自分から言い出したことに言い訳をするつもりはないが、その理由を聞かれないことにホッとしている自分がいる。  膝の上で重ねたままの手が微かに震えていた。  こんな終わり方を望んでいたわけじゃない。でも――そういう『運命』であるというのなら、それを受け入れるほかないのだ。  夕貴は、これほど自身の体を恨んだことはなかった。  この世界には男女という性別のほかに『第三の性』というものが存在する。一番人口が多く一般的な能力を持つベータ。優れた才能と身体能力を持ち、政治や経済を動かしている富裕層に多いアルファ。そして、男性でも女性と同じように子を成すことができる器官を体内に持つオメガ。  国内でも希少種とされ、保護対象となっているオメガ性として生を受け、子を成すことができるはずの体……。しかし、妊娠の兆候すら表れない。  結婚して三年。無情にも、ただ時だけが過ぎていく毎日。 「出逢わなければ良かった……。そうすれば、こんなに苦しむことなんてなかったのに」  夕貴は、こみ上げる嗚咽を堪えながら唇を震わせた。ひろげられたままの抹消届に頬を伝った涙が落ちる。インクが滲み、夕貴が書いた字が更に掠れていく。それは、かき乱された夕貴の心模様によく似ていた。  耳が痛くなるほどの静寂の中で、夕貴の嗚咽だけが響いていた。夕貴を追い詰めたのは、優秀なアルファ性である宏海との結婚によって高まった周囲からの期待。そして、宏海の落胆しながらも夕貴に見せる優しさ。 「次回はきっと大丈夫……」  柔らかな笑みと声音の裏に隠された悔しさが手に取るように分かった。  そんな顔はもう見たくない――その思いが夕貴を突き動かした。

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