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一周してわかること16

 浴衣姿で歩く人々の波の中を進んでいると、なんだか異国に来たような心地になった。  学校や東京が遠くなる。  心が解放されていくような。 「知り合いがゼロっての、なんかいいよな」  心の声が聞こえたのか、忍はこっちを見ずに言った。  趣があるといえば聞こえはいい。  だが、忍はバッサリとそれを切り払った。 「廃墟じゃねえか」 「失礼なこと言うなっ。ちゃんとガイドに載ってんだぞ。創業百二十年の老舗旅館だって」 「いつ時代からだよ」  それでも値段は破格だ。  オレ達はそっと引き戸を開いた。  ふっと鼻先に檜の香りが舞う。 「ようこそおいでくださいました」  女将だろうか。  奥から初老の女性が恭しく現れる。  上にまとめた黒髪、白めの化粧に赤紅。  皺はあるものの整った手。  気品だ。  それを感じる。  言葉尻の響きの丁寧さとか。 「どうぞ、こちらへ」  忍がオレの肩を小突く。 「……熟女に見とれんなよ」 「そういう目じゃねえよ」 「どうだかなあ?」 「こちらの部屋になります」  女将の差し出した手の方を覗く。  今度は畳の香りが肺をくすぐった。  これ。  好きだ。 「広っ」 「十五畳になります。では、ごゆるりと。ご用件がありましたらあちらの電話よりお申し付けくださいませ」  見ると奥のほうの壁に電話が設置されている。 「あ、ども」  去り際に女将がちらと忍を見た。  それから目を細めて微笑む。 「麗しい女性かと思いましたら、男性の方だったのですね。美しい長髪ですね」  忍が目を伏せる。  さらりと髪が垂れた。 「ありがとうございます……」  慣れない礼に口が上手く回らないようだ。 「ですよねっ。忍の髪の良さがわかるなんて素晴らしい方ですね」 「何言ってんだ、てめえは」  女将は静かに笑って去って行った。  廊下の先で消えていった背中を見届けてから忍が息を吐く。 「俺ってそんな中性的顔してんのか」 「少なくともプリンセスってあだ名がつくくらいにはぶっ」  ガッと口を塞がれる。  抵抗しようとしたら、真っ赤になる忍の顔があった。 「もうその呼び名マジやめろ……」  こくこくと頷くしかなかった。  ていうか、なんだ。  今日の忍めちゃくちゃ可愛くないか。  ああ。  温泉にテンションが上がっているからか。

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