264 / 341

今別れたらもう二度と09

 その時の気持ちは……  焦燥だった  混乱だった  衝撃だった  動揺だった  落胆だった  歓喜だった  己の存在意義が根本から崩れてしまう  そんな、そんな気持ちだったんだ。  地に足がつく。  新宿歌舞伎町。  タクシーから降りた類沢は、静かに麻耶の方を向いた。  何を言われるのか知っているかのように口早に彼女はそれを遮る。 「帰れなんて、言わないで」  一切涙の滲んでいない、強い瞳。  ああ、そうだ。  この人は自分がどれほど辛かろうと涙を見せない。  ただ、いつも僕が無理をすると代わりに泣くんだ。  類沢は苦く笑って新緑の光を秘めるその瞳を見つめた。  非難はなく、心配もなく、ただ弟が姉を見つめるような、言いしれない何かを含めて。 「何年ぶりかしら……」 「十七年です」  1223。  あの写真のメモを忘れたことはない。  毎年十二の僕を残して歳月が過ぎていくのを感じつつ。 「そう。本当に……綺麗になったわね。雅。いえ……あの頃から怖いほど貴方は綺麗だった。人を寄せ付けない空気を纏って。今は、逆に人を惹きつけて離さない……それが、変化かしら」 「劣化、かもしれませんよ」 「いいえ。違うわ」 「貴女はこの十七年でどれほど僕が惨めだったか知らないから」 「いいえ……いいえ……っ」  麻耶が辛抱強く首を振る。  ネオンに照らされた栗色の髪が光を含んで揺れる。  四十という歳を感じさせない、透明でいて深淵のように掴めない魅力。  ここに似合わない存在。 「確かに、知ったような口は効きたくないわ。何があったかなんて。だって直接見てきたわけではないもの」 「雅樹は何か話してましたか」  その名前に麻耶が眉を歪める。 「あの子は……雅に似てるとこがあるわね。唯一の存在感を持っているのに、世界に何の期待もしていないような」 「くく……そう見えましたか」 「ええ。今は、違うけれど」  いいえ。  違う。  貴女は否定する。  僕が自分を蔑むとすぐに。  違う、と。  昔からそうだった。  必死で繋ぎとめるかのように。  何に?  彼女自身に?  麻耶は長い睫毛を少しずつ上に持ち上げ、こちらを見た。 「久しぶり、雅」  それは余りに滑稽な挨拶だったというのに、類沢は自然と返していた。 「お久しぶりです、麻耶姉さん」  再会をやり直すように。

ともだちにシェアしよう!