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Scapegoat
俺は劉、チャイニーズマフィアの下っ端兼貧乳専門風俗バンビーナの雑用係だ。
「だりー……」
昨日の夜、イカサマ麻雀で大金巻き上げられた。卓を囲んだ連中がグルになってはめやがったのだ。
ふて寝してえのは山々だが定時に顔を見せなきゃクソ上司にどやされる。
二日酔いで痛む頭をさすり、縺れる足を運んだ先は歓楽街。夕暮れを迎えた店にゃ灯が入り、不埒なネオンが瞬いていた。
「ウェエエエエ」
「ん?」
だしぬけに引っ張られた。なんだなんだと振り返り、エントランスの柱に繋がれたヤギに固まる。
「……なんでヤギ?」
誰かのペット?野良ってこたねえよな。
場違いな家畜をまじまじ観察。普通のヤギと違って毛皮が茶色く角なし、頑張りゃ仔鹿に見えねえこともねえ。
俺の混乱をよそにヤギは歯茎を剥き出し、アウト寄りアウトサイダーアートだの別宇宙のビックバンだの邪悪な曼荼羅だの貶されたシャツの裾を噛んでいる。
「ウンメエエエ~」
「離せ」
必死に踏ん張って取り返したものの、甘噛みされた裾は涎でべちょべちょ。
「最悪」
毒突いて敷居を跨ぐや、目のやり場に困るセクシーランジェリーを羽織った女が群がってきた。
「おっはー劉。顔色悪いけど生きてる?」
「死んでねえ」
「クマすごいよ~ちゃんと寝れてる?たまってるならヌイたげよっか」
「さわんな」
「新作ポルノに竿役出演するってマジ?遂に女性恐怖症克服?おめでとー」
「デマだよ。誰が流した」
「ゲイビの女役じゃないの?マニア向けのハードなヤツ」
「どっちもちげえよ」
「え~残念、見たかったのにー」
「ケツ揉むな」
「アバラですぎ~洗濯板みたい。ちゃんと食べてる?」
「てか外のヤギ何?」
「しらな~い、哥哥が連れてきたの」
「可愛いでしょ?なでると涎でべとべとになるけど」
「うちの看板にすんならヤギじゃなくてバンビっしょ」
「哥哥はどこだ」
「部屋にいるよー取り込み中っぽい」
「舎弟集めてたもんね」
遅刻決定。まあいいや。
「ヤギが鳴いてたよ」
「ヤギは外だろ」
「本当だよ、扉の向こうでウェエエエエイってユニゾンしてたもん」
意味わからん。
「うっ!」
耳の後ろにぬるい息を吹きかけられた。不意打ちに硬直する。背後をとった風俗嬢が心外そうに唇を尖らす。
「失礼ねえ、たてるもんが違うでしょ」
「劉は毎日頑張ってて偉いからサービスしちゃうよー」
「ご褒美ほしくないー?」
萎えた股間や貧相な胸板をまさぐられ、堪忍袋の緒が切れる。
「あっ逃げた!」
「ずる~い、もっと遊んで~」
断じてモテてるわけじゃねえ。他の舎弟がオラ付いたこわもてぞろいの反動か、年不相応な童顔に加え女が苦手な俺は、おもちゃ同然にもてあそばれてんのだ。
次から次へじゃれかかる手をかいくぐり、ブーイングをとばす痴女を巻き、やっとこ執務室に辿り着く。
「ふー」
揉みくちゃにされた生地をのばし、赤い発疹が浮いた首をかく。
「いるんすか?入りますよ」
ノックせんと拳を掲げ、内側から聞こえてきた謎の合唱に固まる。
「ウェエエエエエエ」
「ヴェエエエエエエ」
ヤギがいる。マジか。
扉に耳を添わせ盗み聞きを働く。
「そこ、濁んじゃねえ。ヴェーって長く鳴くのは羊、ヤギは濁んねえんだよ。本気でやんなきゃキマイライーターにチクんぞ、ヤギに蹴られて死んでもいいのか」
「すいません」
「やり直し」
ものまね大会?ドン引き。
「失礼します」
ドアを開ける。すぐ閉じる。観念して開ける。
「遅いじゃねえか劉。相も変わらず混ぜんな危険って感じのお召し物だな」
存在自体劇毒のラトルスネイクだけにゃ言われたくねえ。
机の前にパンイチで正座した舎弟たち―賭け麻雀で俺をかっぱいだ連中。呉哥哥はその口にティッシュを詰め込み、往復ビンタをお見舞いしていた。
「何やってんすか?」
「サボった仕置き」
後ろ向きに跨った椅子を平手打ちの都度回し、あっけらかんと告げる。室内にゃ段ボールが山積みされていた。中にはバンビーナの名前を刷ったティッシュが詰まってる。
「すいません哥哥、悪気はなかったんス。出来心で、ぶっ!」
舎弟の顎に裏拳を入れ、軽快に床を蹴って滑走する。
「コイツは運河。コイツはドブ。コイツはヤギ」
「ヤギ?」
俺の疑問に呆れ顔でうそぶく。
「レストラン裏に繋いであった食材のヤギに、バンビーナの販促ティッシュ食わせたんだよ」
「この量一日で配りきるなんて無茶っすよ!」
「配っても配っても減りゃしねえ無限湧きループじゃねっすか、街の連中にゃ特殊性癖の回しもんだって白い目で見られるし踏んだり蹴ったりっすよ!」
ティッシュを吐きだし弁解する舎弟たち。自業自得とはいえ同情の余地はある。
呉哥哥は貧乳専門風俗バンビーナの経営者。されど悔しいかな、斜向かいのミルクタンクヘヴンに今一歩売り上げで劣んのが現状。
そこで店名と宣伝文句を刷ったポケットティッシュの無料配布を決めたのだが、いかんせん発注量が多すぎた。
口に詰め物した舎弟をリズミカルに平手打ちし、哥哥が尋ねる。
「どうだうまいか」
「ン、めェえぇえ゛~~」
「だ~か~ら~あ、濁んなって言ってんだろ?てめえらもティッシュ食いすぎで腹壊したヤギさんの気持ちになってみろ、こちとら買い取らされて大損だ」
風俗経営は呉哥哥の道楽だ。当の本人はミルクタンクヘヴンをライバル視しトップにのし上がるべく色々画策してるみてえだが、巨乳をしのぐ需要が貧乳に見込めるはずねえ。世の野郎の大半はデカい乳が好きなのだ。
「どうせただならゴムのがよかったんじゃねっすか場所柄」
「ところで劉、てめえの分は」
突然矛先が向いてぎくりとする。
「捌いたっす」
本当は家にある。
哥哥がにっこり笑い、俺の髪の毛を雑にかきまぜる。
「ちゃんとノルマこなして偉い偉い、テメエを右腕に抜擢した俺様ちゃんの目に狂いはなかった」
「はは」
「追加な」
「は?」
呉哥哥が顎をしゃくった方向におそるおそる目をやり、三個増えた段ボールに凍り付く。
「全部なくなるまで帰ってくんな」
「ちょっ待」
「文句あんの?」
凄味を含んだ笑顔で脅す。舎弟たちが気まずく目をそらす。納得できず食い下がる。
「だってこれコイツらの」
「連帯責任ってヤツ」
喉元に殺到した罵倒を飲み込んで啖呵を切る。
「段ボールすっからかんにしてくりゃいいんでしょ。やりますよ」
「一枚でも残したらお仕置きだかんな」
段ボールを抱えて去り際何かを投げてきた。鹿角カチューシャだった。
「……?」
わけがわからねえまま、とりあえず頭に付けてみる。すかさずはたかれた。
「ふざけてんの?」
「滅相もねっす」
「忘年会の余興で発注したバンビちゃんきぐるみ着る?」
「お断りします」
「角はマスコット用」
「マスコット……まさか」
呉哥哥が無慈悲に言い渡す。
「ノルマ果たせなきゃヤギ汁ヤギ刺にすっから」
クソ上司に送り出されて引き返し、柱に縛ったロープをほどき、ヤギの頭にカチューシャを置く。
「……さすがに無理あんだろ」
ド近眼が遠目に見たらバンビと間違えるかもしれねえヤギと足並み揃えて歩く。余っ程お気に召したのか、移動中も俺の服をもしゃもしゃ噛んでいた。
「ウェエエエ~~ィ」
「人の柄シャツでキメんな、戻ってこい」
ネオン眩い街角に立ち、道行く連中にティッシュをさしだす。
「あ~……ティッシュ~ティッシュいりませんか~貧乳専門風俗バンビーナ特注噛んでよし食べてよしほのかに甘い上等なティッシュっすよ~」
立ち止まるヤツは皆無。乳繰り合いに夢中なカップルはこっちを見もしねえ。
「あれ何?ヤギ?ウケる~」
「糞してるし」
マイペースなヤギは俺の営業努力をよそに、丸く小さい糞をぽろぽろこぼしていた。
「……くそだりー」
クリスマスに客引きさせられた悪夢が甦り、ただでさえ枯れていたやる気が死んだ。
「バンビーナはいい子そろってますよ~。当店名物ローションカーリング、一回体験したら病み付きですよ~。貧乳フェチで合法ロリ好きなお客さんいかがっすか~」
やけっぱちにがなりたて、乳房の上半球を露出した女に接近するなりひっぱたかれた。
「喧嘩売ってんの?殺すわよ」
豊胸美人にあたっちまった。
盛りに盛った偽乳を暴力的に揺らし、憤然と立ち去る女の背後で突っ伏す。
「てかさ~絶対人選間違ってんだろ。客引きが目的なら俺みてえなシケたチンピラじゃなくキャピッた女にやらせろっての、あーゆー感じの」
じっとり私怨を込めた視線を往来に飛ばす。
「ミルクタンクヘヴンにおいでませ!今ならオプションで搾乳授乳プレイができますよ~」
「ばぶばぶばぶりしゃすな赤ちゃんプレイで哺乳瓶ちゅーちゅーできるよーっ」
俺が立ちんぼしてる反対側じゃ、金髪ボブのなんちゃってメイドとピンクツイテに牛柄ビキニのカウガールが、メルヘンチックなバスケットを下げティシュを撒いていた。
両方とも見覚えある。確かミルクタンクヘヴンの娼婦だ。
待てよ。
「反則だろ!」
金髪ボブとピンクツイテの胸元にはこれでもかとティッシュが挟まれ、鼻の下をのばした男たちがそれを掴み取りしていた。
期せずして抗議が届いたか、ご奉仕の意味を取り違えたポンコツメイドが胸を張ってほざく。
「言いがかりはよしてくださいな、販促に反則は存在しないんですよ」
「釣り堀入れ食いかよ……」
ドヤる金髪ボブの横、ピンクツイテが目を輝かせしゃがみこむ。
「ヤギさんだー!か~わいい~」
両手を広げたピンクツイテにヤギがとっとこ近付いていき、長い舌で顔中舐め回す。
「おにさーんのお店で飼ってるの?」
「今日中にティッシュ配んなきゃヤギ刺のさだめ」
「え……」
残酷すぎる末路を聞かされ、ピンクツイテの額に縦線が落ちる。
「やだやだ食べないでヤギさんいじめちゃだめー!ねえねえサシャちゃんティッシュもらったげよ」
「ええっ、バンビーナはライバル店ですよ!?」
「そうしなきゃこの子食べられちゃうもん、ヤギさんがお肉にされるなんてやだやだせっかくお友達になれたのに絶対やだよ~~」
ピンクツイテがヤギの首ったまにかじり付いて駄々をこねる。食われてんぞ髪の先っぽ。
「ね~いいでしょお願い、ティッシュならお仕事でいっぱい使うしウチのにまぜてもわかんないよお」
同僚の泣き落としに降参。
「しょうがないなあ。今回だけですよ」
「やったーサシャちゃん大好き!」
ピンクツイテが有頂天でジャンプし、金髪ボブと協力し合って段ボールを運んでく。
「ばいばいヤギさんまた遊ぼうね~」
「別にあなたの為じゃないですからねっ、スイートちゃんのおねだりにほだされただけなんで勘違いしないでくださいましねっ」
「今度ご飯もってくるね~」
「恩に着る」
ツンデレメイドと天然ツイテのコンビが退散するのと入れ違いに、またもやデジャビュを呼び起こす声が響く。
「恵まれない子供たちに募金をお願いします」
道端にカソックの神父がいた。首から木箱を吊るし、通行人に募金を呼びかけている。
「クリスマスに会ったよな?哥哥の知り合いの……」
「おや、奇遇ですね」
「なんでいんの。クリスマスじゃねえぞ」
「実は……」
深刻な顔色で切り出す。
「うちで飼ってる牝牛のメルティちゃんが先日の闘牛ごっこの際赤いハンカチに興奮しまして、あちこち走り回った挙句壁に大穴開けちゃったんです」
「なんだそのバイオレンスな遊び。死人がでるぞ」
「もちろんキツく叱っておきました」
「修理費入り用ならキマイライーターに頼め」
「そこまで甘えられません、自力で補えるものは補いたいんです」
「はあ……」
「歓楽街に罷り越されるのはお金と暇を持て余した酔狂な方々。色欲の罪をすすぐ意図で浄財を募れば天国が近付きますし、お互い良いことずくめじゃないですか」
瓶底眼鏡のブリッジを押し上げ、聖職者よりはペテン師に近い、食えない笑顔を浮かべる。
神父が考えることはわかんねえ。けどまあ、孤児院がぶっ壊れた責任の一端は俺に……もとい、うちのアホ上司にある。
きまり悪げにもぞ付き、皺くちゃの|紙幣《サツ》を木箱にねじこむ。
「よろしいので」
「雨風吹き込んだら寝起きするガキが気の毒だろ、ヴィクも預かってもらってっし」
哥哥の娘も。
お人好しな神父サマは甚く感激し、俺の手を握り締めて叫ぶ。
「ああ主よ感謝します、漸く壁の風穴をベニヤで塞げます!」
「暑苦しい。やめろ」
唐突な咀嚼音。
嫌な予感に襲われ向き直りゃ、食いしん坊なヤギ公がカソックの衣嚢の聖書を引っ張り出し、ページを破いて食っていた。
一気に青ざめる。
「ご無体な!ご容赦を!買い替えるお金がないんです!」
「反芻すんなぺっしろぺっ!」
「この子は?」
「バンビーナのマスコット」
「ヤギですよ」
「そこはスルーで」
「万事において適当でことごとくいい加減なあの人が考えそうなことですね」
さすがに付き合いが長いと見え、諸悪の根源が呉哥哥だと察したようだ。
「今日中にティッシュ配んなきゃヤギ汁」
「なんと」
地べたに這い蹲り、涎まみれの紙片を継ぎ接ぎしながら絶句。
「こんな可愛いヤギさんがスケープゴートにされるなんてほっとけません、募金のお返しにできることは」
「一箱もってけ」
ダメもとで吹っかける。
「お安い御用ですとも」
真に受けやがった。
「結構重いぜ」
「消耗品の予備はいくらあっても困りません、かえって助かりました」
ぺこぺこお辞儀し帰ってく神父に手を振り、ヤギと顔を見合わす。
「やったな、あと一箱だぞ」
「ウェエエエィ」
余命をわかってんのかいねえのか、ピンクの歯茎を剥いた相棒が気の抜けた返事をよこす。
なんだかんだ一緒にいるうちに情が移り、ティッシュ配りに意欲が湧く。
「貧乳専門風俗バンビーナ、バンビーナをよろしくおねがいしまーす!」
傍若無人な呉哥哥を見返したい一心で声を張り上げ、片っ端からティッシュを配りまくる。
「なに人のケツさわっとんねん」
「え?」
前を過ぎった男の尻にティッシュをさした瞬間、むんずと胸ぐら掴まれた。
「とぼけるとはええ度胸や。今さわったやろ」
「違」
「どないしたリトルブラザー」
「よお聞いてくれたビッグブラザー、痴漢の現行犯やで」
黒い革ジャンを刺々しいアクセで飾り立てた二人組に向かい、へどもど無実を訴える。
「待てよ誤解だ、痴漢なんかしてねえって」
「ほなスリか。カラダやのォてカネめあてとかなお悪いわ」
「俺はただティッシュを」
よく似たツーブロックの男たち……双子か?
最初に突っかかってきた方が話も聞かず、ゴツいメリケンサックを見せびらかす。
「反省の色ナシか。こら慰謝料もらわなあかんようやな」
「落ち着けリトルブラザー、通行人が見とるやん」
うんざり注意する兄貴の腰には刀が括られていた。不穏な雲行き。
「マジで誤解だって、上の命令でティッシュ配ってただけだ。名前聞いたことねえか、貧乳専門風俗バンビーナ」
「なに寝ぼけたこと言うとんねん、女は乳とケツでかくてなんぼやろ。なっ、ビッグブラザー」
「振んな」
兄貴が仏頂面のまま鯉口を切り、片割れがもったいぶってグーパーする。
「レオンブラザーズは優しいねん。おどれの店でただで遊ばせてくれはったら度重なる無礼ちゃらにしたる」
「冗談は刈り上げだけに、ぐっ!」
鳩尾に拳がめりこむ。
衝撃と激痛に跪き、霞む目で見上げれば、闘争心を滾らせた双子が威圧的に仁王立ちしていた。
「ダークの悪い癖でてもた」
「ビッグブラザーかて暴れたいやろ」
まずい。
俺が糸を手繰るより早く、偽物の角を猛然と振り立て、怒り狂ったヤギが突進してきた。
「ウェエエエエイ!」
「ちっ」
兄貴が膝を撓めて刀を抜き、現場に散った野次馬が悲鳴を上げる。
勝負は一瞬で決した。
男がヤギを斬殺する寸前、銀光閃くレイピアが刀を弾く。
「キマイライーター!!」
野次馬の喝采を受けて威風堂々佇むのは、大陸最強の賞金稼ぎと名高いキマイライーター。
白くなめらかな毛を靡かせた風貌こそ草食の代表格たるヤギそのものだが、片眼鏡の奥の瞳は冷徹な知性を帯び、ならず者を静かに諭す。
「街なかで流血沙汰は感心せんぞ。控えたまえ」
落ち着き払った佇まいに格の違いを突き付けられ、双子が悔しげに顔を歪める。
「相手が悪い。逃げよ」
「せやな」
踵を返し逃亡する双子をあえて追わず、自ら跪いてヤギをなでる。
「チンピラに絡まれて災難じゃったな」
「ウェエエイ」
「なんでこんなとこに?」
間一髪命拾いした俺の質問に、凪いだ口調で答える。
「自主パトロールの一環じゃよ。このあたりは物騒での、昔からイレギュラー狩りが絶えなんだ」
「女買いに来たんじゃないんすね」
「ワシは妻一筋だ。呉氏の部下だね?なぜヤギを連れてるんだい」
「話せば長くなるんすけど」
我ながら支離滅裂な説明を聞いたキマイライーターがしばらく考え込み、思いがけない提案をする。
「ティッシュがなくなるまで帰ってくるなと呉氏は言ったんだね」
「っす」
次いで高らかに指を弾き、すぐそばに止まったリムジンから運転手を呼び出し、杖の先端で箱をさす。
「これを車に」
「かしこまりました」
「あ、ありがとうございます!」
段ボールが車に運び込まれるのを見届け、恐縮しきって礼を述べる。
「礼なら勇気あるヤギに言いたまえ」
頭を下げた俺の真ん前、一枚だけ引っこ抜いたティッシュをソムリエめいて洗練された手付きで折り畳み、上品に咀嚼する。
「噛めば噛むほど滲み出る素朴な甘さ、柔らかにほぐれる繊維質の喉越し。大量生産品とは思えん上等なティッシュじゃ」
「……」
「失敬、ワシとしたことが迂闊じゃった。手掴みは行儀が悪いな、フォークとナイフを使わねばマナー違反か」
「はは」
「はははは」
セレブのジョークはわかんねえ。
キマイライーターが車に乗り込んで颯爽とお帰り遊ばされた後、俺とヤギは手ぶらで店に帰った。
「ご苦労さん」
「ウェエエエエイ」
エントランスの支柱にヤギを繋ぎ、軽く頭をなでて執務室へ赴く。
「ただいま戻りました」
「遅かったな」
ドアを叩いて入りゃ舎弟たちは既に消え、椅子にふんぞり返った呉哥哥が出迎えた。
「全部配ったか?」
「はい」
「捨ててねえだろな」
「とんでもありません」
「身体検査するぜ」
「どうぞ。気が済むまで」
両腕を水平に伸ばして直立。呉哥哥が椅子から腰を浮かせて回り込み、俺の肩・背中・腰をまさぐりだす。
「細。アバラがあたる」
「っ、痛いっす」
「わざと痛くしてんだよ」
乱暴な手付きで体の表と裏を調べ、ジーンズ越しの尻をさわる。
「こりゃなんだ」
低い声に驚いて振り向けば、呉哥哥が憎たらしげに勝ち誇り、ポケットティッシュをチラ付かせていた。
「え、なんで」
「俺様ちゃんが聞いてんだよ」
「ちゃんと全部配ったっすよ」
「尻ポケットに入ってたぜ」
「嘘だろ!?」
足払いでまんまと転ばされた。
「ってて……」
「一枚でも残ってりゃお仕置きって言ったよな」
床を這いずり逃亡を企てるも失敗、力ずくで引き戻される。窓の向こうにゃ色とりどりのネオン輝く歓楽街の街並みが広がっていた。
「窓に手ェ付け」
「何するんすか」
恐怖で声が裏返る。呉哥哥がいらだち、俺の手をねじり上げるように窓に持ってく。
両方の手を付いて体を支え、後ろ向きに尻を突き出す。生々しい息遣いと衣擦れに続き、ベルトのバックルがうるさくかち合って喉が渇く。
「やめ、ッぁ」
「動くな。前見てろ」
残忍な手がズボンをずらし、下着越しに股間をまさぐる。ともすりゃ漏れそうな喘ぎを嚙み殺し、熱っぽく潤んだ目で窓を睨めば、もどかしげな顔が映し出されて肌が火照る。
反射的に下を向きゃ往来の人ごみに知り合いが紛れていた。ピジョンとスワローだ。
「最悪だ……」
なんだってこんなとこに。遊びにきたのか。
上を見ても下を見ても恥ずかしさで死にそうだ。唇を噛み縛り、意地悪な愛撫にひたすら耐える。
「あっ、く」
申し訳に恥骨に引っ掛けたトランクスの中心にいやらしいシミが広がり、弱々しく身をよじる。
「見られて滾ってんの?」
「違、ぁあっ」
「膝が笑ってるぜ」
「哥哥やめっ、ぁあっん、そこさわんな、ぁっふ、恥ずかし、ふっううっ」
ピジョンとスワローはすぐ上の俺に気付かず喋ってる。
頼む、そのまま気付かないでくれ。
理性が蒸発した頭で狂おしく祈り、テメエの吐く息でかき曇る窓に縋り付く。トランクスの前はギンギンに勃起し、痛いほど張り詰めていた。
「はーっ、はーっ」
早くらくになりてえ。生殺しは辛いだけ。トランクスはカウパーでびしょ濡れ、窓で潰れた乳首の芯は固くしこっている。
「ドスケベ」
呉哥哥が耳裏でひやかし、尻に剛直を擦り付けてきた。
「!んっ、ぐ」
会陰を擦り立てる動きに腰が釣られ、窓に付いた指が力む。
「哥哥やっ、んっあ、それ以上はもたねっ、からホント、やめ、くださ、ぁっあっ」
窓ガラスが火照りを吸い取り、だらしなくとろけきった素顔を暴き立てる。
気持ちいい。
気持ち悪ィ。
哥哥が下着に手を突っ込み、半勃ちの雫滴るペニスをしごく。
「あっ、ンっぁ、っあ」
「しっかり目ェ開け、みんなこっち見てるぜ。テメエをオカズにマスかいてる」
「許し、ふぁっ、ぁあっ」
鈴口に滲むカウパーを全体に満遍なくまぶし、よくなじませ、一番感じる裏筋とカリをくすぐる。その間も小刻みに片膝を動かし、会陰に振動を送り込むのを忘れねえ。
「ふッ、んンっ」
窓に凭れてずり落ちる間際、腰を掴んで引っ立てられた。
「手ェ離したらやり直しな」
シャツの内側に手をもぐらせ、首元まで大胆に引ん剥く。根元から先っぽまで絞り立てるように摘まんじゃ離され、透明な涎が糸引く口で喘ぐ。
「もおィく、ィかせてくだ、ぁっあ」
くそ、呂律が回んねえ。
哥哥がペニスの根元を掴み、わざと見せ付けるように窓に向かって立たせる。
「恥ずかしいか」
無言で頷く。
「やめてほしい?」
繰り返し頷く。
「じゃあ出せ」
会陰を押すピッチが速まる。同時にキツくペニスをしごかれ、先端に血が集まっていく。
「イけよ」
快感の荒波に翻弄され、射精欲が膨張する。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッぁああ」
頭ん中で白い光が弾ける。
ぐったり弛緩し倒れ込む寸前、力強い腕で抱きとめられた。ネオンを映す窓ガラスには粘っこい精液が飛び散ってる。ピジョンとスワローはとっくにいなくなっていた。
「お仕置き完了」
呉哥哥が楽しげに口笛を吹き、俺からパクったティッシュでこれ見よがしに手を拭く。
立ち上がる気力体力も尽き、床にへたりこんだまま上司を睨む。
「……アンタがやったんだろ」
大前提として、ケツにモノ詰められりゃ嫌でもわかる。消去法で推理すりゃ犯人は呉哥哥。
身体検査に託けて、予め用意しといた分を仕込んだに決まってる。
「証拠あんの?」
「……ないっすけど」
「あっそ。さっさと立て」
しぶしぶボタンを嵌め、ズボンを引き上げたそばからポケットティッシュを放られた。
「後始末しとけ」
ブチ殺してえ。
情けさなさと恥ずかしさにいたたまれず、しかし逆らえず纏めたティッシュで床の汚れを拭いながら、指の匂いを嗅いでしかめっ面する呉哥哥に聞く。
「結局ヤギはどうするんすか」
「引き取るか」
「アパートじゃ飼えませんよ」
「食うなら太らせてからだな」
安心した。呉哥哥が笑いだす。
「すっかり仲良しじゃん。妬けちまうね」
「命の恩人っすから」
この日を境にバンビーナじゃヤギが飼われることになり、ミルクタンクヘヴンの風俗嬢がトイレットペーパーを持ってせっせと通い詰めるのだが、それはまた別の話。
「見ろスワロー、ヤギがいる」
「バンビじゃね?角生えてるぜ」
「絶対ヤギだよ。目だけはいいんだ俺」
「自分で言ってて虚しくねえの」
「やっぱりヤギだ!懐っこいなあ、このお店で飼われてるのかな」
「ここ劉の兄貴がやってる店じゃねえの」
「あの人か……」
「関わりたくねえからとっとと行こうぜ」
「元気でね」
「ウェエエエエエエイ」
「そういやお前、劉がせっかく持ってきてくれたティッシュ俺に黙って箱ごと返したろ」
「邪魔だし」
「邪魔じゃないよ、トイレットペーパーの代わりにするとか色々使えるじゃないか」
「非常食にするとか」
「さすがにそれは……」
「キマイライーターに貢げば喜ぶかもな」
「あんないかがわしいティッシュ好んで食べるわけないだろ、あの人はセレブでグルメなんだ」
「やっぱりいかがわしいって思ってんじゃん」
「劉には内緒な。傷付くと可哀想だから」
「今さらだろ」
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