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演劇部の男
三階に繋がる階段の下で胸が高鳴るのを必死に隠していた。
同級生達に囲まれながら、次の授業の教科書を胸に抱いて、胸の音を少しでも隠そうと口を動かす。
それまで友人達の話を聞いているだけだった俺が、急に活発になったのを不審に思っているだろう。
それでも、この鼓動を聞かれるぐらいならば、不審に思われるぐらいでちょうど良かった。
三階には、三年生の教室がある。
しかし、俺の鼓動の原因はそこには無い。
ならば何に反応したのか、そう聞かれると少し本当に困る。
きっと、友達に問いかけられても答えることは出来ないだろう。
三階には、三年生の教室とそこにひっそりと隠すように用意されている演劇部の活動拠点があった。
そうそれだ。
俺の身体はその演劇部の部員に反応している。
同級生の中でも一際目立つ存在であり、クラス問わず全ての女子を虜にする男が演劇部には所属していた。
あろうことか、俺もその男に心を奪われてしまった。
念の為に言っておくが、別に俺はゲイでは無い。セクシャルマイノリティもノーマルのはずだった。
その男と会うまでは。
男である俺ですら惚れるほどに、その男は綺麗でかっこよかった。
正直会話すらしたことは無いのだが、男の演技は知っている。
舞台に上がると途端に幕が開いて、一瞬でその空間を物語の世界へと変える。
部活紹介で初めて見た時に、世界が一変するのを感じた。
それから、男のことを調べ始めて、男がモテモテで、恋人はいないこと、二年生にして部長を務めていることを知った。
それまで一度もその男のことを認識したことは無かった。
顔や容姿などの情報は、俺にとってはどうでもいいことであることがはっきりしたところで、どうしてそんなイケメンに惚れたのか不思議に思うだろう。
俺は男の形に惚れたのではなく、演技に惚れたのであった。
演劇というものをそれから知った俺は、直ぐに他の演劇を見た。
けれども、その男程に心を震わせるものは居なかった。
そうしてどんどんのめり込むうちに、今となっては立派なファン一号だ。
ファンであると同時に惚れ込んでしまったので、男のファンで好意を持っている奴一号でもある。自称一号なので、本当の所はどうか知らないが。
そしてその男は今まさに階段から降りてこようとしている。
急かすように友達の背を押しながら、ペラペラと中身のない話を続ける。
好きな人と同じ空間にいて、顔を染めずに笑える自信はない。
変に疑われる前に、この場を離れるのが先決だ。
「あれ、あいつ……」
男の声が聞こえたような気がしたが、まくし立てながらこの場を急いで離れる。
しかし、それは出来なかった。
男は俺の手を掴んで笑っていた。
俺は完全に固まってしまい、友達も先へ行ってしまった。
薄情な奴らだと悪態をつくが、今はそれ所ではない。
いわば、推しが目の前に来て俺に向かって何かを言おうとしている状態だ。
つまり一言で言うと、興奮で死にそう。
「君いつも、見に来てくれてるよね」
「は、はいぃ」
情けないことに声が裏返ってしまった。
この男のことを知ってから、この男の出る演劇は全て見に行った。
最前線をなるべく守りながら、いつも静かに応援している。
しかし、まさかそれに気が付かれているとは思いもしなかった。
「いつもありがとう。ね、それでなんだけど」
緊張で震えそうになる手を叱咤しながら続きの言葉を待つ。
震えるな、手。
「演劇に興味あるの?」
「はい、とても!」
演劇というか、貴方に興味があります。
思わず頭を下げて跪きたくなるが、叱咤する。
そんなことをして変なものを見る目でも向けられたら生きては行けない。
「演劇部に入らない?」
「え?」
「きみさえ、良ければだけど」
演技をしている時とはまた違う、困ったようなふわりとした笑顔を向けられて思わず首を縦に振る。
この男は、自信のある笑い方をするものだと思っていたが、それも演技の世界だけだったらしい。
新たな発見だ。
それよりも、今自分は何を言われたのだろうか。
演劇部に入らない?
俺が入ったらお目汚しにしかなりませんが?
しかし、そんなことを考える前に感情に従って頷いてしまった。
もうあとには引けないだろう。
「入ってくれるのなら、俺の秘密も教えてあげるよ」
「はい、入ります。よろしくお願いします」
秘密と囁かれた言葉にすっかり負けて、口からはその言葉が溢れ出していた。
「ほんと? 嬉しいな。でね、秘密なんだけど……」
ゆっくりと顔を近づけてきた男から、いい匂いがする。
甘いバニラのような心地の良い匂いだ。
俺は匂いと距離に目を回しながら、男の秘密だけは逃さないと耳をすませた。
「俺が君を見ていること、知ってた?」
「は」
何を言われたのか分からなくて、首を傾げる。
そうしてやっと落ち着いた脳がその言葉を反芻する。
俺が君を見ていること、知ってた?
急速に顔に熱が集まってくるのを感じながら、思わず走り出してしまった。そんな姿を見ながら男は、自身の唇を指で撫でて呟いた。
「おもしれーやつ」
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