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其ノ拾伍、刻
【主要登場人物】
劔咲 裂
【その他登場人物】
ナギ
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あれから翌日。
「…やはり異常はない、か…。」
亥の刻となり、通常の時間通り村の巡回へ出ていた裂は、再び例の樹海の入り口付近に来ていた。
「夜に来てみれば状況がわかると思っていたが…。」
あの混沌とした気配は、やはり気のせいだったのだろうか。
樹海の入り口付近は昼間以上の不気味な雰囲気を醸し出していたが、あのような気配は感じられなかった。
「はあ…。」
昨日の出来事が心に残り、裂は深い溜息をつく。
「…過去のしがらみに囚われているのは俺、か。…そう思われても、無理はないよな…。」
劔咲は過去、政府組織に身を置いていた者。
犯罪組織に身を置いていた自分とは、長いこと対立してきた。
その者に、今更真実を知ってもらうなど、そう簡単に認めてもらえるはずがないのは目に見えている。
「くそ…。」
生き辛い現実に、裂は夜空を見上げる。
黄金に光り輝く満月が、憎いほど眩しく見えた。
「たすけてええ!!」
「!!」
突然、助けを求める声が裂の聴覚を微かに刺激する。
声色から、おそらく子供の声だと裂は判断する。
「チッ!あっちか…!?」
少し遠い場所からの叫びだった。
裂は声がした方角を特定し、渾身の力で地面を蹴った。
木々を縫うように、裂は小さな竹林を抜け出す。
「!!」
月明かりが照らす先には、泣き噦る白髪の男児の姿。
声の主はこの者で間違い無さそうだ。
裂は急いで男児の元に駆け寄る。
「おい、大丈夫か!?」
「ははうえ、ははうえがぁ…!!」
「…!!」
男児の指差す方向を見て、裂は驚愕する。
禍々しい邪気を放ち、まるで毛玉のように全身を触手が這う邪狂霊の姿。
その触手に覆われた身体は、かろうじてヒト型の名残が残っている。
しかし、余程強い怨念のためか異形と化しており、両腕は鎌のように、脚は蟲のように変形していた。
そこに、男児と同じ白髪のアヤカシ、雪女が捕らわれていた。
「ッ…!来ては…なりませぬ…!どうか息子を…!」
息絶え絶えに、雪女の母親は子を連れて逃げるよう促す。
だが、裂は退く気など一切無かった。
「は…、俺を甘く見られたら困るな…。」
これまで幾度となく困難に立ち向かってきた。
この村に来るずっと前から。
裂は背に身につけている忍者刀を引き抜く。
邪狂霊を目掛けてザッと地面を蹴ると、少量の砂利が宙を舞った。
目に見えぬ速さで、裂は邪狂霊に忍者刀を振りかざす。
「きゃっ…!」
雪女を捕らえる邪狂霊の触手を断ち切ると、雪女は呆気なく解放された。
すかさず、裂は雪女を邪狂霊から引き離し、片手で抱えながら男児の元へ後退する。
しかし、裂はこの時、呻き声一つ上げない邪狂霊に違和感を感じていた。
「…!あ、あ、ありがとうござい、」
「礼は後で聞いてやる。子供を守れ。」
気が動転し、言葉が出てこない雪女を早急に男児の元へ届けると、裂は服に付属する頭巾を深々と被る。
万華鏡神社の警護隊たるもの、村民の命を脅かす存在は徹底的に駆除しなければならない。
「さて…、遠慮なく殺し合おうか…!」
裂は狂気じみた笑みを浮かべ、再び邪狂霊めがけて地を蹴った。
裂は独りで戦っているときの時間が好きだった。
犯罪組織に所属していた頃、どうすれば脱獄できるのか。
常日頃、寝る間も惜しみながら、まるで呪われたように考えていた。
もし、この目の前に広がる血の海が、自らを陥れてきたアイツらの残骸だったら。
そう思うと、恨めしくて、虚しくて、楽しくて仕方がなかった。
力強く畝りながら、邪狂霊が裂に攻撃を仕掛ける。
蛆虫のような触手が、多方向から襲いかかってきた。
「…!」
裂は素早い動きで相手の攻撃をかわし、慣れた手つきで忍者刀を振りかざす。
ふと、邪狂霊の顔らしきものが裂の視界に映った。
「ッ…!?」
まるでこの時を待っていたと言わんばかりに、ニヤリと上がる口元。
その光景に、裂の行動が一瞬だけ鈍る。
「お前、何者だ…!?」
本来、邪狂霊となった者は、生前の意思だけを頼りに襲いかかってくるものだ。
しかし今、目の前にしている者は完全に違っていた。
暗闇の中に感じる、はっきりとした自我。
それはまるで、今もなお生きているようだった。
鈍った裂の動きに、邪狂霊の攻撃が容赦なく繰り出される。
「チッ…!」
邪狂霊の触手に殴り飛ばされ、裂は救出した雪女の親子の前に投げ出される。
鈍く深い痛みが、肩からじわりと広がる感覚。
殴られたと同時に、あの腕が変形した鎌で斬られたのだろう。
目の前には、自らのものと思われる鮮血が地に飛び散っていた。
「は、はは…!面白いな、オマエ…!!殺し甲斐がありそうだ!!」
負傷しているにもかかわらず、裂は凶悪な笑顔で戦いを楽しんでいた。
襲いかかる邪狂霊の圧力に、裂は忍者刀を構えて迎え撃つ。
しかし、斬られた肩から腕までの感覚が鈍い。
忍術を繰り出す余裕も無く、このまま耐えきるのも、もはや時間の問題だった。
邪狂霊の鎌が振り上げられ、鋭利な刃がギラリと光るのが見えた。
その光景ですらも、裂はニヤリと笑みを見せる。
「ハッ…!誰かのために、死ねるなら、本望だ…!」
グッ、と裂は奥歯を噛み締めながら目を瞑る。
「裂!!」
暗闇の中、自分を呼ぶ声が聞こえる。
それは一番会いたくない者の声だった。
今までは。
「!!」
黒と黄色の服装が印象深い、かつて対立してきた者。
目の前には、こちらに駆けてくる劔咲の姿があった。
戦いに狂っていた裂の表情が、スッと冷静なものに戻る。
「…おいウソだろ…。」
思ってもなかった光景に、裂の口から唖然の言葉が零れ落ちる。
「はぁ!!」
劔咲は持ち前の特徴的な形の巨大金属武器を構え、迷うことなく邪狂霊に振りかざす。
おそらく相当の重量がある武器だが、彼女は難なく振り上げ、力と重さで邪狂霊に立ち向かっていた。
片膝をついていた裂は何とか立ち上がり、感覚の鈍る片腕を庇いながら再び忍者刀を構える。
「…お前、何故こんな夜中に…」
「話は後だ!ヤツを片付けるぞ!」
劔咲が邪狂霊を引き付けているお陰で、若干の余裕が出来た裂は、すかさず忍術で雪女の親子の周りに結界を作った。
一先ず、これで親子の安全は確保された。
あとはこの邪狂霊を仕留めるだけだ。
列は負傷しながらも、急ぎ劔咲の元へ参戦した。
「チッ…!おい裂、何なんだあいつは…!邪狂霊にしては様子がおかしいぞ…!?」
「…わからない。だが、普通のヤツより危険な存在なのは間違いなさそうだな。」
やはり、劔咲もこの邪狂霊の違和感に気付いていた。
そして、この”謎の怪異”は、これまで裂が探っていた気配に酷似していた。
おそらく、この怪異が気配の主で間違いなさそうだ。
保護している親子の為にも、あまり時間は掛けられない。
救援に来た劔咲と力を合わせ、早急にこの戦いを終わらせねば。
「!?」
突然、音もなく邪狂霊が姿を晦ます。
まるで嵐の前のような、嫌な静けさだった。
じわりじわりと、強く禍々しい気配が近づいてくる。
「劔咲!!上だ!!」
裂の叫びに促され、劔咲は頭上を向くと、目の前には先程までの邪狂霊の姿。
邪狂霊の鎌と、劔咲の武器が交差し、ギィンッ、と鋭い金属音が周囲を木霊する。
「っ…!ナメんな!!」
劔咲は持ち前の怪力で跳ね返し、そのままもう片方の武器で怪異の身体をグサリと貫いた。
ぼたぼたと、怪異の鮮血が流れ出し、地面を真っ赤に染め上げる。
途端に、劔咲の武器で串刺しのままの邪狂霊が顔を上げる。
触手の合間から見えるものに、劔咲はゾッと凄まじい鳥肌が立った。
顔と思っていた場所は、顔ではなく、巨大な口のみ、だった。
そして、その巨大な口の中には、複数の人面が覆い尽くされ、まるで効いていないかのように笑っていた。
『ソノテイド、オソレルニ、タラズ』
「なっ…!?」
パリン、と硝子細工が割れるように、その邪狂霊は突然粉々になり、風に流されるように姿を消してしまった。
「消え、た…?」
再び何処かから襲ってくるのではないかと劔咲は身構える。
しかし、先程までとは打って変わり、その禍々しい気配が一切無くなっていた。
「…消えたというより、逃げられたと言う方が正しいかもしれないな…。」
痛む肩を庇いながら、裂は劔咲に近づいた。
なんとも納得できない終わり方に、劔咲は深々と溜息を吐く。
「裂、一体ヤツは…、」
「あの!ありがとうございます!!」
言い終わる前に、救出した雪女の母親が子供と手を繋ぎながら礼を述べる。
「ああ!劔咲様まで…!御二方とも…なんとお礼を申せば良いか…!」
「礼などいらん。それより、そなたたちが無事で良かった。」
感謝の気持ちを抑えきれない母親に、裂は苦笑いした。
誰かを守り、感謝を得られる。
それが裂にとって、一番の生き甲斐だった。
「裂も、な…。」
「!」
傍らで、劔咲が笑みを向けながら呟いた。
かつて反発し合っていた者からの賞賛に、裂は一瞬言葉が詰まってしまった。
改めて、裂は状況を整理する。
「…それより、こんな夜更けに子を連れて出歩くなど感心しないな。送ってやるから、大人しく帰る事だな。」
「…!申し訳ありませぬ…。この子が、しきりに外に出たがっていたのを許してしまったが故…。」
母親は頭を下げ続けた。
その隣で、しゅんとする子供の前に、劔咲は目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「…何で外に出たがっていたんだい?」
劔咲は安心させるように笑みを浮かべながら、子供に話しかけた。
これまでの出来事に、子供はオドオドと困りながらも劔咲の問いに答えた。
「…よばれたの、ぼくのなまえ、たくさんのひとに、ずっとよばれていたから…。」
「この子を呼ぶ声など、私には聞こえなかったのですが…。それにこんな夜更、村に出歩いている者などそう居ないはずなのに…。」
付け加える母親に、劔咲と裂は互いに顔を顰めた。
どうやら今回の件は、慎重に探らねばならないようだ。
「うう、ごめんなさい…。」
「もう済んだことだ。次は気をつけるんだぞ?」
劔咲は子供をあやすように、真っ白な頭を優しく撫でながら約束の指切りをした。
「…そうか、状況は分かった。だがどんな理由であれ、こんな夜更けに出歩くものではない。」
裂は気を緩めず、母親に注意を促した。
「…下手をすれば、取り返しのつかないことになる…。」
声色を下げながら、裂は後ろを振り返る。
そこには、異様な量の鮮血が辺りを覆い、月の光を跳ね返していた。
………
「…で、劔咲は何故こんな時間に村をうろついていたんだ?」
親子を家まで送り届けた裂は、劔咲と共に屋敷へ足を運んでいた。
「…気がかりになっていた。」
裂と言い合いになり、自分の深入りした行動を悔やんでいた。
そしてようやく、長年の心の靄が晴れたのだ。
「昨日の件を、謝りたかった。」
劔咲はゆっくりと歩きながら伝える。
「…何だ、今更そんなことを、」
「今更であろうが、話しておきたいんだ。」
半ばどうでも良いかのように話す裂に対し、劔咲は一層真剣に答えた。
間接的だが、裂の過去を知った今、あの頃の疑心は一切無くなっていた。
その疑いに満ちた自らの心が、どんなに愚かなことだったか。
劔咲は反省してもしきれない程だった。
「…過去のしがらみに囚われていたのは私だった。」
劔咲は自らの発言を酷く後悔していた。
しかし、後悔したところで発言が無かったことになるなどあり得ないこともわかっていた。
「裂はあの犯罪組織…”カミカクシ”から抜け出し、ようやく過去と決別できた。それなのに…、そうとも知らずに私は…、」
「…幻洛から聞いたのか。」
裂は劔咲の真意を察するように答える。
月明かりの照らす静かな夜道を、二人はゆっくりと歩いた。
「確かに俺は、犯罪組織集団”カミカクシ”の団員であり、罪を犯した者だ。この先どんな善を尽くしても消える事はない、過去の真実だ。」
裂はひたすら前を見ながら話をする。
「俺は、決して良い環境で生まれ育ったとは言えない。常に飢え狂い、生きる為に必死だった。故に、物心がついた時から犯罪に手を染め、その行いをカミカクシに所属する奴らに魅入られ、入団したんだ。」
生まれる場所は選べない。
故に、その環境に適応して生きていかなければならない。
「…カミカクシでは、俺はただの駒だった。良いように扱われ、一切の口出しも許されない。ただ従うだけの毎日に、自我も失いかけていた。」
忌々しい過去を思い出したせいか、その独特の紅白の色をした目は何処か虚ろだった。
「老若男女問わず、命乞いをする罪のない者たちをも虐殺するよう命じられる日々に、自分の中の何かが壊れていくのを感じた。…だがある日、虐殺を行った残骸を見たとき、こう思ったんだ。」
ふと、裂はそのまま立ち止まる。
「俺は何の為に生きているのだろうか、と…。」
裂は空気の澄んだ宝石のように輝く夜空を見上げる。
「だから俺は、反逆を試みた。上層部の奴らの寝首を掻き、自由に生きる権利を手に入れたかったんだ。」
「…。」
「…だが計画は失敗した。どこで情報が漏れたのかは知らないが、いつの間にか俺が寝返ることが上層部に報告されていたのだろう。」
当時の出来事を悔やむように、裂はグッと奥歯を噛み締める。
「いつもの様に任務に連れ出された俺は、目的地である森にたどり着いた。…そこは邪狂霊が大量に出現する、生と死の境とも言われる樹海だ。」
おそらく、それは伊丹が言っていた樹海のことだろう。
劔咲は静かに、注意深く話を聞いた。
「気づけば、先導していた組織関係者は皆居なくなっていた。…丸腰のまま置き去りにされたんだ。もっと早く疑問に思えば良かったものの、服従する日々に、気づく余裕も無かった。」
自分の不甲斐なさに、裂は静かに自笑していた。
「俺は必死に出口を探したが、元来た道を辿っても、出口に辿り着くことはなかった。そして、…樹海の邪狂霊に出会ってしまった。」
裂はゆっくりと、再び歩みだした。
ジャリ、と地面の小石が静かに鳴る。
「いつかはこうなるだろうとは思っていた。それでも必死に逃げ回った。ただ俺は生きたかった。生きて、”普通”の暮らしがしたかった。」
自由になる権利を得て、生きて、普通の暮らしがしたかった。
その言葉が、劔咲の心を締め付ける。
「…そこで樹海で出くわした伊丹に助けられた…、そうなんだろ…?」
「ああ。…本当に、今でも伊丹には足を向けて寝られないくらいだな。」
ようやく、裂は素の笑顔を見せた。
その笑顔は、心なしか何処か疲れを感じさせるものだった。
「…ようやく手に入れた、俺の真の生きる道だ…。」
その言葉に、劔咲はハッとし、思わず立ち止まった。
「…裂、まさか居なくなったりなど…、」
「一時はそうも思っていたが、今日の件もあるしな、考えを改めておくよ。」
焦る劔咲とは裏腹に、裂は落ち着いた口調で話す。
ゆっくりと、劔咲の歩調と合わせながら。
「ようやく見つけた居場所なんだ…そう易々とは手放す気は無い…、ッ!」
突然、裂が鈍い声を上げる。
肩口に負った傷が、燃えるように熱くズキズキと痛みを放っていた。
思わず劔咲は駆け寄った。
「おい!平気か…!?」
「…、ただのかすり傷だ、この程度、今更慣れている。」
痛みの峠を越え、問題ないように裂は答えた。
その様子を、劔咲は苦虫を噛み潰した表情で、何もできない自分を悔やんだ。
「すまない…私がもっと早く駆けつけていれば…、」
「大丈夫だと言っている。むしろ劔咲が来たお陰で、この程度の傷で済んだんだ。」
ぼんぽん、と裂は落ち込む劔咲の肩を優しく叩いた。
「…それにしても、まさか生きているうちに、女に助けられる日が来るとはな。」
「!」
「あの親子と、俺の命も救ったんだ。…ありがとう、劔咲。」
かつて敵対していた者からの、偽りのない感謝の言葉。
それ以上に、別の言葉が劔咲の中で刺さっていた。
「…私を”女”と称す、か…。そうだよな…。」
「?」
不可解な言葉に、裂は疑問符を浮かべる。
先程までの和やかな空気が、少しだけ緊張感を含む。
「…ああ、この事は誰にも話していなかったな…。」
劔咲は再び歩き出す。
その傍らを、裂も続いた。
「知っての通り、私はお前と対立する政府組織に属していた。」
劔咲は夜空を見上げる。
「そこで私は、訓練兵として過ごしてきた。男だろうが女だろうが、扱いは同じだった。…ただ組織に従い、駒のように扱われるだけの兵士として、な。」
「…。」
駒のような扱い。
まるで自分に似た境遇に、裂は顔を顰める。
「そこで私は、女である全てを失った。…これがどういう意味か、わかるか?」
「…!」
すなわち、劔咲は強制的に避妊の施術を受けさせられた。
どんなに拒絶をしようが、駒の言い分など通るはずがなかった。
「もはや政府組織にとって、性という壁は邪魔に過ぎなかったのだろうな。」
劔咲は取り消すことのできない過去に、悲しそうに苦笑いした。
「民間には都合の良い部分だけを見せつけ、悪い部分はとことん隠蔽する。そして使い物にならない駒たちは、ボロ雑巾のように酷使させられた挙句に捨てられる。…結局、政府組織などという着飾った組織に見せかけて、やっている事は下衆以下だ。」
劔咲は沸き立つ怒りを堪えながら、グッと拳を強く握りしめた。
「…何故、そんな所に身を置いていたんだ?」
「捕まったのさ。私はこのように、少しばかり力が強いだろ?…それを利用させられたのさ。」
少しばかり、ではないがな。
裂はそう心の中で呟いた。
「しかしまあ、よくそこから出てこれたな…。」
「まぁな。脱獄を試みている者は大勢いた。だが当然、失敗に終わる者も多かった。だから私は、皆の突破口になろうと全力で争った。…故に、組織の蔵をいくつか破壊してしまったがな。」
劔咲は自分の脱出劇を思い出し、苦笑いした。
脱出の際、劔咲がどれほど抗い、組織の蔵というものを破壊したか、裂は不思議と想像がついた。
「何日も何日も、死にものぐるいで逃げ切った。生きた心地などしなかった。…そんな中でたどり着いたのが、この万華鏡村だ。竹林で倒れていた私を救ってくれたのが、ふゆはちゃんだった。」
「お前…ふゆはに助けられたのか…。」
ふゆはが助けられる側なら容易に想像がつくが、まさか劔咲が彼女に助けられる側など、思ってもいなかった。
「ああ。…あの時のふゆはちゃんは、まるで聖母のようだったな…フフッ…。」
当時のことを思い出しながら、劔咲は頬を緩めていた。
「…そんな事があったのか…、政府組織に居たという理由だけで煙たがってすまなかった…。俺は、仲間に対してあんな愚行を…。」
裂から発せられる”仲間”という言葉に、劔咲は心がフワリと浮いた。
「詫びる必要などない。公にしていなかった私にも非はある。それに、裂から見ればそう思うのが普通さ。」
逆に劔咲から見れば、かつての犯罪者という理由だけで、これまで疑いの目で見てきた。
これでお相子だ。
劔咲はそう伝えながらほくそ笑んだ。
裂は釣られるようにフッと笑う。
「…政府組織、か…。内面的に見れば、やっていることは俺たちとそう変わりないものだな…。」
目的を成し遂げるためなら、駒の権利は一切無とする。
そんな傍若無人な考えが、裂は一番嫌いだった。
気がつけば、堂々たる佇まいの建物、万華鏡神社が見えていた。
故に、屋敷まであと少しだ。
「…これだけは言わせておいてくれ。」
ふと、劔咲は足を止める。
急に立ち止まった劔咲に対し、裂は振り返った。
「出来る限り、私を女扱いしないでもらいたい。」
その面持ちは、些か真剣なものだった。
「政府組織での話は、いずれは皆にも話すが…いかんせん女とは言い切れない事実が、妙に心に刺さってな…。」
自分でも認めたくない思いに、劔咲は苦笑いしていた。
「…そうか、配慮が足りなくて悪かった。」
「否、あくまで私の勝手な思いだ。変に気を使わせてしまってすまない。」
素直に詫びる裂に対して、劔咲もまた心の整理がつかない自分の不甲斐なさを詫た。
「…しかし、女扱いするなと言えど、何故服装はそのようなものなんだ?」
裂は常々感じていた疑問を話した。
劔咲の服装は、どちらかというと町娘が着そうな女らしい装飾だ。
「ああ、これは…、ふゆはちゃんと初めて出会ったとき、彼女が私に見繕ってくれたものでな。」
劔咲は誇らしげに、自らの服装を見ていた。
「彼女の思いを蔑ろにする気はないし、これを着ていれば、いつでもふゆはちゃんのことを感じられるからな。…これはこれで、気に入っているのだ。」
町娘たちが聞いたら卒倒しそうなセリフを、劔咲は恥じることなくスラスラと話した。
「なるほどな。」
劔咲の話に、思わず裂も納得した。
元々、彼女の物理的な強さは敵うはずがないと思っていた。
そしてまた、仲間の思いを大切にする強さも、彼女の方が上なのかもしれない。
裂は再び屋敷へと足を運んだ。
その後を、劔咲も追うように歩んでいった。
………
無事に屋敷へ戻ると、茶の間にはナギの姿があった。
半魔という特異体質ゆえ、この日も眠ることなく巡回任務まで時間を持て余していたのだろう。
「!」
戻ってきた裂の姿を見て、日頃から表情の乏しいナギが少しだけ驚く表情を見せた。
「やあ、ナギ。」
そんなナギに、劔咲は軽快に声をかけた。
「何があった。」
ナギは一層真剣な表情で、単刀直入に劔咲と裂に問いただした。
「ただの怪異に巻き込まれただけ、だ…ッ」
「おい動くな。」
肩口に負った裂の怪我は、未だに血が滴っていた。
おそらくかなり傷が深いのだろう、劔咲は急ぎ処置を施す。
「…何故知らせなかった…。」
ナギの声には、少しばかりの怒りが含まれていた。
そんなナギに対して、自らの治療に専念する裂は茶化すように答える。
「ああ、それについてはすまなかった。見慣れない怪異で、少し余裕がなかった…。だが丁度、劔咲が来てくれてな。お陰でこの程度で済んだ。」
「見慣れない…?」
状況の読めないナギに、裂は続けた。
「邪狂霊のはずだったが、はっきりとした自我を感じた。今までに例のない怪異だった。…残念ながら、仕留めることは出来なかったが…。」
傷の処置を終えた裂は、そのまま服を着替えるべく立ち上がった。
「明日、幻洛たちにも詳細を伝える。流石にこんな時間に部屋へ押しかけるわけにもいかないからな。」
「…そうか…。」
ナギは短く答える。
時はもうじき寅の刻になろうとしていた。
こんな時間まで劔咲を巻き込んでしまい、裂は若干の罪悪感を感じていた。
「………そういえば幻洛だが、伊丹の部屋で寝ていたな。」
「「は?」」
ナギから告げられた突然の報告に、劔咲と裂は同時に驚愕した。
なんとも奇妙な心境のまま、裂たちは伊丹の部屋の前にいた。
「…。」
そろり、と襖から覗いてみると、ナギの言う通り、そこには伊丹と同じ布団で寝ている幻洛の姿があった。
「…俺は伊丹に用があったのだが、この通り幻洛が完全包囲していてな。」
覗き見をしている劔咲と裂の後ろから、ナギが無表情のまま声をかける。
「…なるほど、な…。」
もはや怪異以上の、見てはいけないものを見てしまったような気分だった。
そうだ、見なかったことにしよう、と裂は謎の冷や汗をかきながらそっと襖を閉じた。
突然、劔咲が深刻そうな表情を見せる。
「幻洛…、伊丹の布団の質が良いなら言ってくれれば買い替えてやるものを…。」
「え?気にするところはそこなのか…?」
「ん?違うのか?」
劔咲の謎の目の付け所に、裂はガクッと肩を落とす。
同時に、肩に負った傷がズキンと痛み、裂は悲鳴を耐えながら顔を引きつらせた。
「うぐ…、まあいい…、この二人の件も色々あったからな。」
伊丹が突然の失踪未遂を犯し、幻洛が本気の覚悟を持って連れ戻したのも、今や遠い出来事。
自分たちが思っている以上、幻洛にとって伊丹は大切な存在なのだろう。
裂は純粋にそう感じた。
「…大切な者を守りたいという想いに、異論を唱える理由などないからな…。」
日頃から無口無表情のナギも、ふゆはと恋仲になってから、ほんの少しだが、こうした感情を理解出来るようになっていた。
「フッ…確かにな…。」
各々の事を思い出し、劔咲も静かにほくそ笑む。
三人は一時の安らぎを感じながら、それぞれ有るべき場所へと戻っていった。
これまで様々な出来事があった。
その者は、好意を寄せる者のために。
その者は、心から愛する者のために。
その者は、真実を生きる者のために。
傍らで、同じ時を過ごしたい。
その一心で、命を尽くしてきた。
そして、この先も。
大切な絆で結ばれた仲間のために。
共に、同じ陽の光を迎えられるよう願っていた。
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