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17.最初の犠牲者(2)

「私はルディアナ。ルディアナ・グラスノーヴァと言うの。お会いできて光栄だわ」  稀人の顔には、お会いできても全然光栄じゃないと書かれてあった。 「よくわかんないけどいい名前だね。俺は『坂来留川 良夜』だよ」 「……今、なんとおっしゃったの?」 「聞き取れないと思うから流していーよ。あと先に言っておくけど、ここに連れてこられてからは毎晩ごっしごし洗われてるし、もう虫は引っ付いてないよ。それに異世界人であることは本当だけど、俺は得体の知れない生き物じゃなくて人間だからそこんところよろしくね……で、俺に伝えたいことってなに?」  一気にまくしたてられたルディアナが一歩引きかける。無理もない。この稀人の不遜な態度は、全ての人間の神経を逆なでする。 「あのさ、別に噛み付いたりもしないから。ちゃんと聞くから言いなよ。なに?」  これまで、顎でしゃくられ続きを促されるという経験をしてこなかったであろうルディアナが、きゅっと唇を引き結び、気を取り直して背筋を伸ばした。ルディアナの佇まいはやはり美しい。それに比べて稀人は腕を組み、「厄介ごとに巻き込まれた」とでも言いたげな顔で扉に寄りかかっている。品の欠片もない。 「私は貴方の次に、アレクシス様の妻となる女です」 「うん、だってね」 「アレクシス様を心から愛しております」 「……それはちょっと、趣味悪くない?」  ルディアナが不愉快そうに顔を歪めた。稀人の慇懃無礼な態度を見て、正式な婚約者としてここはびしっと言っておかねばと判断したのだろう。顎を引き、堂々とした態度ではっきりと告げた。 「アレクシス様が貴方と子をお作りになることは、お父様の御意向もありますし、仕方のないことだと受け入れております。ですからどうか安心して任せてください。貴方がお生みになった嫡子は、私がきちんと教育し、お世話を致します。チェンバレー家の正式な女主人として、そしてその子のたった1人の母として」  忌人相手にも分け隔てなく接するルディアナにしては、珍しくぴりぴりとした敵意が混ざっている。 「それに、貴方は一時であってもアレクシス様の妻となるお方よ。しっかりとご自分の務めを果たし、チェンバレー家に相応しい男児を生んでください。そしてチェンバレー家の名に恥じぬよう、駄々をこねず、節度を持って全てのことに対応してちょうだい……他でもない、アレクシス様のためにも」  これは正式な妻としての宣戦布告だろう。厳しいルディアナの言葉にてっきり稀人はむっと口を突き出して、「なんで俺がそいつなんかのために」と強く反発してくると思っていたのだが。 「……あんた、さ」 「なにかしら」 「まだ若そうなのに、随分としっかりしてんだね」 「……はい?」  ルディアナは目をぱちぱちと瞬かせ、困惑している。事の成り行きを黙認していたアレクシスもだ。 「いくつなの?」 「い、いくつ、とは」 「年聞いてんの」 「え? わ……私は、3か月前に18になったばかりで……」 「そっか、18歳か」  静かに目を伏せた稀人の姿が、酷く大人びて見えた。 「ルディさんって呼んでもいい?」 「え、え……え。構わないわ」 「ルディさんって、本当にあいつのこと好きなんだな」 「……なにを、おっしゃりたいのかしら」 「アレクのことはクソ野郎でカス野郎だと思ってるんだけど、あいつ、人を見る目だけはあるなって」 「カ……」 「だってルディさん、俺があいつに無礼な態度をとったからそんなに怒ってんだろ? 趣味悪いとか言っちゃってごめん。あんたにとっては大事な奴なのにさ……大丈夫、子どもを産んでも母親面するつもりなんて一切ないから。好きでもない野郎との子なんて、愛情もわかねーし。あんたらの関係を引き裂くつもりもないから、事が済んだらさっさと出てくよ。だからそんな顔しなくていい、大丈夫」  それに、今気が付いた。「人」は忌人や稀人と比べて平均身長が高い。アレクシスは193cmで、ルディアナは小柄な方で164cmほどだ。しかしこうして並んでみると、稀人はルディアナと背丈がさほど変わらない。それどころか数センチ高めである。  少し、意外だった。もう少し低いと思っていた。  稀人がルディアナから視線を外し、こちらを向いた。細められた黒い瞳は、凪いだ湖のように穏やかで。 「なんだ、優しくていい子じゃん──手放すなよ」    息を呑んだのはルディアナか、アレクシスか。静寂にも満たない静寂が広がる。

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