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ファインダー越しの夏
僕は運動が苦手だ。
元々リズム感やセンスが無いのか、『タイミングを合わせる』という事ができない。
ラケットを振ればボールやシャトルには当たらず空振りだし、蹴っても投げてもボールは行方不明になる。
体が小さいせいかパワーもコンパスも足りなくて、マラソン大会はだいたいビリ争いをしてるし、体育祭では誰もあてにしてないから競技にも出られない。
趣味が写真だから、学校側に頼まれてその体育祭の様子をカメラに収めるのがいわば僕の競技のようなものだ。
まあカメラマンをちゃんと頼めよ...と思わなくもないけれど、役目があるおかげで仲間外れにされないだけでも良しとしよう。
スポーツは苦手だけど、見るのは別に嫌いじゃない。
いや、寧ろ今は好きだと思う。
夢中だと言っても過言じゃないほどに。
日々の努力により鍛え上げられた体、相手と向き合う時の緊張感、そして訪れる歓喜の雄叫びと落胆の涙。
その一瞬の輝きすべてを写真に収めたくて、僕はいつも瞬きすら忘れて夢中でシャッターを切る。
正直昔から好きだったわけじゃない。
自分の体を痛めつけて、歯を食いしばって汗を流す事の何が楽しいのか、不思議でならなかった。
そもそも、幼い頃から運動神経の悪さや体の小ささをからかわれ続けたせいで、僕はあまり人が好きではない。
中学生で初めて手に取ったカメラが狙うのは、いつも風景や昆虫、そして動物だった。
けれど変わった。
趣味で良かったはずの写真を、いつか職業にしたいと夢見るほど。
プロとして、誰よりも彼らの熱を現場から伝えたいと思うほど。
きっかけは高校2年生の夏だった。
うちの学校の野球部は地区予選では常にベスト4入りする強豪校で、野球部というだけで部員は何かと学校から優遇されていた。
PTAからの寄付金でしこたま金はあるのに、更に部活の予算配分も野球部の予定で変わる。
年度末には使いきらなかった予算で色んなクラブにジュースを買ってばらまくなんて、まるで公共工事の駆け込み着工のようだ。
毎年パソコンのUSB代にすらならない予算しかもらえず、機材も消耗品もすべて自分で持ち出しの写真部にそのジュース代を分けてくれ。
地方予選から球場での応援は『学校行事』の為全員参加が決まっていて、理由もなく応援を休めば授業が欠席扱いになる。
あまりにも理不尽で、それを知らずに入学した僕は激しく後悔したものだ。
それでも1年生の時は、応募したコンテストで僕の写真が金賞を取り、表彰式出席の為に堂々と休めた。
しかし2年生では別のコンテストへの応募が決まっていて夏のコンテストは不参加で、それこそ強制的に球場に連れ出されたのだ。
学校からは当然のように写真を撮るようにと依頼された。
だから、撮るのはかまわないからせめて記録メディアのお金くらい出して欲しい。
顧問からは、『できるだけショートの選手を中心に撮影してくれ』と言われた。
そんな事を言われても、僕がわかるポジションなんてピッチャーとキャッチャーくらいだと抗議をすれば、『一番輝いてると思う選手を撮ってみろ』なんて無茶な注文が返ってきた。
野球を知らない僕に、輝くも何もわかるはずないだろう?
そんな心配は、プレイボールの声と同時に杞憂になった。
ルールなんてわからないのだ。
投げられたボールを打って走る...ところまでは知ってるが、どこに向かって走るのかもあやふやなんだから。
そんな僕が、一人の選手に目を奪われた。
守備につくときは一人だけ全力疾走。
グローブを構えチームに、そしてピッチャーに明るく声をかけて士気を上げている。
攻守交代でベンチに戻る時も全力疾走。
『ナイスピッチング!』とスタンドまで届く声と共にピッチャーの肩を叩き、バットを握りしめる選手にも何やら声をかけている。
ずっと笑顔。
ずっと楽しくて楽しくて仕方ないという笑顔。
そうか、彼は本当に野球が好きで、この場に立てる事が嬉しくて仕方ないんだな...そう感じた時には、夢中でシャッターを押していた。
帽子を脱ぎヘルメットを被ると、今度は彼がバッターボックスに向かう。
それまでの誰よりも明るい笑顔が消え、その瞳はまるで射抜くようにピッチャーを睨み付けた。
ピリピリとした緊張感に胸が震える。
それはまさに、1対1の真剣勝負。
どんな一瞬も見逃してはいけないような、どこか神聖な物を崇めているような気持ちになっていた。
打とうが打ち取られようが、その瞬間の彼を捉えたいと思った。
試合の結果はよくわからない。
みんな喜んでいるから、おそらくは勝ったんだろう。
ただ僕は、ファインダー越しに見せる彼の明るさと鋭さ、そして野球とチームへの真摯な態度に夢中になっていた。
野球に必死に取り組む彼を写真に残すのなら、僕だって必死に取り組まないと失礼に当たるんじゃないだろうか?
何より、きちんとルールや戦略を理解していれば、彼の言葉や表情の本当の意味がわかるはずだ。
そうすれば更に彼のあの瞳の力をみんなにわかってもらえる。
次の試合まで2日しかない。
僕は片っ端からルールブックを読み、過去の野球の映像を見まくった。
次の試合でスタンドに行けば、顧問はしてやったりと笑っていた。
『お前なら、きっと俺が誰を撮れと言ってるかわかると思ってた』なんて。
彼こそがショートで次期キャプテンと言われている男だった。
その年は結局打線が奮わず、準決勝で春の選抜出場校に1ー0で負けた。
彼は誰よりも真摯だったからこそ泣きじゃくっていた。
エースナンバーを背負っている先輩に、ベンチを守り続けた先輩に、ベンチ入りすら叶わなかった先輩に、泣いて泣いて詫びていた。
自分がチャンスで打てなかったと涙を止める事のできない彼の頭を泣き笑いの顔で叩きまくっている3年生の姿からやはり目が離せず、いつの間にか僕の目からも涙が溢れていた。
この時の写真は、秋の全国高校写真コンクールで総理大臣賞をもらった。
そして今年。
僕は練習の時からずっと彼を撮っている。
チームメイトと悪ふざけをして笑い合っている所、ノックを受け捕球できなかった悔しさにグラウンドを叩き付けている所、流れる汗を拭いながらやっぱり楽しそうに微笑んでる所。
最初のうちこそ不審者でも見るかのような目を向けられていたが、僕が去年のあの写真を撮った人間だと知ると、彼は不思議と気楽に声をかけてくれるようになった。
『俺、お前の写真好きだよ』
『俺の事、すごい見てくれてるよな。あの写真の俺、カッコいいもん』
そんな彼の言葉に、何故か胸が苦しくなった。
『今年は絶対甲子園行くから、また俺の最高の顔撮ってくれよな』
約束だと立てられた小指を真似て僕も小指を立ててみれば、思ってた以上の力でしっかりと絡められた。
僕の胸はますます苦しくなった。
順調に勝ち進んでいく地区予選。
決勝は去年の準決勝で当たった因縁の学校。
彼は今年もショート。
けど打順は7番から3番へと上がっていた。
去年と同じ投手戦。
双方ランナーは出すものの、バッティングが続かない。
それでも9回の裏にチャンスはやってきた。
暑さで疲れてきたらしい相手ピッチャーの制球が乱れ、先頭バッターがフォアボールで出た。
続くバッターは三振に倒れ、いよいよ彼の打順。
今日は今のところ3打数ノーヒット。
今度こそ...今度こそ...
祈るような気持ちでファインダーを覗く。
審判に丁寧に一礼するのは調子が良い時の彼のルーティンだ。
一球目は釣り球のつもりかすっぽ抜けたか、かなり高めのカーブ。
そのボールを見た瞬間、彼の顔が変わった。
初めて見せる不敵な笑み。
ドキドキする。
シャッターに乗せている指が震える。
ピッチャーが振りかぶった。
彼はバットを強く握り直し、その視線はもう一塁を捉えている。
次の瞬間、僕はシャッターを切るのも忘れてガッツポーズを取っていた。
彼の夏は...そして僕のファインダー越しの夏もまだ終わらない。
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