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巣籠もり【β×Ω】
ふわりと、ドアを開けた瞬間に甘い香りがした。
寮にある個室の奥、ベッドの上。
不自然に撒き散らされた衣類にくるまれて丸くなっている背中。
「春真 」
この部屋の主の名前を呼ぶと、背けられていた体がゆっくりとこちらを向いた。
かけた言葉への返事はない。春真は快活な性格で威勢が良い後輩だけれど、振り向いた表情は熱に浮かされて少しボンヤリとしているようだった。近付いてみると赤い顔でふーふーと苦しげに息をこぼしながら、とろとろになった瞳がこちらを見ている。
「ヒートか……今回は随分ときつそうだな」
「っ……と、おや…とおや……っ」
まるで巣の様な衣服の小山の中から、ヒートと呼ばれる発情期の最中にある春真は苦しげに俺の名を呼んだ。
Ω性のみが発現し、α性を誘うヒート。
春真はΩとしての性質は強くないのか、ヒートは短期間で強さもそこまでではないようだった。しれっと巣作りをして、抱き合って、落ち着く。そんな繰り返しが殆どではあるものの、時折ヒートが激しくなる事もあるらしく、普段より苦しそうな様子を見せる時がある。
今が、まさにそうだ。β性である己ですら甘い香りを強く感じ取るくらいなのだから、αであればたちまち理性を飛ばして襲いかかってしまうだろう。
己がαだったなら、春真のヒートもどうにかしてやれたんだろうか、と。そんな事を思いながら赤い頬に触れると、伸びてきた腕が首に絡み付いて巣の中に引き込まれた。
「春真……んっ」
ちゅ、ちゅ、と唇が触れる。普段はあまり春真から仕掛けてくることはないのに、巣の中では驚くほど積極的だ。キスを返すついでに舌を差し込むと、ここぞとばかりに絡み付いてくる。
触れている体が熱い。その肌から甘い香りがしていなければ風邪かと思うほどに。
「……大丈夫か?」
「ん……きもち、ぃ…んぅっ!」
甘い香りにあてられているのか、積極的な誘いに酔い始めているのか、頭が少しくらくらする。固くなってきている春真の下半身に触れてやるとぴくんと体を震わせた。けれどまだ完全には起ちきっていないようで、少し濡れているのは受け入れる方から出た蜜だろうかとボンヤリ考えていた。
――春真の中に入るための、場所から。
「……ッ」
放たれているΩのフェロモンには影響されるはずのない体が、じわじわと熱くなってきている気がする。思わず離れると、ぎゅっと服の上着の裾を熱い手が掴んだ。
「……や……とお、や……っ」
何か言いたげにこちらを覗き込んでくる切なげな色の瞳。視線が合った瞬間、ぱちんと自分の中の何かが弾けるような音がした。
「シャワー浴びてくる……すぐ戻るから」
けれど上着を掴んだまま、相変わらずこちらを見つめている。仕方なく上着を脱いで肩にかけてやると、匂いを嗅ぐように鼻先を生地に寄せた。その仕草に気恥ずかしくなって誤魔化すように頬に触れる。目をとろんとさせた春真は、少し嬉しそうに俺の手に頬擦りをした。
まずい。
何だあれは。
春真の部屋から出てばくばくと走る心臓をなだめながら、風呂場に駆け込んで冷水のシャワーに頭から突っ込んだ。
くらくらする頭が治まらない。
αが多い家系の人間だとはいえ、自分自身はβだ。Ωのヒートには影響を受けないはずだ。実際ヒート中の春真を相手に、理性を飛ばして襲いかかった事などない。いつも発情して苦しそうな春真に触れて、イかせてやって、求めるなら入れて突き上げて、落ち着いたら抱きしめて眠って。
普段は当然触れたいと思うけれど、生理現象で辛そうな相手をどうこうしたいなんて欲求を持ったことはないはずなのに。咄嗟に出たとはいえ、シャワーを浴びてくるなんて直球にも程がある。
でも、それほどに……入れたいとしか、思えなかった。
強がりでいつも格好をつけたがるのに、甘えてくる姿が可愛い。
興奮した体をもてあまして、俺を求める姿がたまらなく愛おしい。
春真自身ではどうにもできないヒートで苦しむ姿に、自分は興奮している。
「はは……最低だ……」
Ωのフェロモンで強制的に興奮させられるαとは違う。βの俺が抱いているものは、素面の自分が持ち合わせている感情だ。
そう自分を責めてみても体は興奮したまま、さっさとシャワーを浴びて部屋へ踵を返した。
巣の中で俺を待つ、春真の元へ。
ドアを開けると、シャツにくるまっていた春真が音を聞きつけて身を起こした。
不意に自分の手を首にやったと思えば、つけていたシンプルな黒い首輪をゆっくりと外す。それはΩが不本意な相手に番にされてしまわないよう、うなじに噛みつかれてしまわないように自衛をするための物だ。
Ωと番になれるのはαだけ。
番を持ったΩが交われるのは番のαだけ。
番を持てないβの俺では、αが春真に手を出してしまうと太刀打ちが出来なくなる。そんな事態にならないようにだろう、いつからか春真はいつも首輪をするようになった。
俺と事に及ぶ時だけ、その首輪を外して完全に生まれたままの姿に戻る。ある意味それは誘いの印。
甘い香りを放つ体に引き寄せられるように近付いて、ゆっくりと押し倒す。応えるように春真の腕がぎゅうっと俺を抱き締めた。
欲に負けた俺が下半身をまさぐると、ん、と小さな吐息が転がり落ちる。こっちが風呂場で悶々としていた間に解したのか、入り口は既にしっとりと濡れて柔らかくなっていて。少し照れた様子で春真が浮かせた腰が、俺の起ちあがったモノを春真の中に誘う。
ぱちんと、また何かが弾けるような音がした気がした。
――きしきしと、ベッドのスプリングが揺れる音がする。
「っ、春真……大丈夫か……?」
「ん……へい、き……」
裸で触れ合う春真の皮膚が熱い。その熱に引きずられているのか時々体が好き勝手に動きそうになる。冷水を被って頭を冷やしてきたはずなのに、残念ながら興奮する体には焼け石に水だったらしい。それでも何とか乱暴にだけはならないように、傷つけてしまわないように、ゆっくり事を進めていく。
突き上げる度に春真が甘い吐息をこぼしながら啼いて、開いた脚がひくひくと震えて、固く起ちあがったそれが達して液を吐き出した。
巣の中で何度も口づけて、抱き合って、互いに達してイって。
そんな行為を繰り返す内にヒートの激しさも落ち着いてきたのか、熱に浮かされてとろけていた春真の瞳がいつもの意思の強さを取り戻していった。
「っは……冬弥 ……」
「少し落ち着いたか?」
苦しそうな雰囲気もだいぶ薄らいだようだ。少し強く抱きしめて背をさすってやると、ストンと素直に頭を肩に預けてくる。
「ん……でも、まだちょっと……足りない……」
心なしかスッキリした様子の春真とは反対に、こちらのくらくらする頭は一向に治まる気配がない。
いつもの雰囲気が戻ってきてもヒート中の春真はとても素直だ。普段はキスですら自分からする時は真っ赤になってるのに、事後に「足りない」なんて甘い誘いを素面で言えるようになるのは何年かかるのやら。
「…………あんまり無理するな。明日立てなくなるぞ」
ヒート中でなければ、もう一回と言われれば恐らく二つ返事で応じるだろう。けれどあれだけ体温が上がって息を荒くしていたのであれば、相当体力を消耗しているはずだ。そう無理はさせられない。
何よりも、これ以上は程良い所で止まってやれる自信がない。
「明日は様子見で休むからいい……学校でぶり返したら嫌だし」
「お前な」
「なぁ……今日は噛んでくれねぇの、首」
こちらの葛藤なんてどこ吹く風で、春真は甘えるような声音を転がしながら俺の首を食む。ゆるく当たる硬い感触は恐らく歯だろう。ヒート中に触れると、いつもそう言って跡を付けるように求めてくる。
恐らくαとΩが結ばれる時の儀式を模しているのだろう、という事は想像がつく。
けれど。
「無駄だと言ってるのに懲りないな」
あいにくβの俺にはそんな特殊な力はない。噛んだ所で痛々しい歯形が残るだけだ。
これがαの弟であったなら、春真と結ばれて縛り付ける事が出来るのに。自分にはαに春真を奪われないよう祈りながら目を光らせることしか出来やしない。
「無駄かどうかなんて関係ない」
むすっとむくれながら、春真は身体を離して俺を睨んだ。
「アンタが噛んでくれるのが大事なんだよ。噛まれたいのは冬弥だけなんだから」
……恐ろしいほど可愛い事を言ってくれる。
威力が強すぎて言い返す言葉どころかリアクションすら取れず、黙って春真の体をひっくり返した。そのまま覆い被さって、後ろから昂る俺のモノをゆっくりと擦り付ける。
「っ、……やっぱ復活早……んぁっ!」
跡が残るようにうなじに噛みつくと、春真はびくんと身体を反らした。少し強く噛みすぎたかもしれない。そう思って取り繕うように跡を唇でなぞる。
……どうして俺はβなんだろう。父親も弟もαなのに。
種への評価など覆してやればいいと思っていた。努力すれば見返せると思ってきた。実際、胡座をかいているαよりはマトモな評価を得られていると思っている。
なのに、どうしてここにきて。
超え方など確立どころか見出されてもいない壁が、αに負けるまいと生きてきた己を嘲笑うように目の前に聳え立っている。高さすら分からないその壁を前に立ちすくむ事しか出来ずにいる。
「はるま……俺の……俺の春真……」
Ωの対はαだ。βの俺はお呼びじゃない。
俺の目が行き届かずに、無理矢理どこかのαに噛まれてしまったら。何処かに居るかもしれない運命の番が現れてしまったら。自分は……用済みになってしまうのだろうか。
そんな恐怖が鎌首をもたげてきて、たまらずに春真にすがりつくようにしてその体を抱きしめる。
「ん……そう、オレは……冬弥の、だから」
少し息を乱しながら振り返った春真は俺を見る。
上気した頬と熱を持った瞳。落ち着いたと思っていたヒートがぶり返したんだろうか。
「不安そうな顔、すんなよな……運命の番がαだけだなんて誰も言ってねぇだろ」
ゆっくりと伸びてきた腕が体を包むように巻き付いて、ぽんぽんとあやすように背を叩いてくる。困惑する俺の目の縁に春真の唇が触れてようやく、自分が涙をこぼしていたことに気が付いた。
熱を帯びていても力強い瞳が、じっと自分の奥深くを覗き込んでくる。
「オレの番は冬弥。そうだろ?」
頭をぶん殴られたのかと思う程に衝撃的で、嬉しくて。
どちらがヒート状態なのか分からないくらい、抱きたい欲求がこみあげて止まらなくなって……あれだけ躊躇っていたくせに散々抱き潰して、結局足腰が全く立たない状態にしてしまったのだった。
それでも春真は俺に微笑む。
巣など無くなったベッドの上で、謝罪し続ける俺を揶揄いながら。
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