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引き合う(2)【α×Ω】

 寮に戻ってきて、とぼとぼと廊下を歩く。もうすぐ部屋だと思って安心したのか目が熱くなってきた。 「不幸自慢とかカッコ悪……何やってんだろ俺……」  助けてくれたのに。気遣ってくれたのに。  俺がしんどい思いをした事に、行家は関係ない。それは頭では分かってるのに、ずっと燻ってた煙があふれて吐き出してしまった。  ……やっぱり、嫌われたかな。せっかく友達になれたのに。  友達の悲しそうな顔を思い出して、こっちまで悲しくなってくる。 「おい」  後ろから急に声をかけられて、誰も居ないと思ってた俺の体はビクッと跳ね上がった。 「に、仁科儀……!?」 「忘れ物だ」  目の前にやってきた仁科儀は相変わらず表情が読めない。さっきの事で文句を言われるのかと身構えていたけど、ぶっきらぼうに差し出されたのは一枚のシートだった。  教室に落としてきた、緊急抑制剤のシート。 「あ……! わ、悪い」  慌ててそれを受け取ると、何も言わずに仁科儀は背中を向けた。  ダメだ、謝らないと。  迷惑かけてゴメンって、言わないとって、思ってるのに。いざ目の前に居ると舌が口の中に張り付いて動かない。 『こういう時だけネガ思考だよなぁ』  ふと、さっきの行家の言葉が頭の中で再生されて。まるで背中を押されるみたいに、石みたいだった体が動いた。 「あ、あのっ! さっきはゴメン! 通りかかっただけなのに巻き込んじまって……」  ゆっくりと振り返った仁科儀の顔は、いつも通りで。 「別に。お前も俺も、好きでああなった訳じゃないだろ。ただの事故だ」  怒ってる風でも、呆れてる風でもない。  腹の中は分からないけど、いつも通りの様子に物凄くほっとした。 「でも、蹴り飛ばされてたし……」 「冬弥の身長じゃ、それくらいしないと俺に敵わないからな」  ふ、と仁科儀は少しだけ笑う。  言葉は嫌味だけど、声は凄く優しい。α様って呼ばれてる涼しげな普段とは違う、表情のある仁科儀がそこに居て。 「ふはっ……ひっでぇ」  俺達と変わんないんだなって思って、ちょっと緊張が和らいだ。 「……仁科儀が頑張ってくれたお陰で、最悪の状態にならなかった。助けてくれて……ありがとう」  素直に出てきた言葉に、何故か自分がホッとした。  ちゃんと言えた。  どっちも伝えたかった事。ごめんだけじゃなくて、ありがとうって。助けられたって。卑屈なΩでも言えた。 「薬は躊躇わず飲むことだな。いつでも待てが出来るとは限らん」 「うん……そうする」  こつんと俺の額に指先を当てて、仁科儀はそのまま歩いて行った。  ……恨み言のひとつくらい、言われてもおかしくないのに。  Ωのくせに何してくれるんだって、拒否するなら誘うなって怒る奴も居たのに。あんなに頑張って耐えてくれたのに、かけられた言葉は忠告ひとつだけ。  ちょっと……顔が熱い。  またコントロールが効かなくならない内にと、慌てて部屋に帰って。そのままぼすんとベッドの中に飛び込んだ。  次の日。  なるべくいつも通りにって思いながら登校したけど、やっぱり騒ぎは周りに伝わっていたらしい。席に着くなりクラスメイトとか部活の面子とか、よくつるむ数人に取っ捕まって囲まれた。 「市瀬、昨日大変だったんだって?」 「つーか、イッチってΩだったんだなぁ」  一番避けたかった展開に頭がぐらぐらする。  βだって言ってたわけじゃないけど、Ωだって言うのも避けていた。βだと誤解されるように振る舞ってきたんじゃ、嘘をついていたのと大して変わらない。  皆が怒ってるのか、悲しんでいるのか、軽蔑されてるのか……声だけじゃ分からない。怖くて頭が上げられない。 「……う、うん……」  何とか絞り出した声は少しかすれていた。  また友達を失くすんだろうか。そう思うと震えが上がってきて、ぎゅうっと手を握りしめる。  嘘つきだって言われるんだろうか。  Ωに混ざられると迷惑だって言われるんだろうか。  いくらこの学校がバース性の研究機関を兼ねてて、Ωに配慮があるとしても。実際にΩの人間と長く付き合うのは機関の人でも先生でもない。生徒だ。  しかも皆を騙してたんだ。皆が迷惑だと感じていたら仲良くなんて出来る訳がない。 「薬とか飲んでる風じゃなかったから全然気付かなかった。ごめんな、大変だった時もあったろ」  向けられる言葉に耐えようと歯を食い縛っていたけれど、降ってきたのは思っていたような言葉じゃなかった。一瞬意味が理解できなくて、ぽかんと目の前のクラスメイトを見つめる。 「え……」  視界に入った皆の顔は、困ったように微笑んでいた。 「ユッキーといい、忍耐強すぎだっつーの!」  ぐりぐりと髪を掻き回されたり、軽くヘッドロックかけられたり。いつもふざけてる時みたいな声で、首噛まれなくてよかったな!って笑ってくれる。 「何が役に立つかわかんねーけど、出来ることあったら言ってくれよな」  面と向かって言われたその言葉に、泣きそうになってしまった。 「……う、うん……ありがと……」  αの奴らにはバカにされたり、仁科儀相手だったせいか嫌味言われたりしたけど。その後もいつもの友達は誰も避けたり、変に気を遣ったりすることはなくて。  少しだけ、息ができるようになった気がした。  体があつい。ぞわぞわする。  俺を押し倒す体。掴まれた手首。  ……またこの夢。  しくじってαの前でフェロモンを出してしまった時の夢。襲われて、怖くなって突き飛ばして、親友に大怪我させた時の夢。  キスをされて、舌が入ってきて。首に唇が触れるけど、すぐキスになって。何度も、何度も……え?  いつもと違う。  見えてきたのは怖いくらいに整った顔。苦しそうで、必死に何かを堪えるような顔。  俺を助けてくれた、仁科儀の顔。  なぜか俺の腕が仁科儀の首に巻き付いて、俺を見下ろす顔が近付いてきて、キスをした。何度も何度も触れて離れてを繰り返す。体を手が撫でてきて、気持ち良くて。股間に触れられて自然に脚が開いた。  二つの体が重なる。熱いものが中に入ってきて、ゆさゆさと突き上げられて、体がどんどん熱くなって。気持ち良くて、だけどちょっと怖くて、仁科儀にすがりつく。  しばらくそうしてたら、俺の中に……腹の中に熱いものが── 「うわぁあぁぁぁぁ!?!?」  慌てて起き上がると、普通に俺の部屋で。  当たり前だけど仁科儀なんて居ない。昨日部活から戻ってきて、食堂で友達と晩飯食って、風呂に入って、普通に寝た。今はその続きだ。 「な……なんであんな夢……」  トラウマになったのか、親友だった奴に襲われる夢は時々見る。それはいつもの話だけど、何で途中で仁科儀が。しかも何か……された以上の事まで。 「うぅぅぅ……何やってんだよ俺――!」  何が起きたか理解できなくて、頭を抱えたまま枕に顔を突っ込んだ。  確かに、キスはした。たくさんした。仕方なく。そこまでだったはずだ。なのに勝手に夢の中に登場させた上に、あろうことか最後までヤってる夢見てるとか意味が分からない。  久々にフェロモンのコントロールを失敗したから、調子がおかしくなってるのかもしれない。  でも、まだそんなに関わりのある奴じゃなくて良かった。普段つるんでる面子だったりしたらどんな顔したらいいか分からないから。  ……って、それっきりならよかったんだけど。  それからも時々仁科儀が夢に登場するようになって。やっぱり素っ裸で抱き合ってて、ヤってて……気まずいやら申し訳ないやら。なのに本物の仁科儀を見かけたら夢がチラついて、つい目で追ってしまう。 「おい」 「ひえっ!?」 「何だ、人の顔を見て」  急にすぐ近くに現れた顔。仁科儀だって認識した瞬間、ぱちっと何かが弾けるような感覚がした。  そうだ、部屋に戻ってきたら丁度仁科儀が向かいの部屋から出てきたんだった。 「……お前!」 「えっ? うわっ!」  ぐいっと向かいの部屋に引きずり込まれて、押し付けられた背中でバタンとドアが閉まる。 「薬はきちんと飲めと言っただろう!」 「え、の、飲んでるし! 急に何……」  仁科儀の顔は何か焦っているようだった。  薬はいつも通り飲んでいるのに、どうして鉢合わせたばかりで怒られないといけないのか。そんな事を思いながら意味が分からずに困惑していると。  とくん、と体の奥で脈が打った。 「……あ、れ……?」  ぞわぞわ、する。  ちゃんと薬は飲んでたし、実際にさっきまで何ともなかったのに。αの近くを通っても、誰も反応しなかったのに。来るって予感も、何もなかったのに。 「なん……で……?」  そんな事を思っている間にも、とくとくと脈が早くなってって、体が熱くなってきて。  仁科儀の顔が、苦しげになっていく。 「っ……それが治まるまでそこに居ろ! 外には出るな!!」  それだけ言って、仁科儀が奥の個室へ引っ込もうとする。  だけど、何故か俺の腕がそれを引き留めた。  仁科儀の首に腕を巻き付けて、ぎゅっと抱きついた。すると近付いてくる顔がぼやけて、見えなくなって。唇に自分のものじゃないそれが触れて。  ――キスを、した。  夢の中みたいに何度も何度も。それも自分から。  気が付いたら仁科儀の手が体を撫でるように這っている。最初はシャツの上だったのに裾から手が入ってきて、少しひんやりした温度が肌に触れる。その手つきが優しくて、どんどん気持ち良くなっていって。 「は、っ……に、しなぎ……」 「……この間は嫌がっていたくせに」  すがるように抱きつく腕に力をこめると、背中を撫でていた手が布越しに太股を滑った。股間を指先で優しく撫でられて、ふるりと体が震える。  どうしてだろう。  あの時は、確かにイヤだったのに。  キスだけでも怖かったのに。 「……ゆ、め……で」 「……夢?」 「時々……こうやってる夢、見てて……なんか……へんなかんじ……」  あんまり何度も見るから、慣れてしまったんだろうか。夢の中で何回も抱き合って、夢と現実の区別がつかなくなってきてるのかもしれない。 「俺と?」 「…………うん……ごめん」  少し仁科儀の声が低い。  なんか、よくよく考えるととんでもない事を言ってしまった気がする。  大して接点もない奴から、夢でお前に抱かれてましたなんて言われたら……やっぱり気持ち悪いんじゃないだろうか。というか怖くないか、言われた側は。思わず口に出した事を後悔した時、仁科儀の手がまた動き出した。 「俺に、こんなところを触れられて?」 「んあっ……! う……ん……」  股間をやわやわと揉まれて、少し落ち着いてた脈がまた早くなる。は、とひとつ息を吐き出した仁科儀は、キスをしながら俺のスラックスと下着を引き下ろしていった。  ゆっくりと体が床に追いやられて、自然と脚が開いていく。 「こうやって脚を開いて、俺と繋がっていたか?」  太股の内側に指を滑らせながら、仁科儀はクスリと笑った。さっきと違って素肌に触れる指の感触が生々しい。 「……ぁ……ぅ、ん」  あのえっちな夢の中に居るみたいだ、なんて頭が他人事みたいに考える。開いた脚の間からゆっくりと仁科儀が覆い被さってきて、またキスをした。 「俺と重なって、突かれて」 「っ、ぁ……」  仁科儀の股間が俺のに押し付けられて、ゆらゆらと体が揺れる。まるで繋がっているみたいに、二人で、ゆれる。  展開についていけなくて目を白黒させている俺に、仁科儀はもうひとつキスを落とした。その手がゆっくりと俺の下腹をひと撫でする。 「この腹の中に、俺の種を受け入れた?」  あんまりにも直球に言われた言葉と、苦しげで悩ましい顔に思考が固まってしまった。 「なん……で?」  まるで頭の中を覗かれているような口ぶりにじわじわと怖くなってくる。じっと仁科儀を見つめると、ふと笑って抱きしめられた。  そのまま口を耳のそばに寄せてくる。 「……俺も夢の中で、お前を犯していた」  ひそひそ話をするみたいな声。 「ッ……!?」 「こうやってお前を抱きしめて、身も心もとろとろにして」  するりと仁科儀の手が、開いた脚の中心に触れた。固くなってるそれじゃなくて、その奥にある、穴に。 「孕め孕めと思いながら種をつけていた」  少し上がった息と一緒に物凄い剛速球が耳の中に飛び込んできて、一瞬だけ完全に時間が止まった。  それはαの本能、なんだと思う……たぶん。それにしても直球すぎて、吐息と少しかすれたような声が耳に毒で、何て返すべきなのか分からない。夢で抱かれてたなんて俺の自白が霞んで消えるほどの言葉のせいで、思考は止まるのに心臓が走り回って止まらない。 「ぇ、ぁ……ッ!」  混乱している間に、くぷ、と仁科儀の指が中に入ってきて。  初めて入ってくる異物なのに体がかぁっと熱くなる。 「……やってみるか? 夢の中の通りに」 「し……しない! まっ、万が一があったりしたら学校どころじゃなくなる……!」  誘うような声音に怖くなって、覆い被さっている体を押し返した。  Ωは女だけじゃなくて男も子供を産むことが出来る。αの仁科儀に中へ出されたら、本当に子供が出来てしまうかもしれない。  それはダメだ。そんな無責任なこと。  それに、ただでさえΩは選べる道が狭いのに。万が一があって卒業できなくなると本当に能無しのΩになってしまう。 「孕まないならいいんだな?」  うっすらと仁科儀が悩ましい表情で笑った。 「えっ」 「ゴムは当然つける」  くちゅ、と仁科儀の指が入った所から濡れた音がする。あんまり濡れたことはなかったのに。ゆっくり掻き回される音と違和感にどきどきする。  でも……嫌じゃない。 「ぁ、う……」  受け入れようとしてる。  夢の中みたいに、仁科儀を。 「……来い」  少し息が上がって、顔の赤い仁科儀にじっと見つめられて。  とくとくと走り続けている心臓に追い立てられて、差し出された手を……取ってしまった。  爽やかだけどどこか柔らかい、優しい匂いがする部屋。  どこから出てきたのか分からない首輪をつけられて、ベッドの上で仰向けにされて。ゆっくり俺の中に入ってくる仁科儀に抱きしめられながら、舌を絡め取られるキスをして。どんどん息が上がってって、つられて体も熱くなっていく。 「ん……っ、は……ぁ……!」  ゆさゆさと繋がったまま揺さぶられて、自分じゃないモノが入ってる違和感がずぶずぶと溶けていく。全裸になった仁科儀の肌も熱くて、溶け合ってひとつになってくみたいな感覚にくらくらしてきた。  ヒートの時みたいにぞわぞわして、体があつい。 「きつ、いな……本当に薬を飲んでるのか……?」  フーフーと息の荒い仁科儀が倒れ込むように覆い被さってくる。何度も何度も首を噛もうとして、力業でキスにすり替えて離れていく。結構がっしりした首輪をさせられてるのに。それでも、噛まないように気遣ってくれる。  ……噛んでも、いいのに。  ふとそう考えてる事に気が付いて、自分の事なのにぎょっとした。仲の良かった親友に対してですらαの性質を見せつけられて怖かったのに。勝手にえっちな夢を繰り返し見てるとはいえ、仁科儀に対してこんなに体を許せるものなんだろうか。  相変わらず、とくとくと心臓は走っている。  俺を包む体があったかい。繋がってる部分が熱い。肌に触れる唇がくすぐったい。体を撫でる手が気持ちいい。ずっとこうしていられたら。  すっかりぐずぐずになってしまった思考の片隅で、ふとおとぎ話みたいな単語が頭に浮かんできた。  運命の番。  それなら、納得がいくんだ。  仁科儀に初めて押し倒された時から、喰われるんだって体が抵抗を諦めてた。親友を怪我させた時みたいに力一杯突き飛ばす力は少しも出なくて、抵抗はしても服従して受け入れようとして。  さっき仁科儀に会った瞬間おかしくなったのも、薬が切れたとか、効かなかったとかじゃなくて……仁科儀だから、発情したんだろうか。  運命の番だから、何回も何回も夢で仁科儀を受け入れて。現実でも仁科儀を求めて抱きついて、夢の通りに流される事にしたんだろうか。 「に、しな……ぎ……んあっ! あ、ぅっ……んぅっ!」  さっきより激しく奥の方を突き上げられて、しびれるような刺激に体が震えてくる。思わず仁科儀にすがりついて抱きしめた。 「……い、ちせ……ッ!」  甘ったるい響きの声が頭に流し込まれて、かあっと体が熱くなったと思ったら力が抜けていって。  仁科儀に抱かれて何回イったんだろう。その日の夜まで肌を重ねたまま、ベッドの中で仁科儀に甘え続けた。  ……優しい仁科儀。  運命だとかいう以前に、きっと。  Ωのフェロモンでキツかったはずなのに、俺を助けようとしてくれた。必死で首を噛まないように頑張ってくれた。  どう考えてもとばっちりだったのに、Ωのせいだって責めたりしなかった。それどころか薬はちゃんと飲めって気遣ってくれた。  α様の顔とは少し違う、優しい雰囲気。  最中に時々見せた、フェロモンに飲まれないように抗うような、苦しそうな顔。  初めて見たそんな姿に、ちょっとだけ……惹かれてしまったんだ。

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