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20.出立

「なぁなぁ、リレイ!」  リレイとワースのやり取りをじっと二人を見ていたハーファだったが、会話に割って入るように言葉を挟んできた。その手には外れてしまった銀の腕輪が握られている。 「どうした?」 「腕輪! 今度こそ外れないようにしてくれよ」 「……そうだったな」  差し出された腕輪を受け取り、手の平に転がした。  落としきれなかった赤が裏側にこびりついた腕輪。埋まってしまった部分へ上書きするように術式を纏わせると、その部分だけ銀色が覗く。  最低限刻んだ術が発動する程度の魔力を込めたが、まだまだ魔力を納める余裕はありそうだ。    一度に魔力を込めるのは止めてハーファの手首に腕輪を戻した。以前やった時と同じように、腕輪と左の手の甲に口付ける。 「ひとまずこれで外れないはずだ。まだ完全じゃないから残りは少しずつ溜めていこう」  その分ハーファに触れる口実もできて一石二鳥だ。そんなリレイの思考に気付いているのかいないのか、無邪気な相棒は腕輪をきらきらした目で確かめている。 「へへ……ありがとな」  嬉しそうにはにかむハーファに、うっかり悪戯心が沸いてきた。 「じゃあ、礼はその体でしてもらおうか」 「ん、前衛は任せろ!」  するりと頬を撫でると、はにかんでいた相棒は迷う様子など欠片もなく即答した。全く淀みのない目がリレイを見つめる。  その表情は恥ずかしがるどころかドヤ顔に近い。 「…………。……うん、頼もしい、な……」  そういうつもりで言ったんじゃないんだが。  満面の笑顔と一緒に返された言葉。その力強さに何も言えなくなってしまった。若干の恥ずかしさを覚えながら、リレイを担当していた審判官に呼ばれて走っていくハーファの後ろ姿を見送る。    すると、ワースがぼそりと呟いた。 「無垢な男に一から教え込むのか。なかなか業が深いな」 「う……うるさい」 「あんな欲望丸出しの言葉に気付かないアイツもアイツだが」  下心しかなかった言葉を見透かされて、羞恥心が炙られているようなむず痒さにのたうち回りそうになる。伝えたい相手には一切伝わらなかったというのに。よりによって家族には何もかも伝わってしまっているのが余計にきつい。 「……やっぱりお前帰れ……」  どうしてコイツは察しが良いのに居合わせる間が悪いのかと、一方的な恨み言が止まらない。 「仕方がないから情けない兄を見守ってやることにする」 「余計なお世話だ性悪」 「言っていろヘタレ」  軽やかに返ってくる軽口にリレイは少し驚いた。  あまり話をしていなかったせいもあって、必要最低限の端的な物言いをしている所ばかり見てきている。まさか弟がこんな無駄口を叩くとは思わなかったのだ。   「リレイ! 早く来いよー!!」  話が終わったのか、早く早くとリレイを呼ぶ声。それに先に反応したのはワースの方だった。 「行くぞ。お前の相棒がやかましい」 「…………あ、ああ」  リレイの、相棒。  何気ないその言葉が、じんわりとリレイの中に染み込んでいく。一度崩れかけたはずの世界との境界線をハーファやワースの言葉が少しずつ埋めていって。  諦めていた冒険の続きを……再開できる。  じわじわと沸いてくるその実感に、リレイから満面の笑顔がこぼれた。    少し小走りで先を行くハーファに追い付くと、相棒は楽しそうな表情で振り返った。 「なぁなぁ、こないだ話してた山に行こうぜ! 雲の海が見れるってアレ!」  言っているのは秘匿調査のせいで足止めを食らっていた時に話していた、大陸の北東にある山の事だ。出くわすための気象条件が厳しい雲海だが、今の季節はほぼ確実に見れるらしいと酒場の噂話として囁かれていた。  そういえば候補に挙げていた他の場所よりも大神殿からは距離が近い。  しかし当然ながら、保護観察中の身ではそういう訳にもいかず。 「却下ー! 今から行くのは大湿地のレア薬草探しでーす!」  話に割って入ってきたイチェストに、ハーファの表情がまた渋いものに変わっていく。 「はぁ!? 何でよりによって動きづらい沼なんかに行かなきゃなんねーんだよ!」 「神殿の役務優先だって説明しただろ! 仮にも元神官兵なら大人しく泥にまみれて働けっ!」  イチェストは至極真っ当な事を言っているのだが、足元が悪いと動きにくいとか、リハビリに好きなところへ行かせろとか、断固拒否の姿勢で食い下がるハーファ。  しばらく説得しようと善戦していたが万策尽きたのか、イチェストの視線がリレイへ向いた。  明らかにどうにかしろと訴えかけてくる視線に苦笑しながら、イチェストから奪い取った指令書と地図を眺める。ハーファの言っている山とは方角が違うが同じ山系に属する山の麓にあるようだ。 「ふむ……確かこの大湿地の近くに温泉があるな」 「おんせん?」  聞きなれない単語に興味を引かれたらしいハーファが、きょとんとした顔でリレイを見た。何だ何だと言いたげに近付いてくる。 「地面から湧き出した湯で作った風呂の事だ。湿地の汚れはそこで落とそう。美味い食べ物もあるらしいし」  水で満ちた土地の近くから湯が出てくるのは何だか不思議な気もするが、あの山系にはいくつか有名な温泉の話がある。  天然にせよ沸かしているにせよ温泉というものに需要があるのは間違いないのだろう。    美味いもの、と呟いてぱあっと顔を輝かせたハーファだったが、少し考えてじとっとリレイを見つめてくる。 「……ホントだろうな?」 「行ったわけじゃないがな。湯の蒸気を利用して色々な風呂はもちろん、蒸し料理や菓子が充実していると聞いた」  約束を反故にしすぎて疑われてしまっているらしい。少し複雑な気分だ。  しかし各地にある風呂を巡るのが趣味だと言っていた冒険者の何人かから温泉の存在は何度か聞いている。異口同音に地面から沸いてくる湯や蒸気を生かした料理の話をしていたし、揃いも揃ってホラを吹いているとは考えにくい。  「神殿仕事の後は一緒に湯めぐり食めぐりといこうじゃないか、相棒」 「………………約束だからな」 「ああ。今度こそ約束だ。二人でゆっくり入ろう」  疑わしげに向けられる視線をよそに軽く頬に口付けると、うー、とハーファが少し唸った。 「絶対だからな……仕方ないから働いてやる」 「ん。よし、行こうか」  次に約束破ったら絞めて落とすからな!とやたら物騒な事を言いつつ、すりすりと鼻先を頬に寄せてくる。  ……大湿原の仕事が終わったら、今までの詫びも兼ねて温泉でたっぷり甘やかそう。  沢山キスをして、朝が来るまで抱き締めて。ハーファかいつかしてみたいと言ってくれた、その先も出来るだろうか。いや、やはり急に進むのは性急だろうか。  とりとめもない事を考えながら、まるで甘えるように触れてくる相棒の唇に口付けを落とした。    ――その後、比翼の鳥のように各地を飛び回る彼らの姿があちらこちらで目撃される事になる。  彼らの監督者として振り回される可哀想な神官の、まるで泣き言のようなツッコミと共に冒険者達の面白おかしいつまみ話となっていくのだが……それはまた、別の話。 *** ここまで読んで下さってありがとうございました。 書きたいことをきゅっと詰めたのでだいぶ駆け足ですが、このお話で完結となります。

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