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37.設えられた舞台の上で
「提供したのは作戦と情報」
腑に――落ちかける。こと内面において、僕は留持 さんに余すことなく伝えて、相談に乗ってもらっていた。関連して奏人 のことも。
だから、留持さんなら出来た。そう思えてしまう。だけど、やっぱり納得がいかない。
「どうしてですか?」
何か訳があるはずだ。懇願するように留持さんを見る。
「……………」
ひりつくような沈黙が訪れる。決して急かしたりしない。ただひたすらに待つ。
「4年前、僕は秘密裏に君達を引き離す計画を立てていたんだ」
「えっ……?」
話が思わぬ方向に転がっていく。
「どちらにとってもいい結果にならない。そう思ったから」
合点がいった。ようは僕のせいだ。僕が留持さんに心配をかけてしまったから。息が零れる。合わせて口角も上がっていく。
「でも、間に合わなかった。まぁ、間に合っていたとしても結果は変わらなかっただろうけど」
「……それは――」
「アンタが何を言おうと、何をしようと、兄ちゃんは俺を選ぶ。転向の一件でそれを痛感した。だから今回は、俺を狙い撃ちにしたってことですね」
「おいおい、そ~睨むなよ」
煤 けた笑い声。僕が顔を向けるのと同時にドアが開く。
「昨日も言ったろ。お前さんへのアレには、俺個人のヘイトもたっぷり乗ってたんだって」
谷原 さんだ。白いネット包帯をかぶっている。僕のせいだ。罪悪感が込み上げてくる。
「遅刻だぞ、おっさん」
「あ? 5分も過ぎてねえだろーが」
「遅刻は遅刻だ」
「っは、やっぱりアンタとは合わねえなぁ~」
「喜ばしい限りだ」
待ち合わせてたのか。いや、僕が起きたのは1時間ほど前だ。兄さん達との会話が終わった後に『呼びつけた』と言った方がニュアンス的には近いのかもしれない。
「谷原さん! あの……頭の怪我、それと写真立てを壊してしまって、本当にすみませんでした」
上体を持ち上げて頭を下げた。それと同時に奏人の腕と声が届く。
「寝てろ」
「大丈夫だから」
そんなふうにして奏人と僕が押し問答していると、谷原さんがケラケラと笑い出した。
「頭はちょっと縫っただけで済んだ。アレのことも気にしなくていい」
「でっ、でも――」
「嬉しかったんだよ、本当に。兄貴と両親に殴られたみてえでさ」
笑顔の陰に侘 しさを感じた。聞いていいのかな。迷いながらも口を開く。
「ご家族は――」
「俺が殺した」
繋がらない。感じた感情とほんの少しも。
「俺も兄貴のことが好きだったんだ。どっかのバカと同じようにあの手この手で迫って……終いには命を盾にした」
あまりの衝撃に言葉が出ない。その口ぶりから先も読めてしまった。僕は堪らず顔を俯 かせる。
「結果、兄貴は俺のごっこ遊びに巻き込まれて死んだよ。両親は俺を庇ったが、そのせいで世間様から『親の責任』とやらを追及、否定されるようになっちまった。四六時中ずっとな。気付いたら俺は1人に。両親は山で心中したよ」
「谷原さんのせいじゃないです」
「あ……?」
視界が歪む。目頭が熱い。
「谷原さんのせいじゃない」
涙が溢れ出す。僕なんかが到底推し量れるような感情じゃない。おこがましいにも程がある。重々承知しているつもりだ。なのに、涙が止まらない。
「……ったく」
谷原さんは微苦笑を浮かべたまま、ぐっと額を押さえた。
「……留持さんにも同じように話して協力を仰いだ。ようは泣き落としだ。なんでまぁ、アレだ。あんまり責めないでやってくれ」
「責めるだなんて。そもそも悪いのは僕です。僕が留持さんに心配をかけてしまったから――」
「それは本心か?」
一変して向けられる試すような眼差し。どうしてそんな目で? 疑問を抱きながらも姿勢を正す。
「はい。本心からそう思っています」
僕が答えると、谷原さんの目は奏人に移った。
「つまりはノープロブレムってわけだ。良かったな」
「…………」
奏人はほんの一瞬表情を顰 めたけど、直ぐに切り替えて僕に語り出した。
「来月、全日本が終わったら家を出る」
「っ!」
「滋田 と同棲する。お前は留持さんと暮らせ」
『ナオのこと頼みましたよ』
あれはそういう意味だったんだ。となると、奏人はもう既に留持さんから了承を得ているということになる。だけど。
「いくら何でも急すぎない? もっと慎重に――っ!」
奏人の両手が僕の頬を包む。
「奏人……?」
奏人の瞳に影が伸びる。触れる手は小刻みに震えて。
「……俺は、俺に勝てない」
途端に過る。声を押し殺して涙する奏人の姿が。
「俺はお前を幸せに出来ないし、お前も俺を幸せに出来ない」
底が抜けていく。ひたすらに墜ちていく。真っ暗だ。
「だから、俺は滋田のところに行く。お前は留持さんの傍にいろ」
奏人の手が離れていく。掴みたい。でも、掴んじゃいけない。
――幸せに出来ないから。
これまでのすべてが。奏人が流した涙の数がその証明だ。
「……っ………」
止まりかけていた涙が溢れ出す。
「留持さん」
奏人が留持さんを呼んで――そのまま入れ替わった。留持さんの手が僕の背に触れる。
「頼みましたよ」
「まっ、待って!」
「……ンだよ」
「僕はひとりでいい」
悪いのは僕だ。留持さんをこれ以上巻き込むわけにはいかない。
「……お前な」
奏人は重く、深く溜息をつく。
「ありがとう、尚人 。だけどこれは僕自身も望んでいることだから」
留持さんの手が僕の手に重なる。瞳の中の海はとても静かだった。覚悟の上で言ってくれている。そう感じた。
「お気持ちはありがたいです。だけど僕は、留持さんを縛るような真似はしたくはありません」
「縛る? っは、むしろ最適解だろ」
静観していた谷原さんが言う。
「俺が聞いた限りじゃ、アンタらの理想は合致している。大方、互いが互いにとっての『良き理解者』とでも思ってるんだろ?」
留持さんは小さく頷いた。意外な答えだった。本心なのか。見定める間もなく谷原さんは続ける。
「加えて留持さんはその性質上、アンタに惚れることはない。奏人の二の舞いにはならず、心穏やかに過ごせるってわけだ」
理解した。一方で引っ掛かりも覚える。
「……性質? 異性愛者、ということですか?」
「無性愛者だよ」
代わって留持さんが答えた。『無性愛者』異性同性問わず、他人に対して恋愛感情、性的興奮を抱かない。そういった指向の人を指す言葉であったように思う。
同性愛者同様マイノリティに当たる。留持さんはとてもマイペースな人ではあるけれど、それでも奏人同様孤独を感じることがあったのかもしれない。
「……………」
そんなふうに好き勝手に想像、同情をする傍 らでこうも思う。
――僕も同じ。無性愛者なんじゃないかと。
心当たりはある。EDであること。奏人の恋愛感情を模倣⇒理解しようとして失敗したこと。そもそも恋愛感情を抱いた経験がないこと。僕が無性愛者だからと仮定すると、すべてが繋がり合っていく。
「恋愛も、結婚も、セックスすら望まない。そういう類の人間なんだ。だから、僕の将来について気にする必要はないよ」
淡々と。それでいてどこか自虐しているようでもあった。僕は堪らず留持さんの手を取る。
「尚人……?」
僕はこれまで何度となく留持さんに励まされてきた。だから、今度は僕の番だ。
「射撃を極めて、哲学を愉しむ。そういう人生なんでしょうね」
留持さんの顎に力が籠る。
――辛かったんだ。
痛みを感じない人なんていない。見落としかけていた事実を再認する。
「僕は素敵だと思います」
留持さんはすっと目を逸らした。静かな否定。溶かせるかな? 全部は無理でも、せめてほんの少しだけでも。切に願いながら言葉を紡ぐ。
「僕は果たすべき役割を見つけました。だけど、愉しみはまだです。もしかしたら、愉しみ方すら分からずにいるのかも」
「尚人……っ」
留持さんの瞳に光が走る。
僕は知っている。留持さんが愛情深い人だということを。だから信じられた。変わらず信じたいと思えたんだ。
「なので、お許しいただけるのなら留持さんを通して学んでいきたい。これまで同様、これからも。そしていつか僕なりの愉しみを見つけてみたい。そう思います」
「…………そうか。そうだったね」
留持さんの口角がほんの少しだけ持ち上がる。
「拙 くてすみません」
「そんなことない。ありがとね、尚人」
ここにきて漸 く留持さんの笑顔を見ることが出来た。ほんの少しでも溶かせたのかな。そう思うと心が弾んだ。
「ははっ、一件落着だな」
「……うっせえよ」
「お前さんは先が長そうだな」
「黙れ」
「可愛くないねえ~。こんなんのどこがいいんだか」
奏人は付き合いきれないと言わんばかりにスマホを取り出した。
「ほぉ~?」
「おい」
谷原さんは平然と中を覗きながら感嘆の声を上げる。
「流石だな。あんだけの騒ぎを起こしておいて優勝とは」
「あんなんでも力 はあるからな」
「安住 君から……?」
優勝、力、そんな単語から予想した。案の定奏人は頷く。大会は今日で3日目。男子側の種目は『サーブル』であったはずだ。僕の顔見知りの中では、安住君、鍛示 君、橋屋 君の3人が出場することになっていた。
「鍛示が優勝。安住が2位だったらしい」
フルーレの準決勝――鍛示君は、奏人扮する僕をサーブルの技を以 て叱責。失格処分を受けてしまった。出場すら危ぶまれる状況。にもかかわらず、動じることなく自分の剣を信じて闘い、優勝を掴んだんだ。
「流石だね」
「感心してる場合じゃねえぞ。後でちゃんと観とけ」
僕は目を見張った。奏人の方を見ると睨み返される。
「『フルーレ』で団体、『サーブル』で個人だろ」
「……うん」
「お前が言い出したことなんだからな」
「分かってる。務めは果たすよ」
奏人は満足気に笑うと控えめに肩を竦 めた。
「そういえばその……久城 君は?」
僕の読みが正しければ、久城君はあの大会を機に僕らの入れ替わりに気付いた。奏人のことを心から慕っていただけにダメージも一入 で。
「全部話した」
謝りもしたんだろう。届いたのかな。出来ることなら届いていてほしい。
「……赦してはもらえた」
「ほっ、ホント!?」
「妙な形にはなったけどな」
「妙……?」
「奏人様が言うには立場が逆転したらしいぜ」
谷原さんが代わって答えた。上機嫌だ。おかしくて仕方がない。そんな感じだ。
「奏人が久城君を慕うようになったってこと……?」
「久城が主人に、コイツが狗 になったって話さ」
「???」
「意図せずこのバカが覚醒させちまったってところだろうな。まぁ、俺から言わせれば元からその素質はあったように思うがね」
「??????」
まるで意味が分からない。見兼ねた様子の留持さんが補足してくれる。
「単純に頭が上がらなくなったって話だよ」
「ああ……」
「言っとくけど、お前もだからな」
「……僕はあんまり変わらないんじゃないかな?」
「悪化してんだよ。色々と」
よく分からないけど問題はない。形はどうあれ償いの機会を与えてもらえたんだ。僕としてはそれで十分。ありがたい限りだ。
「余裕だな」
「そんなことないけど」
「油断こいて口滑らすなよ」
「……うん」
気を引き締める。FS内もといフェンシング界で真相を知っているのは、滋田さん、久城君の2人。他は誰も知らない。知らせちゃいけない。理解を求めちゃいけないんだ。ついた嘘を貫き通す。そう決めたから。
「……っ」
胸が痛い。これが罰か。
『辛いな』
今更ながらに痛感する。兄さんが同調してくれた訳を。
「このあと、1時間もしない内に安住、鍛示の2人が見舞いに来るからな」
「……分かった」
「そういうことなら、邪魔者は退散するとしますかね」
谷原さんはそう言うとドアノブに手をかけた。
「っ、記者は続けられるんですか?」
思い切って訊ねてみた。寂しさもある。けど、それ以上に僕には責任があるから。谷原さんに生きるように求めた、その責任が。
「ゴシップからは足を洗うつもりだ」
「っ! じゃあ、スポーツ記者は」
「続けるよ」
頬が緩む。唇を引き結ぶのと同時に奏人が舌打ちをした。
「見届けさせてもらう。精々頑張ってくれや」
「ありがとうございます」
あたたかいけど、厳しさも孕んだ期待だった。僕はそれをしっかりと胸に抱く。
ここから始まる。始めるんだ。設 えられた舞台の上で役割を果たす。
――この世でただ1人の武澤 尚人として。
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