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1:最終幕
≪最終幕≫
〇コンブレー学院・ダンスホール中央(夜)
◇「卒業の儀」と「成人の儀」の両方を兼ねる、祝儀の宴。
◇あたりには華やかな香水の香りに混じり、バーボンウイスキーの匂いが立ち込める。
◇豪華絢爛なダンスホール中央に立つ、三人の男女。
その三人の内の一人。それが、この俺――
「……これは一体、どういう事なんだ?ゲルマン」
マルセル・ギネス。
俺はずっと、この“断罪の時”を夢見ていた。
「諦めろ、マルセル。もう調べは付いているんだ」
「……なん、だと?」
「残念だよ。俺はお前の事をずっと親友だと思っていたのに」
目の前に立つ、一人の美しい男が俺に向かって静かに言い放つ。その言葉に、俺は思わず叫び出しそうになった。それは、怒りや恐怖からくる衝動ではない。
それはまさに俺の書いた脚本通りの台詞だったからだ。眉間を抑える動作も、まさにト書きの通りである。
あぁ、何て素晴らしいんだ!
腹の底から湧き上がってくる歓喜の叫びに、俺は一瞬この身を全て預けてしまいそうになる。
いや、待て。落ち着け。ここでヘマなどしてしまっては全てが水の泡だ。よし。もう一度、現状をト書きにして俯瞰する事にしよう。ああ、それがいい。
「っはぁ」
◇深呼吸の上、目を伏せる俺。こと、マルセル。
≪最終幕≫
〇コンブレー学院・ダンスホール中央(夜)
◇中央で相対する三人の生徒を緊張した面持ちで見つめる生徒達。
◇皆、華やかなドレスに身を包んでいる。
◇鳴り響いていた陽気な音楽は消え、生徒達の息を呑む声のみが響く。
よし、これでいい。
飽くほど目を通した脚本のト書きを、何度も何度も反芻する。もちろん、興奮の余り内容が飛ぶなんて事はない。これは俺の書いた脚本だ。少し落ち着いてきた。あと少し。あと少しだ。
「申し開きはないのか?マルセル」
「っ!」
おっと、次は俺の台詞か。
俺は伏せていた目をハッキリと開けると、目の前に立ちはだかる一人の美丈夫、親友の“ゲルマン”をしっかりと見つめた。
「……申し開きだって。笑わせるなよ、ゲルマン。もう調べは付いてるんだろ?本当はずっと俺を疑っていた癖に。最後まで親友気取りか」
「マル、セル……」
「お前も、本当は俺の事を親友なんて、これっぽっちも思っちゃいなかったんだろう」
必死に苛立ちを隠せないといった声色と表情を心掛ける。俺の本業は舞台俳優ではないので上手く演じられているかは不明だ。でも、伊達に十年近くの間、日常という舞台の中で研鑽を積んできたワケではない。
「……マルセル、お前はっ」
よしよし。どうやら上手く出来ていたようだ。
俺の台詞にゲルマンはその精悍な顔立ちをクシャリと歪めた。拳は強く握りしめられ、微かに震えている。体は少し前のめり気味だ。
あぁ、そう。そうだよ、ゲルマン。上手じゃないか!
ハイ、次の台詞をどうぞ!
「俺を親友だと思った事は……ただの一度もなかったと言うのか!?」
「ない!一度だってな!お前のような全てが恵まれたぼっちゃん王子の隣で、俺がどれほど惨めな思いをしてきたか分かるか!?」
俺の台詞にゲルマンの表情が、一気に焦りの色に染まる。いや、少し悲しみの方が強いか。それにしても良い表情をする。最高だよ、ゲルマン!
「やめろっ、もうそれ以上言うな!それ以上言ったら……俺はお前をっ」
「誰が止めるもんか!これまでも俺は必死に耐えてきた!俺はお前の親友なのだから、と!だが、もうこれ以上は無理だっ!」
「マルセルッ!」
ゲルマンの美声が、ダンスホール中に響き渡った。同時に俺の耳を突く、周囲の生徒達からの息を呑む声。ダンスホールを包む緊張感は、この時最高潮にまで達していた。
さぁ、次は俺の台詞だ。
「ゲルマン、俺はお前が憎らしくてたまらなかった!ずっとお前なんか死ねばいいと思っていた!殺してやりたいと……何度も思った」
「っ!」
ゲルマンの目が、大きく見開かれた。
まったく何てことだ。悲しみに歪んだ表情まで美しいなんて。
自身を幾度も窮地に追い込み、王権の転覆を図っていた黒幕が、幼い頃からの親友だったというのに。しかも、それは随分前から分かっていた筈だ。それなのに、ゲルマンは俺を切り捨てる事が出来ずに、ずっと隣に居続けた。
なんて優しい男なんだ、ゲルマン。まさに主役に足る男だ!
さぁ、次に行こう。物語は最終局面を迎えている。テンポ良くいこうじゃないか。
次に、ゲルマンの隣に立って居た女生徒がフラリと前へと出てきた。
「マルセル。本当なの?本当に、今までの事は全部貴方が企てた事だったの?ゲルマンに暗殺者を差し向けてきたのも……私を、地下牢に閉じ込めて、こ、殺そうとしたのも?」
「……マドレーヌ」
「お願いよ、マルセル。嘘だと言って……!」
深い悲しみを帯びた目で俺を見つめる、茶髪の女生徒。
マドレーヌは、絶世の美女というワケではない。しかし、どこまでも深い慈愛に満ちたその目は、彼女の内面の美しさが滲み出ている。
「ああ、そうだよ。マドレーヌ。俺は、君だけでも手に入れたかった。他の何者を犠牲にしてでも……君だけは永遠に手に入れたかったのに……たった一つの望みすら、ゲルマンに奪われてしまった」
上手い具合に掠れた声が出せた。ただ、息が上手く吸えなかっただけなのだが。まぁ、良かった。これだから、本業が舞台俳優ではない大根役者はいけない。
「あぁっ、マルセル!なんてバカな事を……!」
そんな俺の上ずった返事に、マドレーヌはワッとその顔を両手で覆った。そんな彼女の肩をゲルマンが優しく抱く。素晴らしい、これも脚本通りだ。
「ごめんよ、マドレーヌ……」
あぁ、悲しまなくていい。君がこの物語のヒロインだ、マドレーヌ!
ゲルマン、そしてマドレーヌ。
君たちにはこのあと素晴らしいハッピーエンドが待っている。この断罪劇は、そのための最後の通過儀礼に過ぎない。
「これで終わりだな。マルセル」
あぁ、これで最後だ。ゲルマン。
先程までとは違い、迷いの消えたゲルマンの声が俺の名を呼ぶ。
「それは何を指している?お前との十数年に及ぶ友情ごっこか?それともこの俺、マルセル・ギネスの人生か?」
「……どちらもだ」
その瞬間、周囲から一斉に驚きの声が上がる。それは、これまで俺達の様子を固唾を呑んで見守ってくれていたエキストラ……いや、学友達によるモノだ。これも、俺の書いたト書きの通り。
素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい!
「マルセル……もう、これ以降、俺がお前を“親友”と呼ぶ事は二度とないだろう。これで、全て終わりだ」
歓喜に満ちた俺とは裏腹に、ゲルマンの口から吐き出された声色は、凄まじい悲哀に満ちていた。特に“マルセル”と言う名を呼ぶ時の声色なんか「悲しみの泉の中に憎しみを一垂らしして、水面を揺らすような声」だったのではないだろうか。
あぁっ、最高だ!十年という長い年月をかけて培ってきた関係性が、ここに来て良い味を出しているじゃないか!“幼馴染”という友情を通じて、丁寧に信頼を築いてきた甲斐があった!
だから言っただろう!関係性の描写は削ってはならないと!あのクソ青二才め!ほらほらほらほーーら!
興奮が止まらない!あぁぁぁぁっ!最っ高だ!
「ふーーーっ」
よし、一旦ト書きに戻ろう。でなければ俺は今にも歓喜のダンスを舞い踊ってしまいそうだ。
≪最終幕≫
〇コンブレー学院・ダンスホール中央(夜)
◇片手を天高く上げ呼吸を深く吸い込む、ゲルマン(18)。
◇肩を震わせて泣き続ける、マドレーヌ(18)。
◇固唾を呑み此方を見守る、学友達。
そして、俺は――。
「皆の者!よく聞くがいい!婚約者マドレーヌへの暗殺未遂及び、私への恣意的な反逆行為の数々により、この者、マルセル・ギネスを」
「……」
「死刑に処する」
俺は“マルセル”の登場する最後のト書きを思い出す。
◇その場にゆっくりと座り込み、絶望の色に染まるマルセル。
俺の書いた脚本通り、ゆっくりとその場に座り込んだ。この後は、兵士が俺を捕らえに来るまで恨み言を言い続ければいい。これで、マルセルの担う全ての役割は終わる。やっと、ここまで辿り着いた。
「はぁっ」
深い安堵の息が漏れる。
ただここに来て、俺の中に初めて台本に無い欲望が首をもたげた。本当はそのまま絶望の中、惨めに肩を落とす姿をゲルマンへと見せてやらねばなかったのに。俺は思ってしまった。
ゲルマンの顔が見たい。
この場面、俺の書いたト書きには≪マルセルを見下ろすゲルマン≫としか書いていなかった。故に、今、ゲルマンはどんな顔で俺を見ているのか想像もつかないのだ。
長年の親友だと信じて疑わなかった幼馴染に裏切られ続けていたゲルマン。ただ、裏切られていると気付いても尚、その友情を断ち切れなかった。
しかし、この場面を経てゲルマンは親友を捨て、心優しい婚約者と共に国を統べる決意を固めるのである。
その時の主人公の表情を、俺は彼の“生みの親”として最期に見ておきたかった。
心の中で、脚本のト書きを追記する。
◇ゆっくりと顔を上げる俺。こと、マルセル・ギネス。
「……ぁ」
顔を上げた瞬間、目が合った。
「ぁ」と声を上げたのは俺ではない。ゲルマンだ。
そして、次第に大きく見開かれるゲルマンの瞳。そう、俺の目に映ったゲルマンの表情は俺の予想とは全く異なっていた。「怒り」「悲しみ」「憎しみ」それらで彩られているとばかり思っていたのに。
「マルセル……」
ゲルマンの表情に浮かぶのは「歓喜」だった。何故、今ここでこんな表情になるのか。同時に台本には無い筈の台詞が、ゲルマンの口から紡がれた。ゲルマンがここで俺の名前を呼ぶ台詞なんて無かった筈だ。
そんな事を考えていると、いつの間にかやって来ていた近衛兵に囲まれ乱暴に腕を掴まれていた。もう、ゲルマンの姿は見えない。
「……終わった」
思わず漏れ出た言葉に、兵の「早く歩け!」という乱暴な声が響く。こんな細かい所まで台本と同じだなんて。それにも関わらず、先程のゲルマンの台詞は台本にはないモノだった。
「まぁ、いいか」
俺は考えるのを止め、頭の中にある台本のページを捲った。もう少しだけ、この物語は続く。ただ、この俺の演じてきた「マルセル」は、もう二度と台本にその名を連ねる事はない。
「っはは」
台本にはないが、もういいだろう。
俺は抑え込んで来た歓喜を吐き出すように笑うと、そのまま王宮の地下牢獄へと投獄された。
これで脚本家、ヨシカワイチギの未練は消えた。
もう、いつ死んでも構わない。
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