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1.ヒュース王国・最北の地2

「あ、け、ケネルです」 「ケネル。こちらに」  リゲンスがくるりと背を向け、馬車に乗り込んだ。 (え、なんでっ)  まさか召し抱えてもらえるのだろうか。それとも単に、全員が中に呼ばれたのか。胸に宿った燃えるような熱を逃がすべく深く息を吐き出し、後に続く。  馬車の中は暖かかった。座る場所には動物の毛皮が貼られていて、触れるだけでふわふわのそれを潰してしまいそうで怖い。 「座りなさい」 「は、はい。失礼します」  馬車の中は二人だけ。リゲンスの正面に、ごめんね、と心の中で呟きながら腰を下ろす。その間もリゲンスはケネルをじっと見つめていた。  落ち着かない気分で服の裾を伸ばし、膝の穴を隠そうと試みる。 「ケネル。特別侍従の仕事がどのようなものか想像できているか」 「え……いえ、すみません……」  消えてしまいたいほど恥ずかしくなった。そのつもりはなかったものの、結果としては何も知らずに名乗り出てしまったようなものなのだ。  きっとこの毛皮だって、こんな貧民に座られることなんて想像もしていなかったことだろう。それに臭いだって染みついてしまわないか、今さらながら気になってしまう。だって最後に風呂に入ったのは、何日も前のことだ。 「役が決まるまでは詳細を伝えることができない。ただ、ケネル。そなたは女を知っているか」 「女……ですか。母はおりますが、姉妹はおりません。近所には――」  話を遮るようにリゲンスが首を振った。 「年はいくつだ」 「二十一です」 「では、女を抱いたことはあるか」 「えっ」  女を抱いた、とは、性交をしたことがあるかということだろうか。そんなことあるはずがない。 「どうなのだ」 「あ、ありません」  そもそもこの国では男女のどちらもが純潔である時のみ婚姻が認められる。離別することもできるのだが、その後婚姻することは叶わない――それらの決まりを作ったのは王族だろう。 (婚姻しているかって訊けばいいのに……)  中には婚姻の定めを守らない不貞な者もいる、ということだろうか。 「誠か」 「はい」 「よし。男も知らぬな?」  少し意味を考えたが、女と同じ意味だろう。知りません、と首を振る。 「特別侍従の任期は約三か月だ。その間とその後一生、そなたとそなたの家族の生活が保障される」 「保障……」 「衣食住に困らぬという意味だ」 「え……! 三か月で、ですか」  リゲンスは鷹揚に頷いた。 「特別侍従として不在にしている間は、城の者がそなたの代わりに家の仕事を行う」 (すっごい……)  さすが王子の侍従だ。しかしいったい何をするのだろう……でも多少厳しくても三か月で生活に困らなくなるのなら、きっと両親も行ってこいと言ってくれるだろう。 「ただ、男根を失う」 「……え? だん……?」  両親のことを考えていたので聞き間違えたのだろうか。しかし、リゲンスはケネルが聞いていたとおりの言葉を繰り返した。 「男根を失うと言ったのだ」 「え……」  唐突な言葉に、頭が回らない。 (男根を失う……って、え、男根を取られるってこと……?)  しかし生活に困らなくなるという方が魅力的に思えた。それにここまで話してくれているのだから、ケネルにも召し抱えられる可能性があるということだろう。 「期間中は子種を出すことも許されない」リゲンスは真剣な表情で続けた。「そして、これまで特別侍従になった者で女と婚姻した者はおらぬ」 「婚姻……」  男根がなければ子を成すことはできない。そのような家に嫁ぎたいと言う女はいないだろう。  しかしそれは、ケネルにとっては特に障害になるものではなかった。 「どちらも問題ありません」  ケネルがきっぱりと言い切ると、それまで表情を変えることのなかったリゲンスの目がわずかに大きくなった。 「どちらにしろ、僕のこの貧しさでは来てくれる者はおりません。女性に好まれる体躯もしていません」  家の仕事のほとんどをケネルがこなしていたが、どうにも筋肉がつかなかった。食糧が不足しているので太ることもない。身長も低いので子どもと間違えられることも多々あった。 「だが男根を失うんだぞ。女を娶(めと)りたいとは思わぬのか」 「仕事が忙しく、女性といい仲になったこともありません。ですから両親を幸せにすることができればかまいません」  それに、と内心で付け足す。もともと性欲は強くないので、しばらく絶頂することが許されなくても支障はありません。 「……わかった。では一晩よく考えて、受けるようなら明日のこの時間、またここに来なさい。荷物は何も持たなくてよい」 「え……それは……」 「そなたを特別侍従として召し抱える。しかし家族にも決して詳細を話してはならぬ。ただ、気持ちが変わらぬのなら城で仕事をすることになり、三か月の間は城の者が代わりに来るということだけ告げなさい」 「あの、生活の保障のことは……」 「それは伝えてかまわぬ」 「はい! ありがとうございます!」  リゲンスは一晩よく考えるように言ったけれどケネルの気持ちは決まっていた。だって断るなんて選択肢はない。  ケネルは家に帰るとすぐ、リゲンスに言われたとおりに事の顛末を話した。両親は突然のことに戸惑いながらも、生活が保障されるという言葉を聞いて首を縦に振った。  そうして、ケネルが特別侍従として城に入ることが決まった。

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