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第38話 聞きたくない ♢壱成♢

 駐車場に車を停める。なにか異様な不安にかられて心臓の動悸がひどい。  車を降りてゆっくりと歩き、エレベーターに乗った。  なにかがおかしかった。なにが?  京が車の中で待っていたからか……。  さっき見た京をゆっくりと思い出す。  そして、違和感の理由にやっと気づき、サッと血の気が引いた。  そうだ、黒髪じゃなかった。ハニーベージュの京だった。  あれは“ノブ”じゃない。“京”だ。  どういうことだ……。  京だと名乗るつもりなのか……?  正体をあかせば俺たちは終わる。そんなことは京だってわかっているはずだ。  “ノブ”の車に“京”が乗る。もうそれだけで名乗ったも同然だ。  心臓の音が耳元でうるさく響く。  そうか……。わかっているのに……正体をあかすんだな。  終わるのか……。もうこの夢のような幸せは終わりなのか……。    心臓が壊れそうなほどドクドクして、目の前が真っ暗になっていく。  俺は……京を失うのか……。  ずっとこのまま一緒にいられると思っていた。京も俺と同じ気持ちだと信じていた。  俺の思い上がりだったのか……。  でも、そこまで考えて、京らしくないな……と思った。なにかが違う気がした。  あんなに溺愛してくれていた京が、急に関係をやめようとするだろうか。  告白をやり直したい、と言われたときのことを思い出す。  もしかして……セフレをやめるため……?  ちゃんと恋人になるために、京だと名乗ろうとしてるのか……?    ふたたびドクドクと心臓が嫌な音をたてる。  頼むからセフレでいてくれと……あんなに頼んだのに……。  お前が京だと名乗った瞬間に、俺はもう知らない振りができなくなる。  どんなにお前と一緒にいたくても、俺は自分の手で終わりにしなければならない。    どっちにしても、俺たちはもう終わりだ……。  幸せな夢が終わってしまうんだ……。  俺の手で、終わらせなければならないんだ……。  エレベーターが一階で止まる。扉が開くと、そこには“京”が立っていた。  俺が鍵を渡したのは“ノブ”だ。“京”はエントランスを通れないはずだろ……。 「あの、榊さん、おかえりなさい」  いつものノブの表情でも、京の表情でもない。  どこか強ばった顔の京を見て、俺の心臓は完全に壊れた。  京がどっちのつもりでも、聞きたくない。  聞いてしまえば、結果は同じだ。 「榊さん、あの、お話したいことがあるんです」 「…………嫌だ」 「え?」 「…………聞きたくない。帰ってくれ」 「えっ、あのっ」  俺は急いでボタンを押してドア閉めようとした。  ところが京の手がそれを阻止して扉はふたたび開く。 「あの、榊さんっ。俺、大事な話が――――」  嫌だ。聞きたくないっ。  俺は京を押しのけエレベーターを降り、全力で走り出した。  後ろから「壱成っ!」と呼ぶ京の声に、一気に涙があふれ出る。  嫌だ……終わりたくない……!  京を失ったら俺はどうすればいいんだ……!    エントランスを飛び出し全力で走った。   「壱成っ、待って!」    すぐ後ろに京が追いかけて来ていた。  必死に走ったところで、十も若く鍛えている京に俺がかなうはずがない。あっけなくマンション前の歩道でつかまった。   「壱成、待って、話を聞いてっ。ずっと騙しててごめんっ! でも俺っ」 「やめろっ!! 聞きたくないって言ってるだろっ!!」    俺はお前と終わりたくないんだっ!  京から離れようと、俺はつかまれている腕を力いっぱい引いた。  その反動で足がもつれ縁石に引っかかる。まずい、と思ったときにはもう俺の身体は車道に転がっていた。 「壱成っっ!!」  そのあとは一瞬だった。  キィーーーーーーーーッッ!!  耳が割れそうなほどの急ブレーキの音。ドンッという嫌な音。  ああ、俺は死ぬのか……そう思った。  身体を打った痛みはあるが、さほどではない。不思議なことに意識もしっかりとしていた。  すごい力で腕を引っ張られた気もする。……引っ張られた?  腕が動く。足も動く。右半身を打ったような痛みはあるがそれだけだ。  人の叫び声が響いた。  その瞬間ハッとした。  身体を起こす。車道に転がったはずが、なぜか歩道にいた。  京は……京はどこだ……? 「おい!! 誰か救急車!!」  誰かの叫び声。  その誰かのそばに人が横たわっている。人影の隙間からハニーベージュの髪が見えた。 「き……きょ……」  目の前が真っ暗になっていく。視界がグラグラする。身体が鉛のように重くて動かない。それでも必死で這いずるように足を動かした。 「き……京……?」  無我夢中でやっとたどり着く。  道路に横たわる京。ハニーベージュの下は、流れ出た血でコンクリートを染めていた。 「京!!」  ぐったりと動かない京の身体に必死ですがりつく。 「京!! 京!!」  身体をゆすっても頬をたたいても京の目は開かない。   「う、嘘だっ!! 嫌だっ!! 京ーーーーーッッ!!」     

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