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「捨て犬です。拾ってください」
これは、どういう状況なんだろうか。
「ぐーぐー」
俺は何処にでもいる普通の社会人、倉科葵生。ちなみに塾講師をやっている。
いつものように深夜にアパートへ帰ってくると、俺の部屋の前で若い男の子が犬を抱いて熟睡していた。
どうしよう。これじゃあ部屋に入れない。でも最近の子ってちょっと話しかけるの怖いんだよな。塾講師って言っても、俺が担当してるの小学生だし。
でも、このままって訳にもいかないよな。
「ぐーぐー」
「……あ、あのー」
「う、ん……?」
男は眉間に皺を寄せて目を覚ました。
綺麗に染まった金髪に切れ長の眼。
明らかに怖い。第一印象マジ怖い。
喧嘩になったらどうしよう。てゆうか喧嘩にもならないよな。一方的にやられて終わりだ。
だが、俺も大人。子供に負けるワケにはいかないんだ。
「えっと……そこ、退いてもらっても良いかな?」
「あ?」
「え、えっと。あ、ああ、あのドア開けられないから」
「……あー、さーせん」
そいつはのろりと立ち上がった。
てか、背高いな。俺より頭一個分はデカいぞ。これだから今の子は。塾でも背の高い子多いもんな。俺と身長そんな変わらない小学生とか泣けるわ。
「それじゃあ……君も早く帰った方がいいよ。もう遅いし……」
「泊めて」
「え?」
「と・め・て」
「ええ!?」
何言ってんだ、このガキ!?
いきなり人んちの前で寝てて、しかも泊めて?
そんな非常識なことが通ると思ってんのか。
「ダメ?」
「いや、でも……」
「俺、このまま野垂れ死にするかもよ?」
「う、あ……あの、えっと……」
「この野良犬と一緒にここで倒れてるよ?」
「それ野良だったんだ……」
「うん。俺も野良。ねぇ、アンタ」
「アンタ、って……」
「このまま俺が倒れてたら、周りにどう思われるかな」
これは、明らかに脅されてる。若者に、脅迫されてる。
だが俺は塾講師。教育者として変なイメージをもたれる訳にはいかない。
「……ど、どうぞ」
「ありがと」
何だろう、負けた気分だ。
彼は犬を抱えたまま部屋に上がっていった。まぁこのアパートはペット平気だから大丈夫だとは思うけど。
「そういえば……帰り遅いけど、アンタ何してんの?」
「何って……塾講師だよ」
「へー。こんな時間までやってんだ」
「まぁ……それで、君はこんな時間に人んちの前で何してたの?」
「喧嘩に巻き込まれたんだけどさ。でも面倒になって逃げて、ここで時間つぶしてたら寝ちゃった」
喧嘩って。
やっぱり不良か。関わるとロクなことにならなそうだな。
さっさと帰ってもらいたいなぁ。
「……その犬は?」
「勝手に寄ってきた。かわいくね?」
「子犬だね。捨て犬かな」
「アンタ飼える?」
「うちで飼えないこともないけど……世話なんかしてる余裕ないよ?」
「じゃあ、俺が世話する。だからここで飼って」
「は?!」
本当になんだ、こいつ。
さっきから意味のわかんないことばっかり言いやがって。
「俺をここに置いてよ。俺も野良だから」
「いやいやいや、野良って……それ、ただの家出じゃないの!?」
「そうとも言う」
「そんなのダメだよ。ちゃんと家に帰りなさい」
俺が大人らしく言うと、その子は軽く笑った。
「うーそ、家出じゃないってー」
「本当に?」
「ホント。だから、暫く泊めて」
「でも……」
「ね? いいでしょ?」
彼は甘えるような口調で言ってくる。
ここで断ったら殴られそうだ。メッチャ脅されそうだ。
身の安全のために、ここは折れるしかないな。
「う、うう……わかったよ。少しの間だけだからな」
「ありがと」
また負けた……。
だってコイツ、目力強いんだもん。ここで追い出そうとしたらボコボコにされそうだし。
「あ。俺、葵生(あおい)」
「え?」
「名前。アンタは?」
「あ、ああ。俺は倉科春樹(くらしなはるき)」
「何歳?」
「31」
「え」
「え?」
彼、葵生がいきなり真顔になった。
何、何だよ。
何か変なこと言ったか?
「マジ?」
「な、何でだよ」
「見えない見えない! 童顔にもほどがあんだろ!?」
葵生は爆笑しながら俺を指さして馬鹿にする。
大きな声出すなよ。近所迷惑だろ。
「……う、うるさいな! 気にしてんだから笑うなよ!」
「ぶはははは!! これで塾講師とか! ガキに混ざっても気付かないんじゃねーの!?」
「お、俺が教えてるのは小学生だ!」
■ □ ■
それから俺と葵生の生活が始まった。
意外なことに、葵生は家庭的なところがあった。食事の用意もするし、部屋の掃除もちゃんとしてくれてる。
俺がいない間に何をしてるかは知らないけど、部屋に友達連れ込んだりもしないし、何だかんだで葵生との生活を楽しんでいた。
「ハールー」
「何」
「こっち。こっち座って」
「なんだよ……」
「ほら、ソファー座って」
「う、うん。……座ったぞ、っておい!」
葵生は俺の膝に頭を乗せ、ネコみたいに甘えてきた。
こういうのも若さ故なのだろうか、スキンシップ激しいんだよな。俺、こういうの慣れてないんですけど。
「ういしょー。あー気持ちいいー」
「お前……男の膝枕の何が良いんだよ」
「えー? 何って、ハルの顔がよく見えるからー?」
「何だよそれ」
「高さも丁度いいー」
「てゆうか、そのハルって呼ぶの止めろって言ってるだろ」
「いーじゃん別にー」
葵生と暮らすようになって一ヶ月が過ぎてしまった。
なんか、懐かれてるのか何なのか、こうやって毎日コミュニケーションを取ってくる。
最初は驚いたけど、なんか犬に懐かれた気分でそんなに嫌ではない。
ちなみに、あの捨て犬もうちで飼ってる。名前はコロ。
「ハルー」
「なにー?」
「俺さー、実はこの前家に帰ったんだー」
「え」
口調はいつも通りだけど、声のトーンが少し低い。
それに俺の腰を掴むようにして抱き着いてきてる。
俺は静かに葵生の話を聞いた。
「俺んち、母子家庭なんだけどさ」
「……うん」
「母さん、男作ってどっか行っちゃった」
「……そ、っか」
どう返せばいいか分かんなくて、俺は当たり障りのない感じで相槌を打った。
俺の戸惑いが伝わったのか、葵生はパッと顔を上げて笑顔を見せた。
「ね? 俺、野良だったでしょ?」
「そうだな……」
「……ね、慰めて?」
葵生は甘えるように俺の腹に顔をすり寄せてきた。
寂しい、のかな。明るく飄々と話してたけど、本当は悲しいんじゃないのか。
素直にそう言えばいいのに。このバカ犬。
俺はそっと葵生の頭を撫でてやった。
赤みの強い茶色の髪。見た目堅そうだけど、触るとふわふわしてて、なんか葵生と同じだなってちょっと思った。
最初は怖かったのにな。人の印象って、こうやって変わっていくんだなぁ……
■ □ ■
「なぁ、葵生」
「うーん?」
それから数ヶ月。
もうすっかり葵生との生活が当たり前になってきた頃、俺は一つの決断をした。
「そろそろ、引っ越すか?」
「え? なんで?」
「いや、さすがに二人で住むには狭いかなって……」
「……え?」
「お、お前の部屋とか必要だろ。これからも一緒に住むんだったら……」
葵生は目を丸くして驚いてる。
急すぎたかな。でも、そろそろアパートの更新日だし良い機会かなって思った訳なんだけど。
「……ううん、いいよ。このままで」
「でも……いつまでもお前を床で寝かすのも……」
「うん。だったらさ……」
葵生はニコッと笑い、俺のことをソファーの上に組み敷いた。
あまりにも自然な流れに俺は抵抗も出来なかった。
「一緒にベッドで寝ればいいじゃん?」
「な、おまっ……何して」
「俺、ハルのそういうこと好き」
「はぁ!?」
「可愛いよ、ハル。可愛い、大好き」
「あ、あお……っ、んん!!」
腕を押さえられたまま、葵生にキスされた。
無駄に優しいキス。
熱くて、柔らかい唇。
ヤバい、ドキドキする。
「好き、ハル……好き、大好き」
「あ、おい……」
「ハルは? 俺のこと、どう思ってる?」
聞いたことのない熱っぽい声。
やめろ、そんな声で言うな。
「お、俺……」
「俺のこと、嫌い?」
「嫌い、じゃないけど……」
「好き?」
悲しそうな顔してそういうこと言うの卑怯だろ。
俺、お前のそういう顔に弱いんだよ。
「わ、わかんねーよ……そんなの」
「じゃあさ、キス嫌だった?」
「え……」
それを言われて、俺はドキッとした。
嫌なんて、欠片も思わなかったから。男とキスしたって言うのに。
「顔真っ赤だよ。嫌じゃなかったんだ?」
「そ、れは……い、いきなりだったから」
「ふーん? じゃあ、もう一回」
「んっ!!」
また葵生にキスされた。
ふわりと触れるだけのキス。
嫌じゃない。嫌なんかじゃない。
でも、落ち着かない。
心臓、変になりそうだ。
「どう?」
「……い、やじゃ……ないけど」
「なんで、嫌じゃなかったの?」
「……それは」
なんでって、そんなの分かんない。
ただ不快感とかそういうのはなかった。それだけは事実だ。
じゃあ何で、そう思わなかった?
「俺のこと、好き?」
「お、俺……男だぞ」
「知ってるよ」
「お前より年上だし」
「一応ね?」
「い、一応とか言うな」
「そんなのどうでもいいよ。今聞きたいのは俺のことが好きか嫌いか、それだけ」
俺、どう思ってる? 葵生のこと、嫌いじゃない。キスも嫌ではなかった。これからも一緒にいると思ったから、引っ越しも考えた。
それは、なんで? 可哀想だと思ったから?
大人として、そうしなければいけないと思った?
違う。そうじゃない。
俺、俺は……
「……す、すき……だよ」
「ハル……」
「……あーもう! こういうの慣れてないんだよ! 恥ずかしいから言わせるなよ!!」
「うっわーメッチャ嬉しいー! 好き好き、大好きハルー!」
「うっさい! 何回も言うな!!」
直球過ぎるんだよ、お前は。
俺はお前と違って女慣れもしてないし、スキンシップとか恋愛沙汰には疎いんだ。
「ね、ね。ハル、いつから彼女いないのー?」
「7年前からだよ!!」
「童貞ー?」
「んな訳ないだろ!!」
「そっかー。でも、処女だよね?」
「は!!?」
「エッチしよ、エッチ!」
「ちょ、待てって! わ、どこ触って!!」
「ハル、大好き。愛してる」
まさかこの歳になって年下の彼氏ができるとは思わなかった。
まぁ、なんだ。俺も愛してるよ。葵生。
なんて、本人には言ってやらないけど!!
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