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四十四 シューヤ
「うん。綺麗になったね。ありがとう、二人とも」
そう言って藤宮は、綺麗になった玄関に頷いた。玄関の周囲の草は綺麗にとりさられ、さっぱりとしている。
「岩崎、お前飯は?」
鮎川は岩崎のほうを見てそう言った。
「まだ」
どうやら飯もまだだが、予定も決まっていないらしい。そんな雰囲気を察して、鮎川は「ふーん」と言いながら軍手を外す。
「じゃあ、朝飯食いに行くか」
「驕り?」
「――まあ、良いけど……。シャワー浴びてからにしよう。汗かいたわ」
鮎川は呆れ顔をしたが、岩崎のほうは満面の笑顔だ。あの部屋を見るに物欲などなさそうだし、金に困っている風でもないので、単純に鮎川にごちそうして貰いたいのだろう。そう思うと、少しは可愛げがある。
岩崎とどこかに行くのは初めてだ。岩崎のほうも、それがどこであっても鮎川と一緒に外出するのが嬉しいのだろう。そんな二人の様子を察してか、藤宮は笑みを浮かべて「じゃあ、今日はありがとう」と言って裏手の方へ行く。草のごみを捨てに行くのだろう。藤宮も誘っても良かったのだが、引き留めてまで誘わなくても良いかとも思った。
「なに食いたいの?」
「何でも良い」
「朝飯だしな……。米とパンどっちだよ」
「鮎川はどっちが良いの?」
「僕は――米だな」
「じゃあ、米で良いよ」
岩崎は本当にどちらでも構わなかったらしく、そう返事する。まだ早い時間のせいか、玄関ホールから中に入っても人影はなかった。二人だけになって、鮎川はチラリと岩崎を見る。
「藤宮の手伝いに起きたのか?」
「いや、目が覚めて外見たら藤宮先輩がいたから」
「藤宮|先輩《・・》?」
鮎川はその言葉に、ピクリと眉を動かす。自分のことを『鮎川先輩』と読んだことは、恐らく一度もない。なのに、何故藤宮は『藤宮先輩』なのか。
「藤宮先輩」
「……なんで藤宮には先輩ってつけるんだよ。僕には?」
不満を漏らす鮎川に、岩崎は不思議そうに首を傾げた。
「え? 鮎川は鮎川じゃん」
「なんでだ」
「何でって……」
明確な理由を口にしない岩崎に、鮎川は思わず顔を顰めた。
◆ ◆ ◆
岩崎を連れてやって来たのは、寮から歩いて十五分ほどの場所にある、小さな食堂だ。暖簾は準備中になっていたが、鮎川はカラカラとガラスの引き戸を開いて中に入った。店は古い店舗を改装したもので、見た目ほどは古くない。こざっぱりした店内に入ると、年若い夫婦らしい店主と女性が振り返る。
「おう、朝飯大丈夫?」
「鮎川さん。ええ、大丈夫ですよ」
そう言って笑みを向ける若い店主は、鮎川の昔馴染みだ。三年ほど前にこの場所を借りて店を出してから、頻繁に顔を出すようにしていた。開店は十一時からだったが、顔を出すと朝飯でもなんでも作ってくれる。
「あれ……?」
岩崎がボンヤリした顔で立ち止まったまま、店主の岡崎をじっと見る。
「会社の子ですか? 珍しいですね」
そう言って水を持ってきた岡崎が、岩崎を見て一瞬固まった。
「あれ?」
二人そろって同じ反応をする様子に、眉を寄せる。
「どうした?」
「あれ、もしかして、シューヤか!?」
「おかちゃん!」
岩崎がパッと顔を明るくする。
(シューヤ? おかちゃん?)
急に雰囲気が変わる二人に、鮎川は胸のあたりがモヤモヤした。
「何だ、後輩でも連れて来たのかと思ったら、シューヤじゃないっすか。うわ、懐かしいな。すっかり大きくなって」
「おかちゃん変わらねえーっ。え、おかちゃんの店なの?」
「……え? 知り合い?」
顔を引きつらせてそう言った鮎川に、岡崎は怪訝な顔で「ええ……?」と眉を寄せた。
「鮎川さんこそ、何いってんですか」
そこまで言われて、鮎川はそう言えば岩崎が、自分が過去に暴走族に所属していたのを知っていたのだと思い出す。指摘された時は、昔から難癖をつけて来た他のチームの奴だとばかり思っていたのだが、もしかして違ったのだろうか。
「……もしかして、僕の知らないメンバーだった?」
『|死者の行列《ワイルドハント》』を率いていたころ、末端のメンバーは鮎川の知らないこともあった。岡崎を含め、色々なやつが、入れ替わりしていたからだ。今でも付き合いがあるのは、岡崎くらいのもので、あとは関わりもないし行方も分からない。岡崎はチームを解体した時も反対せず、深く追及もしなかったが、他のメンバーはそうではなかった。思い出して、眉を寄せる。
「何いってんですか。あの時、中坊っすよ。まあ、シューヤは入りたがってましたけどね」
「絶対入れてくれなかったじゃん」
そう言われ、急に記憶がフラッシュバックした。
コンビニで、いつも寂しそうにしていたから、声を掛けた中学生。生意気で、いつもメンバーに囲まれていた。
「――え」
「え?」
岩崎が呆れた顔をした。
「あんなに可愛がってたのに、忘れるとか、ないっすわー。シューヤの為に禁煙までしたのに――」
「っ!!!」
おしゃべりな口を、慌てて両手で塞ぐ。
(余計な事言うなっ!!)
羞恥心が一気にこみ上げてくる。自分の記憶力のなさにも呆れる。岩崎を見ればどうってことない顔をしていて、余計に悔しくなった。
「忘れてたんだな」
「……だって、ピンクじゃなかったじゃん……!」
「まあ、おっさんの記憶力だからな」
岩崎の言葉に、鮎川は否定できなかった。
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