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第6話
ある日の放課後、僕は必死に廊下を走っていた。逃げていた。尾崎くんから。
でも僕は運動が苦手で、足も遅い。運動部の尾崎くんにはとても敵わなくて、結局彼に捕まってしまった。そのまま近くの空き教室に引きずりこまれて、壁に縫い付けられた。
「いやだ、はなしてっ」
「クソ! なんであいつなんだ、なんで」
尾崎くんは酷く怒っているようだった。僕が先輩に『虫除け』をされてからしばらく、彼は僕に近づいてこなかった。でも今日、先輩のところへ行こうとした僕を無理やり引き留めようとしてきた。それを振り払ったのが彼の癇に障ったようだった。
「おまえもオレを馬鹿にするのか? 痕なんか見せつけて」
握りしめられた腕が痛い。尾崎くんは震える僕の顔を鷲掴んで見つめた。
「なあ、好きなんだよ。あいつなんかよりオレがおまえをたくさん愛してやれる」
「うぅ、やめて……っ」
「オレを見ろよッ」
尾崎くんは嫌がる僕を無視して、いきなりキスをした。
「んん――ッ」
僕の心が絶望で満たされた。初めてのキスを、好きでもない尾崎くんに奪われてしまった。僕は先輩のものなのに。
力任せに首を振って、僕は尾崎くんから顔を背けた。歯が当たって唇が切れたけどそんなのはどうでもよかった。
「そんなに嫌かよ。大人しい顔して、こんなものつけてっ、淫乱野郎!」
「やだ、やめてっ」
尾崎くんが乱暴に僕のシャツを乱した。ブチブチとボタンが取れる。手荒に胸を揉まれて、膝から力が抜けてしまう。
僕は這ってでも逃げようとしたけど、反対に尾崎くんにのしかかられてしまった。
「はっ、どうせあいつに抱かれてんだろ。クソ、クソ! めちゃくちゃにしてやる」
「やだ、やだぁっ!」
尾崎くんが僕の制服を脱がそうとしてくる。なんとか阻止したかったけど、体の大きな尾崎くんに僕なんかがなにも出来るはずはなかった。乱暴な手が僕の腰を掴んで、おしりを触ってきた。
「いやだ、やめて、痛いっ」
「うるさい、あいつを受け入れてるくせに! 処女みたいな反応やめろよ」
「ちがう……ッ、やだ、やだぁ」
怖くてたまらなかった。なにもできないまま、体をまさぐられて、知らないところまで触られる。僕は泣きじゃくってやめてと訴えたけど、勘違いしている尾崎くんは聞いてくれなかった。
「ひ、ぃ……ッ」
無理やりこじ開けて、尾崎くんがおしりの穴に指を入れてきた。痛い、怖い。ぐねぐねと動いて気持ち悪い。体が冷えきってガタガタと震えていた。
「痛い、やめて……もうはなしてぇ……」
「ッ、……おまえ、ほんとに」
尾崎くんが手を止めた。見下ろす影が僕をすっぽり隠している。僕がなけなしの力で前に這うと、今度は尾崎くんは僕を捕まえなかった。
「……クソッ」
尾崎くんが吐き捨てて、どこかへ走り去った。空き教室に惨めな僕だけが残された。先輩との待ち合わせの時間はとっくにすぎていた。
なんとか服を整えて、涙と唇の血を拭いて、竦む足で裏門に行った。きっともう先輩はいないと思っていたけど、今の僕には他に行き場がなかった。
でも、先輩はそこで待っていた。仲間と退屈そうにして、塀にもたれかかっていた。はじめに仲間の一人が僕に気づいて、すぐあとに先輩もこっちを向いた。
一目で僕のことはバレたようだった。先輩は冷たい無表情になって、足を止めてしまった僕に近づいた。まずは遅れてしまったのを謝ろうと思ったけど、その前に先輩が僕の顎を掴んで、切れた唇をなぞった。
「誰だ」
僕のよれた襟元をめくって先輩が聞いた。いつもより低くて冷たい声だった。僕は答えようとして、名前を口にするのも怖くなって、喉を震わせながら涙をこぼした。
「……お、ざきくん……」
先輩の瞳が怒りに染まるのが分かった。仲間が何事かと様子を窺っている。先輩がそちらを振り向くと、仲間は青ざめて後ずさった。
「今日は解散」
「……う、ウッス」
先輩は僕の腕を掴むと、普段とは別の方向に歩き出した。進むのが早くて、僕は必死に足を動かした。歩くたびおしりが痛かった。
先輩は僕の知らない道をどんどん歩いて、ネオンが点滅する細い路地に入っていった。下のほうがへこんだドアをノックもしないで開けて、僕はお酒と煙草の香る室内に引き込まれた。
「あれ、珍しいねえ」
カウンターにいた綺麗な女の人が先輩を見て笑った。
「一部屋借りる」
女の人はうしろにいた僕をちらりと見て、意外そうな顔をした。
「ふーん……いいよ。薬箱要るなら持っていきな」
「ん」
僕は先輩に手を引かれて奥に連れていかれた。楽しそうな笑い声が遠くから聞こえる。先輩はひとつのドアを選んで、かけてあったプレートを回して『使用中』にした。
入った室内は、寝泊まりが出来そうな雰囲気だった。布団が畳んであって、箪笥がいくつも並べてある。先輩は靴を脱いで畳の上に上がると、胡座をかいて僕を手招きした。そっと後に続くと、優しい手が僕の頬を撫でた。
「痛いとこは?」
またじわりと溢れた僕の涙を静かに拭ってくれる。
「何された」
「……っ、さ……さわられ、て」
「うん」
「お……おしりに……ゆび、」
ぱたぱたと涙が落ちる。僕はずっと震えながらなんとか先輩に説明しようとした。
「にげ、られなくって……」
「口は」
「……キス……されて……っ」
僕は自分がとても汚れている気がしてきて、先輩に触れられているのが申し訳なくなった。耐えきれなくなって顔を覆うと、先輩の手が離れていった。
「ごめんなさい……ぼくっ、せんぱいの、なのに……っ、こんな……」
なんにもできない自分が惨めで悔しい。失望されても仕方がない。
先輩は黙っていた。小さなため息が聞こえて、僕はいよいよ消えてしまいたくなった。
先輩の手が僕の手首を掴んで、ゆっくりどけた。そうして僕の顎を持ち上げて、先輩の唇がそっと僕の唇に触れた。
「……」
僕はあまりの驚きに固まってしまった。彼の顔が離れたあとも呆然とする僕に、先輩は薄く笑った。
「上脱がすぞ」
言いながらするするとブレザーとシャツを脱がしていく。よく見ると僕の体にはあちこち痣ができていた。尾崎くんから逃げるときにぶつけたみたいだった。
先輩が僕の手首を裏返して手を止めた。そこにはまだうっすらと掴まれた痕が残っていた。指先がす、と痕をなぞって、 それから薬箱に伸びた。
僕はさっきまでの絶望も震えも忘れて、ふわふわした心地で先輩の手元を見つめていた。先輩が触れたところから体温が戻っていくようだ。
「尾崎、ガキの頃から知ってんだよね」
僕の痣に湿布を貼りながら先輩が呟いた。
「昔から俺に突っかかって、張り合ってくる」
先輩が話しているのに、部屋はしんとしていた。あまり外の音も聞こえない。
「お前が好きなんて嘘だよ。俺に勝ちたかっただけ」
冷たい笑顔で先輩は言った。僕はそれにほっとした。尾崎くんがこれからも僕を好きだったらどうしようと思っていたのだ。また無理やり触られたらと思うと怖くて学校へ行けなくなってしまう。
やがて僕の痣は白い湿布に包まれて見えなくなった。
少し気持ちが落ち着いた僕の頭を、先輩が引き寄せた。また顔がすぐ目の前に来て、もう一度唇が触れ合った。心臓が飛び出してしまいそうだ。
先輩は僕の唇をやわく食んで、切れたところをちろりと舐めてから口を離した。僕が止めていた息を吐き出すと、目を細めて笑った。
「もう忘れた?」
僕は真っ赤になって、小さく頷いた。初めては奪われてしまったけど、もう先輩と二度もキスをしてしまったから、なんだか些細なことに感じた。
「後ろは」
「っ、え」
する、と腰に手が回って、僕はとろけそうだった思考を取り戻した。先輩が言っているのは、無理やり指を入れられたおしりのことだ。たしかにまだ痛みはあるけど、先輩にそこまで見せるのはさすがに抵抗があった。本当は下着を脱がされているときだって死ぬほど恥ずかしい。
「あ、の、それは」
「脱げ」
「……!」
肩を持たれて後ろを向かされる。さっきとは別の意味で震えながらベルトを外すと、先輩は僕の腰を引いて四つん這いにした。躊躇いなくスラックスと下着を脱がされて、僕はぎゅっと目をつぶって耐えた。
先輩の手が、僕のおしりをゆるりと撫でた。親指が肉を持ち上げる感覚がする。じっくり見られているのだと思うと本当に恥ずかしくて死んでしまいそうだ。
「……こっち」
「え……」
不意に体を起こされる。先輩は膝で止まったスラックスにもたもたする僕を半ば抱き上げるみたいにして、布団が畳んであるほうへ移動した。ぽふりと布団のうえに上体を乗せられる。四つん這いより少し楽だ。
先輩は箪笥の引き出しを開けて何かを取り出していた。もしかしておしりが切れていたのかもしれない。こんな場所まで先輩の手を煩わせてしまうのが申し訳なかった。
パキ、と何かを開ける音がする。肩越しに先輩を振り向くと、彼の手に透明なものがとろりと出されるところだった。あれはなんだろう。塗り薬にしては大きな入れ物だ。
「ひ」
おしりにぬるっとした感触がして、僕は思わず声を上げた。先輩の指がぬるぬるしているのだ。指先はしばらく僕のおしりの割れ目を行ったり来たりしていたけど、そのうち穴に指の腹がぐっと押し込まれた。
「っ、せん、ぱい?」
どうにも様子がおかしくて、おそるおそる振り返った。目が合った先輩は口角を上げて、くしゃりと僕の頭を撫でた。ほっとしたのもつかの間、指先がぬるんと僕のおしりの穴に入ってしまった。
「ぅ、あ」
ぬるぬるしているから、尾崎くんのときみたいに痛くはない。くぷくぷと指が出たり入ったりしていて、僕はなにがなんだかわからないまま布団を握りしめた。
「ん、ぅ……っ」
ぬめりを中に塗り込むみたいに指が動いているから、やっぱりこれは薬なのかもしれない。でも先輩はだんだん尾崎くんがしていたみたいにぐねぐねと指を動かしはじめて、僕は変な感覚に息がうまくできなくなってしまった。
「っん、ふ、ぅ」
「痛い?」
「ぁ、いたく、ない、です」
むずむずしながら答えると、穴にもう一本指が入ってきた。びっくりして背中をしならせると、また先輩が僕を撫でた。
くちゅ、と静かな部屋に音が響いた。いっぱい擦られておしりの中が熱くなってくる。先輩は僕のお腹側のほうを何度も押し込んで、マッサージをするみたいに指を動かした。
「は、ん……、あっ」
だんだん気持ちよくなってしまって、つい声をもらしてしまう。先輩は僕を気遣ってくれているというのに、僕は駄目なやつだ。でも、先輩が押し込んでくる場所がじんじんして、ピアスを引っ張られたときみたいに腰の奥がきゅんとして、情けなく腰を揺らしてしまっていた。
「せんぱ、い……っ」
「ここ?」
「あッ」
押された場所が一番気持ちよくて、勝手に高い声が出た。頭がぼうっとして、でもおしりに力が入って、先輩の指を締めつけてしまう。ぐちゅぐちゅという音が僕の思考力をさらに奪った。
「ぅんっ、ん、ふぁ」
指がずっと気持ちいいところをぐりぐりしている。僕は布団にすがりついて悶えることしかできない。
「あ、ぁ、ッ、あ」
快感の波が押し寄せてくる。胸を弄られているときみたいに、お腹が切なくなって、先輩の指に掻き回されているのが幸せな気持ちになって、僕は布団に顔を埋めてびくりと跳ねた。
「あぁ、──ッ!」
頭の中が真っ白になる。おしりの中が熱い。全身が敏感になって、僕は何度も体を痙攣させた。
「は、はぁ、は……」
先輩の指が抜けて、僕は膝を崩してくったりしてしまった。呼吸で胸が布団に擦れて、それでも気持ちよくなってなかなか目を覚ませない。
くらくらしながら見上げた先輩の瞳は、いつもより熱があって、僕のことをじっと見つめていた。
「せ、んぱい……?」
「……」
先輩はなにか考え込んでいるようだった。僕を見ているけど違うことを考えている。長い睫毛がゆっくり伏せられて、次に瞼が上がると今度は僕とちゃんと目が合った。薄く笑った顔が綺麗だと思った。
「俺のこと好き?」
突然聞かれて、僕は先輩を凝視した。みるみる顔が熱くなっていく。そういえば、僕は一度も先輩が好きだと打ち明けたことがなかった。僕の気持ちなんて先輩にはバレているかもしれないけど、やっぱり直接言ったほうがいいこともある。
「ぁ、す、好き……です」
消えそうなくらい小さな声になった。先輩にたくさん触られていて、今更な気もするけど、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
先輩はくすりと笑って、するりとネクタイを解いた。ブレザーと一緒に投げ捨てて、僕に覆いかぶさる。あんまり距離が近くて、おでこがこつんと当たって、僕は息を止めた。
「じゃあ、いいか」
「ッあ……!」
僕は完全に裸にされた。膝を割って、先輩の指がまた僕のおしりに入ってきた。四つん這いで受け入れるより恥ずかしい。ぬるぬる、ぐねぐね、さっきより指が増えている気がする。先輩は僕の胸も弄りはじめて、どっちの感覚を受け止めればいいのかわからなくなって頭を振った。
敏感になったところをたくさん擦られて、僕はずるずると布団の山から滑り落ちた。先輩に向けて足を開いているのがみっともないけど、閉じると先輩の邪魔になってしまう。
「ふあ、あっ、あーっ」
先輩がじっくりと僕を眺めている。それだけでも僕は気持ちよくなってしまった。背筋がぞくぞくして、きゅうっと指を締めつけて、僕はまた深い快感に呑まれた。
「あ、ぁ……っ、は」
崩れた布団の上に横たわって荒い息をする。チカチカする頭の隅で、ベルトが外れる音を聞いた。先輩が口に何かを咥えて、ちぎって、輪っかみたいなのを取り出している。少しだけ余韻が抜けて、僕はそれがコンドームだと気づいた。それを用意している意味を考える前に、先輩が僕の足を持ち上げた。
「せんぱい、っあ」
ぐに、と僕のおしりに硬いものが当たった。僕の足と一緒に先輩が近くに来て、それと同時におしりの中に硬くて熱いものがず、と入ってきた。
「あ、あ──ッ!」
指より太いのが、もっと奥まで入ってきて、じんじんしていたところまで届いた。心も体も追いつかない。気持ちよくて、苦しい。先輩が動くと中のも動いて、僕はぐちゃぐちゃになった頭で今なにをしているのか理解しようとした。
「は……キツ」
僕のすぐ近くで先輩が呟いた。気持ちよくておしりに力を入れると、先輩の眉が微かに寄る。
「……ッ、は、ぁ」
僕は気づいた。今僕は先輩を受け入れているんだ。先輩と、セックスをしているんだ。
「ぁ、せんぱ、ッんぅ」
先輩がゆっくり腰を動かして、ゆさゆさと僕を揺らした。おしりの中が熱くて、すごく気持ちよくて、擦られるたびに頭が痺れていく。
「あ、あっ、あッ、あ」
口が閉じられない。勝手に声が漏れて、体がびくびく震えて、涙がこぼれた。
「はぁっ、あ、ぅ、あっ」
「……痛い?」
僕の涙を拭って先輩がのぞき込む。痛みなんてひとつもなくて必死に頭を振った。
「ちが、きもち、いいっ」
「何しても泣くのな」
「ん、っ、ごめ、なさ」
「あやまんなくていいよ」
「ふぁ、──ッ! あ、はッ」
たん、たん、と先輩の腰が打ちつけられる。全身が性感帯になってしまったみたいに、どこもかしこも気持ちいい。先輩の息づかいが伝わって、幸せな気持ちで満たされる。
「せんぱい、せんぱい……っ」
好きが溢れて、僕はうわ言みたいに先輩を呼んだ。先輩が僕の手を引いて、彼に掴まらせてくれる。ぎゅっと体同士が密着して、先輩が激しく僕を突いた。
「ッ、ぁ……っ、んぁ、っ」
弱いところを何度も擦り上げられて、僕の体はさっきからずっと絶頂を繰り返していた。息もまともにできなくて、力の抜けた腕で先輩にすがりついていた。
「あ、うっ、ん、ん──ッ」
「……ッ」
僕が何度目か分からない絶頂を迎えると、先輩も息を詰まらせて、僕の耳元で短い吐息が聞こえた。動きが止まって、静かな部屋に二人分の呼吸が重なり合った。
先輩が体を起こしたので、僕はくたりと体を投げ出した。少しも動けそうになかった。まだ体がびくびくとしていて、おしりから抜けていく感覚にも鼻にかかった声を上げてしまった。
「生きてる?」
かすかに笑いを含んだ声がする。まだ頭がぼうっとしていて、うまく声が出せない。先輩の手が僕の頬を優しく撫でて、唇も親指でなぞった。それが心地よくて、僕は限界だった意識を手放した。
ふと目を開けると、僕は暗い部屋にいた。小さな照明だけがオレンジ色に光っていて、布団に寝かされているんだとわかった。
枕の上で頭を動かして、僕の隣に先輩が座っているのを見つけた。煙草を吸っていて、先が蛍みたいに暗闇でキラキラしている。
体がくたくたで、ぼんやり先輩の横顔を眺めていた僕に先輩が気づいた。灰皿に煙草を押し付けて、優しい手が撫でてくれた。
心地よくてまた目を閉じる。先輩の触れ方はいつも優しい。僕のことをたくさん撫でてくれるのが好きだ。僕を見て、少し目を細めて笑うのも好きだ。手を引いてくれるのも好き。たまに痛いことをされても、好き。先輩が好き。
「すき……」
先輩に撫でられながらうっかり口にして、じっと僕を見つめる先輩と目が合って、僕は慌てて布団から起き上がった。体のだるさなんて関係ない。寝ぼけてしまっていた。
「ぁ、の」
「腰、平気?」
先輩は暗がりから聞いた。言われてみると腰まわりが一番疲れていて、おしりに違和感があったけど、痛いわけじゃない。
「だ、だいじょぶ、です」
違和感と一緒に僕と先輩がしたことも思い出して、僕は真っ赤になって俯いた。いっぱい大きな声を出してしまったし、図々しく先輩に抱きついてしまったりもした。うざったいと思われたらどうしよう。
「疲れてんなら、このまま泊まってもいいけど」
「え……と」
くたくただけど歩いて帰ることはできそうだった。ここがどんな場所なのかわからないし、泊まるのは少し怖い。
「帰り、ます」
「そ。じゃあ送るわ」
先輩が立ち上がって、僕に制服を投げた。布団に寝ていた僕はシャツと下着しか身につけていない。今更恥ずかしくなったけど先輩は気にとめず部屋の明かりを付けてしまった。眩しさに瞬きを繰り返す。
僕がもたもたと準備をしている間、先輩は薄く笑って僕を眺めていた。
「好き?」
「は、ぇ」
突然聞かれて変な声を出してしまう。
「さっき呟いてた」
「あ……えっと、その……はい」
「どこが?」
先輩の質問に僕は困り果てた。なんて言い表したらいいかわからない。彼の前だとうまく喋れないから、伝えられる自信がなかった。
身なりを整えた僕の腰を、先輩の腕が引き寄せた。顎を掴まれて、先輩から目を逸らせないようにされる。
「ぁ……う」
「どこ」
自分の鼓動がうるさい。もう一度同じことを聞かれて、僕はぐるぐるした頭で必死に答えを探した。そうして出てきたのは、馬鹿らしいくらいの言葉。
「ぜんぶ、好き、です」
「……」
先輩が黙って僕を見下ろした。やっぱりこんな答えでは許してもらえないだろうか。他に言い方がないか考えていると、先輩がふ、と微笑んだ。
「んっ」
先輩が僕にキスをした。これで何回目だろう。これ以上ないくらい赤くなった僕を撫でて先輩はまた笑った。
「やっぱ可愛いねお前」
僕はこんなに幸せなことがあっていいんだろうかと思った。そのまま夜道を歩く間も、家の前に送り届けられてからも、僕の心臓はずっとどくどく跳ね回っていた。
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