そんな風に揶揄うオリヴィエの顔の方がよっぽどいやらしい。 　つい半刻前まで交わっていた身体には兄から激しく愛された噛み痕や赤い鬱血の後が色濃く残り、日頃溌溂と動く身体を気だるげに動かすさまがむしろ色気が零れる様だ。 　聖女の息子であるのに、兄の精を強請る姿はまるで淫魔のようにすら感じる。 「なあ、ハーゲンティ様のことだが」 「寝台の上で他の女の話を持ち出すのは礼儀がなっていないと思うんだけど」 「オリヴィエ」 「冗談だよ。やっぱり知りたいの？　ハーゲンティ様のこと」 「そうだな」 「じゃあついてきて」 　オリヴィエは兄が脱ぎ捨てたシャツを手早く羽織っただけのしどけない姿のまま、部屋の外へ飛び出していく。 　淫紋を得てからの弟は今まで窮屈そうに暮らしていたのが嘘のように時折こんな奔放な仕草を見せる。レヴィアタンは適当なズボンだけをはき、慌てて軽やかな蝶のようにひらひらとシャツを翻しながら夢見るように歩く弟を追いかけた。 　今の彼ならば紋を通じて兄の魔力を引き出せるので今までのように他の魔物から傷付けられる心配はないのかもしれないが、弟のあまりの変貌に驚きを隠せない。 　しかし時おり兄を振り返る無邪気な心からの笑顔を見るにつけ、二人が共に選んだ選択はけして過ちではなかったと思うのだ。 「兄さま早く来て」 　この城では成人した主人にたいして従者たちが目に触れるのは無礼に当たると姿を現すことはない。よって誰に会うこともなく辿り着いた先は肖像画の間だった。 　これまでの先祖たちの肖像画が搭の先までの高さまでふわふわと浮かんでいる。勿論外側から見たら小さな部屋だが、魔法で中はとてつもなく広い。 　オリヴィエは紺碧の壁沿いにつけられた飴色にいつも磨かれている螺旋階段をどんどん上へと昇っていく。 「兄さま早く」 　レヴィアタンは上半身裸であることをいいことに翼を出すと、半分宙に浮くようにしてオリヴィエの元まで飛んで駆け抜け、彼を攫うように横抱きにして一気に搭の先のようにとがった天井近くまで一番上まで飛び上がってきた。 「びっくりした！　ねえ。もう少し下だよ」 　風船のように浮かんだ肖像画の間を通り抜け、オリヴィエが指し示す金色の額装の絵に近づく。背景は紫色の部屋。中から赤い花びらが零れ落ちては宙でふっと消えている。その絵に描かれていた美貌の女性は、あの部屋にいた女性そのものだった。 「この人がハーゲンティ。お父様の数代前の魔王の母親違いの妹君で淫魔の血を引く、それはそれは美しい人で誰もが彼女に夢中になったそうだよ。魔族の間で我が物にしたいと恐ろしい血みどろの争いを生み出したらしい。だけど彼女が望む人は一人だけで、それは兄の魔王。彼の心も身体も欲しくて、私はあの部屋を作ったの」 　いつの間には肖像画の中のハーゲンティーがぱくぱくと口を開き、目を見開いたままオリヴィエは虚ろな表情で喋り出す。 　腕の中の弟の青い瞳はあの褥の上でだけ見せた魅惑的な薄紫色に染まり、熱っぽい眼差しでレヴィアタンの首に片腕を伸ばしてするりと耳を撫ぜる。 「あの部屋を作ったのは私。愛する者同士を引き寄せ、結ばれるまで出られない呪いをかけたの。私とお兄様も愛し合っていたから。あの部屋で結ばれはしたけれど、お兄様は私に淫紋を刻んで下さらなかったわ。成人した淫魔は男の精を受けなければ生きていかれないって知っていたのにね？　妹を犯した罪に耐え兼ねて、そして私を誰の元にもやりたくなくて。そのまま私はお兄様にあの部屋に閉じ込められて、消えてなくなったわ」 「ハーゲンティ、貴女は……」 「貴方、やっぱり少しだけお兄様に似ていたわ。でも違う。再び兄弟に生まれ変わって、折角結ばれたのだから。今度こそ愛し続けて」 　すうっと目を閉じ、オリヴィエが意識を失った。 「生まれ変わった……。俺たちが？」 　肖像画の中のハーゲンティは二人を見守るような顔で頷き優しく微笑み、指に摘まんでいた虹真珠をぽいっと下に向かって投げ落す。すると丁度真下にあった海辺の絵から鱗の付いた腕だけが飛び出してきてそれを受け取ると、飛沫を上げて海の中へと返っていった。 　再び隠す部屋の絵に目をやれば、ハーゲンティの姿は消え失せて、気づくと腕の中のオリヴィエが目を覚ましていた。 「兄さま？　僕……」 　オリヴィエがとろんとした眼差しで顔で兄を見上げてきたから、レヴィアタンは胸が一杯になり、弟を強く、しかし少しの傷もつけぬように大切に抱きしめた。　 「今度はきちんと幸せにしてやるからな」 　　　　　　　 　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　終