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第63話 傷つけないで

「……来る時は、連絡するように言ったはずでしょう」  眼鏡を掛けている律は、玄関に立っている僕を見て訝しむ。  僕は額に玉の汗をかいていた。  いてもたってもいられずに、コンビニから全速力で走ってきてしまったのだ。  黙ったままの僕に、おずおずと手が差し伸べられる。 「どうしたんですか千紘。とりあえず上がって」 「ここでっ、大丈夫……」  また優しさに甘えてしまうから、律の手は取らなかった。  深呼吸をして、荒くなった息を整える。  固い表情の僕に、いつもと様子が違うと察した律は、宙に浮いていた手をゆっくりと下ろした。  じっと見つめて、眼鏡の奥の黒目がちの瞳に何かが透けて見えないかと試みたけど、何も分からなかった。  律の考えていることが知りたい。  なのに知るのは怖い気がする。  律の前では、僕は矛盾だらけの気持ちでいっぱいになってしまう。 「律の元カレって、ムサシさん?」  律はわずかに目を大きくしたが、視線を合わせたまま何も言わなかった。  沈黙が正解だと告げていた。  律は何か機転を利かせようと思案しているようにも見えた。  雷さんが見せてくれた写真に映っていたのは、赤いマフラーをした背の高いスーツ姿の男性だった。  あの日、僕と会った時の姿とまるっきり同じ格好で、ムサシさんがそこに写っていたのだ。 「……雷に聞いたんですか」 「僕がムサシさんと会った日、あの場所に律もいたのは偶然じゃないんでしょ」 「そうですね」  逃げきれないと思ったのか、律は肩をすくめてあっさりと認めた。  む、と僕は頬を膨らませる。  なんだその、ふてぶてしい態度は。  不穏な空気を濃くしている僕に構わず、律はやけに落ち着いた様子で話し始めた。 「きみと彼が会うほんの少し前に、俺は彼と会っていました……預かっていた道具を、返して欲しいと言われたからです」  ある程度予想はしていたので、思ったほどの動揺はなかったけど、無意識にぎゅうっと拳を握りしめてしまう。 「返した後、人と待ち合わせをしているんだと彼は言いました。まさかその相手がきみだなんて思いもしませんでしたけど……道具をそのまま、きみに使おうと目論んでいたなんてことも」 「ムサシさんとは、どうして別れちゃったの?」 「どうしてって、別に……お互いに仕事が忙しくて、すれ違いが多くなって」  抑揚に乏しい声が僕の耳朶を掠める。  将来を誓い合っていたくらいの仲だったくせに?  そう言いたいのをグッと堪える。  問題はそこじゃないからだ。  僕が聞きたいのは。 「じゃあ、ムサシさんとはどうやって知り合ったの?」  おそらくこれも僕の予想どおりの答えだろうと思いながら訊ねた。 「千紘が使っていたサイトで知り合いました」  律はもう嘘で取り繕うのは辞めたらしい。  悔しくて手が震えてしまう。  僕は律がノンケだから仕方ないと妥協していた部分もあったのだ。  だけど本当は男にではなく、僕に興味が無いだけだった。  ちゃんとそれを、隠さずに言って欲しかったのに。

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