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第66話 好きになってもらう

 駅前の大通りから1本脇道に入ると、駅の賑やかな雰囲気とは一転、僕ら以外に人の姿はほとんど見られなくなった。  外灯の薄明かりの下を素晴くんと並んで歩いていたら、何の前ぶれもなく手を恋人繋ぎされた。  反射的に顔を見ると、えへへ、とまるで付き合いたての恋人みたいに小さく笑われたので、僕も気恥ずかしくて頬を熱くさせる。  素晴くんはまだ何も聞かない。  その代わりに手をきゅっと握って、僕を安心させようとしてくれている。  僕はそうされて、本当に癒されたし心が暖かくなった。  友達とも家族とも恋人とも違うこの関係は、簡単に名前が付けられない気がした。  ふと、素晴くんが歩みを止める。 「はいっ着いたー」 「え……ここって、素晴くんち?」 「そうだよー。すっげぇ散らかってるけど、入って入って」  たどり着いたのは外壁がオレンジ色をした3階建ての建物で、素晴くんの住居は2階の奥の角部屋らしい。外壁の橙色と扉の茶色の配色がオレンジピールチョコのようで美味しそうに見える。  靴脱ぎ場は2人同時に立つには無理めな狭さなので、素晴くんが移動したあと、僕も靴を脱いだ。  ベランダ側に脚付きのマットレスと、その手前に1人がけのソファーが置いてある。そのどちらにも脱ぎ捨てた後のような洋服がレタスのように何層にも積み重なっていた。  素晴くんはそれらをまとめて洗濯機に突っ込み、床に転がっていた荷物をブルドーザーのごとく壁側に寄せて無理やりスペースを作る。  2人が座って寛げるくらいにはなったけど、どうにも見栄えは良くない。 「ごめん千紘くん、きみが潔癖気味だっていうのをすっかり忘れてた。やっぱりどこか別の場所行く?」 「ここで大丈夫! ありがとう」  潔癖は治ったようなものだし、せっかく連れてきてくれたのだから。  1人がけのソファーに座るように促されたので腰を下ろし、素晴くんはベッドに座った。 「色々とあったんだねー、千紘くん」 「……」  気持ちが纏まらなくて、頷いたあとで黙り込んでしまう。  そんな僕を見かねたように、いつも無邪気で優しい人は慰めの言葉をかけてくる。 「辛かったよね」  まず相手の気持ちに寄り添ってくれるところは律と同じだ。  そうしてくれると分かっていたから、僕は素晴くんに連絡をしたのだろう。 「もう、律には会わないって言って出てきた……」 「ふぅん……奇遇なんだけど、俺もそう」 「え?」 「俺は昨日なんだけどね。あいつにさ、もう会わないって言ったよ」 「な、何かあったの?」  素晴くんは物憂げな表情になり、ため息を零した。 「好きな人に好きになってもらうのって、簡単に見えて結構難しいんだね」 「素晴くん……」  僕は思わず声を掛けた。  その瞳が潤み始めたのに気付いたから。  僕みたいに泣き出すかと思いきや、素晴くんはすばやく手で涙を拭ってから、苦々しく言った。 「実はさ、カマかけるつもりで、千紘くんにキスしたことを話したんだ。俺としては、嫉妬して欲しかったから。だけどそれが彼にとっては俺を手放すひとつの理由になったみたいで、もう会いたくないって言われちゃったんだ。だから俺もムキになって」 「え、え……それって」  ささーっと血の気が引く思いだ。  それは僕と同じだ。  律が嫉妬に狂ったのかと勘違いしたけど、もう秘密の関係は辞めにすると告げてきたあの日。  もう取り返しがつかないけど、もし僕が律とのことを素晴くんに相談していなかったら、素晴くんたちも悲しい終焉を迎えなかったのではないか。  今更だけど後悔した。やり直せるものならやり直したい。  できれば僕は、5年前から。  未来の律が後悔するような「変なこと」をしなければ、僕はずっと、律の隣にいられたはずだ。

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