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第37話 運命の視線

 ワシントン州シアトルは、夏はそこまで暑くならないので過ごしやすいのだが、冬は雨ばかりで、たまに憂鬱な気分が抜けないことがある。  家族で海外移住してから3カ月ほどが過ぎた。家から大学は割と近いので通いやすく、大学生活にも慣れてきた。 「りょう、スマホ忘れないでよ。チケット」 「ああ」  たかが大学生のバスケの試合なのだから、チケットなんて簡単に取れるだろうと思っていた。だが、勘違いだったことに早々に気づいた。  NCAAのレギュラーシーズンとはいえ、強豪校にもなるとなかなかにチケットが取れない。佐野のいる学校は西側なので、東側ほど強くはないようだが、それでも有名な選手もいるようで、第3希望日にしかチケットが取れなかった。  米国のバスケ熱は想像以上だ。テレビをつければ何かしらのバスケの試合を目にするし、自宅から大学への道のりにはバスケットコートが何面かある。  ここでは多くの人がバスケを1つのエンターテインメントとして楽しんでいるのだが、その中でもNCAAディビジョン1のプレーオフトーナメント「マーチ・マッドネス(3月の熱狂)」は大盛り上がりとなる。  その出場校を決めるレギュラーシーズンもすでに盛況を呈しており、感謝祭前後に行われるトーナメントは、テレビ放映されるほど注目度が高い。  そんな中でプレーをする佐野は、やはりそれだけで驚異的だ。  優心が運転する車で、試合会場に向かう。車から降りると、スッと肌寒い風が吹いて、会場へ誘われているように感じた。入り口は、すでに人の熱気があふれ出ているかのように歪んで見えた。  荷物を預けるのもお金がかかるので、ほとんど手ぶらで会場入りした。優心が奮発してくれたお陰で、前方のよく見える席に座ることができた。  選手入場とともに歓声が上がり、国歌斉唱で会場の雰囲気がガラリと変わる感覚があった。胸に手を当てるもの、目を瞑って国歌を口ずさむもの、人種の違う各々が国歌で一つになる。全員がこの試合を楽しもうと決意しているかのようだ。  その熱気がこもるコートの中に、佐野の姿を見つけた。中央のスクリーンをじっと見つめ、国歌を聞いている。その凛々しい表情は懐かしく、まだ知らない佐野の一面を映し出しているようでもあった。  厳粛な雰囲気の中、迅速に試合が始まった。佐野はまだ出場していない。  佐野の所属するチームはどんどん点差をつけられ、同大学への声援は怒号へ変わった。しばらくして、佐野が選手交代でコートに入ってきた。 「佐野ー!がんばれー!」  佐野の姿を目にしたら、自然と腹部に力が入り、自分でも今まで聞いたことがないような叫びが出た。佐野がコートに入っても、特別な声援があったわけじゃなかった。そこに日本語の声援があれば、いくら集中している佐野でも気づくに違いなかった。  ああ、俺は佐野と視線を交わすだろうと思った。舞い散るホコリがライトに照らし出されているだけの、汚らしい空間なのに、俺には星がきらめく果てない宇宙のように感じられた。  振り返る佐野の眸子が俺の心髄を射抜く。たった1秒、2秒。その数秒で俺たちの未来が決まった。  

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