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人は鬼より怖きもの

小僧の周りは鬼より怖き人間ばかりである。  里に戻る前夜、小僧は霊符を書き続けていた。蝋燭の僅かな光を頼りに小僧は文机に向かっている。別に私も眠くはなかったので、小僧の書き上げた霊符が乾くように並べていた。閉じ込められていた石牢で使われた霊符は痛くて気持ち悪かった。だがこの小僧の書く霊符は、不本意ではあるが指先がほんのりと温かくなり心地好い。 「明日あの里に戻るのでしょう。ならば今のうちに睡眠を取りなさい。さもなくば十全に闘えませんよ」 「ああ、あと数枚書き上げたら寝る」  本当に寝るのだろうか。小僧の瞳には眠たいという気持ちが見えないが。適当に返事をしているようにさえ思えてくる。 「主、お尋ねしたいことがあるのです」  小僧は霊符から目を離さずに答えた。 「聞いても構わないよ」  紙の上を筆が滑らかに走り、繊細な紋様を刻む。この紋様が何を意味しているかは分からないが、この光景を見るのは嫌いではない。それを眺めながら私は問うた。 「主よ。何故貴方は実の父親に嫌われているのです」  その時、揺らぐことの無かった小僧の瞳が焔が風に吹かれるが如く揺れる。 本当は口にしたくなどなかったのだろう。小僧のぎゅっと噛み締められた唇が離れるまでに半刻経った気がした。 「火産霊神(ほむすびのかみ)って知っているか? または軻遇突智神(かぐつちのかみ)」  小僧の表情は変わらないものの、顔が陰る。小僧の握る筆は止まることは無いものの、ぎこちなくなった。 「ええ、知っておりますが」  母である女神の身体に火傷を負わせ、殺してしまった神。そして父である男神から斬り殺された神である。日ノ本の神話を知っている者にとっては周知されている神であろう。 「……私の場合も似たようなものだよ」  小僧の瞳は諦めと達観に染まっている。本当は16の青二才だというのに、希望も何も無いような顔をしていると、そうは見えない。小僧は新たな霊符を書き上げると、筆を止めた。 「私の母は私を生んでから身体を壊し、二度と子を成せぬ身体になってしまった。今も床からほとんど起き上がれないでいる。頭領はそのことで私を恨んでいる」  確かに、それでは子を恨むのも仕方無いのかもしれない。だが小僧が背中に二度と癒えぬ醜い傷跡を施されるまでの罪業なのだろうか。それ以前に…… 「覚えていないでしょう」  小僧は無理に微笑もうとしたのだが、繕う表情が歪だという自覚があるのか無表情に戻る。 「覚えているものか。だがそれでも事実として、母は私のせいで身体を壊した。…………私は生まれるべきではなかったと思っている。それでも生まれたのだ。仕方ないと生きるまでさ」  小僧は片手で片付けを始めたので、それを手伝う。いつもきびきびと動く小僧の動きが重かった。 「死にたいと何度も思ったよ。今でも思う。でも死ぬわけにはいかないんだ。そうでないと私のために命を落としたあの人が無駄死にとなってしまう。それは嫌だ」  小僧は「生きること」を自分に課しているようだ。だが、それは「生きたい」とは違う。小僧は何故死にたいと思ったのだろう。生まれる時に母を傷つけたこと、愛情を実の親に注いで貰えず憎まれること。……それだけではない筈だ。 「貴方自身は……生きたいと思わないのですか」  生きたいと願うのは生きとし生けるものの当然の欲求だ。誰もがそれを何処かで望んでいる。だが、小僧は首を横に振った。 「………ごめん、分からない」  小僧はそう言うと逃げるように布団に潜り込んだ。小僧の肩が布団から出ていたので掛けてやる。そして夜風に当たりに外に出た。夜風は冷たく容赦なく身体に打ち付ける。 「分からないはないだろう……阿呆か」  小僧に言えなかった言葉を吐く。小僧の境遇が悲惨だとはいえ、小僧に腹が立つ。あの全てを諦めたような顔が気に食わない。 「お前なんて……大嫌いだ」  嫌いというよりは歯痒いという感情であろう。あのように自分を責め続けている子供に何をすべきか分からなくて、影縄は苛立ちのままに舌打ちをした。  小僧は里に戻る直前まで、桔梗から忠告を受けていた。 「いいかい? 絶対に無茶をしないこと。影縄に頼るべき時は頼ること。分かった?」  小僧は苦虫を噛んだような顔をしながら頷く。そんな小僧に不満を抱いたのか、桔梗はコツンと小僧の頭を軽く叩いた。 「お前は一人で何でもしようとするからこっちは心配しているんだよ。それに影縄を式神に下したんだろ?信用していないのかい」 「別に信用していない訳じゃ……」  言いかけた小僧の頭を桔梗が撫でる。小僧は撫でられる直前、びくりと肩を震わせる。まるで頭に触れられることに怯える子供だ。だが桔梗の手を払おうとしなかった。 「式神は自分を守るための得物として考えなさい。大切にするなとは言わない。むしろ逆で大切に扱うべき存在だ。それでも主人が式神を庇って命を落とすなど言語道断だよ。颯月の件で喪うのが怖いのは分かっているけどさ」 「分かっている。そのために影縄を式神にしたのだから」  そして準備を終えると、小僧は桔梗に礼を述べてから長屋を出る。桔梗の姿が見えなくなった頃、ぼそりと小僧は呟いた。 「桔梗に分かるものか………! 私のせいで颯月殿を喪った苦しみが」  横目で見ると、小僧は苦しそうな顔をしている。桔梗に直接言えなかったのは、彼女が看病をしてくれたからだろう。小僧は桔梗を傷つけたくないが為に言えなかったのだろうが、小僧自身は傷を作っている。この場合、何を言っても小僧を傷つけるだけだと判断し、聞こえなかった振りをする。だがそれでは小僧は一人で苦しんで壊れてしまいそうな気がした。  里に戻ると、冷ややかな視線が小僧と私に浴びせられるが、小僧は知らん顔をして家へと向かう。すると、小僧の父親である頭領が誰かと話し込んでいた。頭領は小僧の顔を見るなり、憎悪の眼差しを向ける。 「戻ったか穀潰し。部屋にお前の部隊の鬼祓いの一覧を置いた紙を置いてある。目を通してから夕刻に任務に向かえ」 「仰せの通りに。それでは私はこれで」  親子の会話とは思えない氷のようなやり取りをすると小僧は頭領の横を横切る。その時すら、頭領は小僧に殺意を向けていた。 部屋に戻るなり、小僧は文机に置いてある紙を広げた。 「いつも通りか……いや、うわ……」  小僧は桔梗の薬湯を飲んだときのような顔をすると、紙を置く。 「何と書かれていたのですか?」  小僧の呪符を風呂敷から取り出しながら問うと小僧は口を開く。 「夜萩は別に良いとして……健吾が………」  あの顔だけは良いの阿呆か。あの件のせいで大嫌いとなった男だ。健吾が小僧を毛嫌いしていたが、小僧も表情から察するに苦手なようだ。 「使い物にならぬ男が2名ですか。もうあの男は捨て置きましょう」 「いや、そうしたら此方も責任を取らされかねない。そして……どうかそれだけは止めてくれ」  小僧は私の袖を掴むと、真っ直ぐに私を見上げて口と目でそう訴えてきた。 「………分かりましたよ。ですが私が最優先するのは貴方だ。それだけは忘れないでくださいね」  向こうは動けないお前を傷つけようとしただろうが。それに私を傷つけ侮辱した相手だ。見捨ててしまいたくてたまらないが、そんなことをすると面倒なことになりそうなので、渋々了承する。小僧はほっと息を吐くと、今夜の仕事に向けての準備を始める。小刀に戦闘装束、そして呪符。小僧が片腕で不器用にも支度をしているのを見ているとじれったくなり、手伝い始める。 「影縄って几帳面だよな。所作などを何処かで教わったのか?」 「強いて言えば……遠い昔に育ての親から躾られただけです」  昔のことを思い出すと胸が痛くなる。無意識の内に顔にそれが出ていたのか、気がつくと小僧が此方をじっと見ていた。 「何ですか。私の顔がおかしいとでも?」 「いや。痛そうな顔をしていたから……。すまん、嫌なことを聞いて」  お前がそれを言うか。私は思わず口から出そうになった言葉を飲み込んだ。 「別に気にしておりません。さっさと支度を終えてしまいましょう。少しでも休憩が取れるようにしませんと。貴方は本調子ではありませんから」  私は小僧の目を無視して、作業を続ける。その内に胸の痛みは何処かへと消えていった。  支度を終えて休憩を取ると夕方になり、小僧は一旦夕餉を摂りに行ったが、すぐに戻ってきた。 「早すぎませんか?」  小僧は苦虫を噛んだような顔をすると、目を伏せた。 「ああ……利き腕が使えないから反対の手で箸を使ったがな……。上手く食べ物を掴めなくて、もう食べるなと食事抜きにされた」  小僧の利き腕を折るように指示したのは、あの頭領であったことを思い出すと、苦い何かが込み上げる。 「…………私が言えたことではございませぬが、貴方達の親子関係は八寒地獄か何かですか?」 「まあそう思うよな。もう慣れたことだから気にするな。それに兵糧丸があるから大丈夫だ」  小僧はそう言うと、持って帰った風呂敷の中から紙包みを取り出す。そして何やら土色の丸薬のような何かをこちらに見せた。酷い。伊賀の者が食べてたらしいが、確か仕事の合間に食べる物だろう。小僧の様子からすると、これがいつもの食事だと言わんばかりのようだ。恐らく似たようなことでよく食事抜きにされたのだろう。だが育ち盛りの少年がそんな物で満足するのか。 「そんなんだから貴方は痩せすぎなんですよ。見たところ賃金だけはまともに貰っているのでしょう? それで食べ物を買いなさいな」 「確かに賃金だけは貰っているが、念のために貯めているんだ。それにお腹は空いていないし、仕事の後に食べられる草を摘むから大丈夫だよ」  念のためとはこの事ではないか。影縄は舌打ちをしたくなった。そしてやせ我慢にも程がある。桔梗の飯を食べていた時は、本当に幸せという雰囲気を出していただろうが。飯ぐらいしっかり食べないと、回復が遅くなるだろう。それに精がつけておかねば満足に闘えぬであろうが。  怒りを小僧にぶつけようとした時、とたとたと走り去る音が聞こえた。何なのだろうと外に出てみると、走り去る子供の背中が見える。そして縁側の下に、竹皮で包まれた物が置いてあった。開いてみると、握り飯が二個ある。 「主、これが置いてありました」  握り飯を見た途端、信じられないと言うように凝視する。影縄は秋也がごくりと生唾を飲み込んで動く喉をしっかり見た。 「食べていいのか………?」 「さあどうでしょう。食べても良いから置かれたのでは? 一応毒見してみますね」  人の毒など私には多少舌が痺れる程度で効かぬ。握り飯を少し崩して食べてみるが、至って普通の握り飯。毒は無いようだ。 「口を開いて食べてください」 「握り飯だろ? それぐらい自分で……」  上手く自分だけで手を洗えないくせによく言う小僧だ。洗う手間を考えれば、私が食べさせた方が早いだろうが。私はずいと小僧の口許に握り飯を近づけた。 「いいから口を開けて」  小僧はまだ羞恥を捨てられないのか、頬を少し赤く染めながらも口を開いた。私は小僧に握り飯を食わせながら、次回の飯は私が調達すべきかと考えていた。

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