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1 二月十四日、土曜日

「こんど、さ……一緒にどこか遊びに行かない?」  二月が始まって、バレンタインで周りが浮き足立ってきていた頃。有栖川(ありすがわ)幸人(ゆきと)は大学の同じゼミである東堂(とうどう)輝彦(てるひこ)から、そう誘われた。  幸人は大いに戸惑った。なぜなら輝彦は見た目が派手で、交友関係も同じような雰囲気の、派手な学生とつるんでいた記憶があったからだ。そんなひとがどうして平々凡々な自分と? と不思議に思う。  普通なら、それでも嫌じゃなければ誘いに乗るだろう。けれど幸人は「どうして」と思うばかりだった。  どうして東堂が、自分に好意を向けているのだろう、と。  幸人にはある能力がある。それは【赤い糸】が目に見えるというもの。恋をしたいひとは、みな小指には赤い糸があり、その糸は意志を持ったように動く。その動きで誰が誰を好きなのか分かり、カップルが成立する時には互いの糸が絡まって結ばれるのだ。  要は人の好意が赤い糸で見ることができるということ。この特殊能力が直接役に立ったことはない。幸人は見えるだけで何もできず、糸は触れないのだ。  そんな糸が今、輝彦の方から幸人の方へと漂ってきている。しかも彼の糸は普通とは違う動きをして、幸人の腕にグルグルと巻きついてきたのだ。  驚いた幸人は慌てて、質問されていた内容を忘れてしまう。 「ごめん、何だって?」 「今度、一緒にどこかに行かないかって」 「ああうん、もちろんいいよ……」  この短い会話の間にも、幸人の腕は輝彦の赤い糸でグルグル巻きにされていた。けれど当の本人は爽やかに微笑んでいるだけ。彼の笑顔からは、赤い糸から感じる気持ちの大きさと独占欲は、微塵も感じられない。  幸人はそのギャップに戸惑いつつも、せっかく誘ってくれたんだから、と遊ぶ約束をしたのだ。  それから日にちと待ち合わせ場所、時間を決めて連絡先を交換する。その間も輝彦の糸はブンブンと先っぽを振って落ち着かなかった。──本人は爽やかな笑顔を見せているのにも関わらず、だ。  その笑顔のまま、じゃあまた、と去っていく輝彦を見送って、幸人は深いため息をついた。  まさか学内でもイケメンで有名人になりつつある、あの東堂がどうして自分を? と幸人は戸惑う。けれど、そういえば最近ちょいちょい話しかけられるな、と思ったのだ。一体いつ頃から、彼は自分のところへ来るようになったのだろう、と考えてみる。  思い当たったのは去年の冬。特にクリスマス前、輝彦は複数の女子学生に想いを寄せられていた。あれだけの人数に好かれるなんてすごいな、なんて幸人は素直に思っていた。恋人はおろか、友達もいない自分とは大違いだ、と完全に他人事として彼を見ていたのだ。そしてきっと彼も、クリスマスにはあの中の誰かと結ばれるのだろう、と。幸せそうでいいな、と妄想していた。  すると輝彦に話しかけられたのだ。「何ニヤニヤしてんの?」と。  もちろん、幸人は糸のことを話すつもりはなかったので誤魔化した。人が幸せそうにしてると、こっちまで幸せになるね、と言ったら、輝彦は変な顔をしたあと、笑ったのだ。 「誰かが笑ってるってことは、誰かが泣いてるんだよ」 「……そうかもね。でも、その泣いたひとも、ずっと泣いてる訳じゃないでしょ」  ──と、そんな会話をした覚えがある。そしてそれから、いつの間にか輝彦がフラッとひとりで幸人のところへ来て、何気ない会話をするようになっていったのだ。話すようになったきっかけはこれだと思うけれど、と幸人はまた大きなため息をつく。  そしてもう一度思う。分からない。どうして東堂が、自分に好意を向けているのだろう、と。 ◇◇ 「あ、有栖川! こっちこっち!」  二月十四日。幸人は雑踏の中、駅前のアーケードで手を振る待ち合わせ相手を見つけて、笑顔を見せる。  幸人はどこにでもいる大学生。軽く茶髪に染めてはいるけれど、これといって特徴はない。強いていえば、左目尻にある小さなホクロか、清潔感だけは気にしているので悪印象は与えないところだろうか。  この特徴は幸人本人の評価だが、さらに幼なじみの末石(すえいし)祥孝(よしたか)いわく、見た目通り大人しい、らしい。要は、誰から見ても平凡な幸人なのだ。  でも今日は、その祥孝との待ち合わせではない。幸人自身もどうしてこうなったのだろうと思う。しかも今日は二月十四日、タイミングよく週末になり、アーケードには若いカップルや女の子が多いというのに。  どうしてこうなったのだろう。笑顔の輝彦を見上げて謝りながら、幸人は何度でも思う。 「ごめん、待たせたな」 「いや、電車の遅延ならしょうがないよ」  壁にもたれて待っていたのは輝彦だ。名は体を表すとはこのことだな、と幸人は彼を見てそう思う。  綺麗な金髪は艶がよく、カラコンをしているのか虹彩は薄い色だ。その目はくっきりとしたアーモンド型をしていて、長いまつ毛がふちどっている。白い肌はサラサラで、冬の乾燥とも無縁そうだ。そのほか体型に至っても、百八十を超えているだろう長身と長い手足は、どこかのモデルと言っても違和感がない程。そのキラキラした派手な外見で、いつも大勢の女性に囲まれているのを、幸人は何度も見たことがある。  そんな輝彦とは、外見に関しては何もかもが平均の自分と、どう見ても釣り合わない。これが幸人の正直な感想だ。  すると、幸人の手首に赤い糸が近付いてきた。しかし視線を向ける訳にもいかず、行こうか、と輝彦を促す。  隣に並んで歩き出すと、赤い糸は幸人の手首に巻きついた。うっ、と思ったけれど、これは幸人だけしか見えていないので、声を上げては不審がられる。  幸人の能力は、互いの小指にある赤い糸が、結ばれる瞬間を見ることができるだけ。この能力は、幼なじみの祥孝とケンカして以降、他人には秘密にしていた。  結び方は人それぞれ。しかし輝彦の幸人に対する執着、独占欲は初めて見る程だった。まるで意志を持ったように動く赤い糸は、そのひとの気持ちを表しているんだ、と気付いたのは中学生くらいの時だったか。  そんなことを考えている間にも、赤い糸はグルグルと幸人の手首に巻きついている。今日はいつも以上に束縛気味だ。……物理的に。  大体、普通は結ばれる前にこんなに絡まってこない。好きな人に向かって引っ張られるように漂っているだけなのだ。  でも、幸人は輝彦の想いを知らないフリをするしかない。  だって幸人は、輝彦から想いを告白されていないのだから。  何度も言うが今日は二月十四日。約束をしたあと話す機会があって、他の子と用事はないのかと尋ねてみた。しかし輝彦は「何かあるっけ?」みたいな顔をした。そしてスケジュール帳をスマホで見た彼は、「ああ」と納得したように笑ったのだ。 『俺は何もないよ。有栖川は用事ある?』 『いや……』 『じゃ、予定通りに』  そう言ってニカッと笑った輝彦。顔は爽やかだったが、その時も輝彦の糸は幸人の腕をぐるぐる巻きにしていた。そのギャップにまた驚いてしまったのだ。  二人はアーケードを通り抜け、そのまま近くにある大型ショッピングモールへと向かう。他の人には見えないとはいえ、輝彦から出た糸が、自分の腕をぐるぐる巻きにしているのは居心地が悪い。幸人は糸が巻かれた腕をそっと撫で、大丈夫だ、と言い聞かせる。見えはするけど触れはしないので、諦めた幸人は意識を別の場所へ持っていった。  最初に輝彦からの気持ちに気付いた時はビックリしたけれど、本人は隠しているつもりらしいので何も言えない。今日、もしかしたら告白されるのかな、と思う。バレンタインだし。 (帰りまでに返事を考えておかないとな……)  そう考えて、「いや考えすぎか?」とまた考え直す。でも、輝彦から告白されてもいないのに、「俺のこと好きだろう」とは聞けない。結局、輝彦の出方を見るしかないか、というところに落ち着き、二人はショッピングモールへと入っていった。

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