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6 呼び出し
「ただいまー」
祥孝の家から帰ってきた幸人は、リビングから漏れ聞こえる声に、「またか」とため息をつく。
靴を脱いで声がする方へ向かうと、女性の金切り声が次第に明瞭に聞こえてきた。幸人の母の声だ。
「あなたってひとは……!」
「ごめんってば。今度から気を付けるから……」
「それ言うの何回目!?」
どうやら父が何かやらかしたようだ。いつものことだな、と幸人は気にせずリビングに入っていく。リビングには母親の好みらしく、シンプルながらもかわいらしい雰囲気で、家族写真やオーナメントが飾られている。
「ただいま。母さん外まで声聞こえるよ?」
幸人の声にハッとした母親は、気まずそうに声を落として、ソファーに座った父を見下ろした。
「ポケットにティッシュ入れたの忘れちゃうなら、ポケット以外に入れて持っていってよ」
「そうする。ごめんな? このティッシュまみれの服は僕が綺麗にするから」
そう言って、床に置かれたティッシュが付いた服を、父が持ち上げようとした。けれど母はそれを止める。
「柔軟剤入れてもう一度洗えば取れるから。……怒鳴ってごめんなさい」
「いや、悪いのは僕だよ」
早々に怒りを収めた母は、父と仲良く服を持って脱衣所に向かった。マメそうに見えて実は雑な性格の父に、母が怒るのは毎度のことだ。けれど母は父の優しさに惹かれており、父もまた、しっかりした母を尊敬している。幸人がそう思うのは、二人の糸がしっかりと結ばれているからだ。
(何だっけ……結び切り?)
幸人はご祝儀袋に使われる水引を思い浮かべた。仲がいいカップルは、解けない結び方で結ばれているからすぐに分かる。お互い信頼している両親みたいな関係が、幸人の理想だ。いつか自分も彼らのように、とは思うけれど、まだ幸人は恋愛の「れ」の字も知らない。
しかし逆に、蝶結びは要注意だ。すぐに解ける結び方は浮気や不倫……不誠実な恋愛を意味している。
幸人の糸は恋愛がしたいのか、あちこちに向かって漂っていた。自分意志とは関係なく漂う糸に、何となくもう一人の自分を感じて、愛着が湧く。
とりあえず、静かになったなと思った幸人は、手を洗って自室に向かった。二階の洋室の一つが、幸人の部屋だ。部屋の中はシンプルで、小学生の時から使っている勉強机と、同じ時期に買ってもらった本棚と、ベッドがあるだけだ。
するとポケットでスマホが鳴った。
【昨日はありがとう。また明日大学で】
確認すると輝彦からのメッセージだった。律儀だなと笑うと、「こちらこそありがとう」と打って返信をする。
すると、間を置かずに電話がかかってきた。幸人は慌ててカバンを置いて、着信に応答する。
「もしもし?」
『あ、幸人。今大丈夫?』
「うん」
昨日から呼び始めた名前呼びが、なぜだかくすぐったくて、幸人は笑う。すると電話口で輝彦は「うっ」と呻いた。
「どうした?」
『……いや、暇だからさ、幸人どうしてるかなーって』
「どうって……特に。今日は連れの家に行ってたくらいで……」
『連れ? 連れって誰?』
幸人には祥孝くらいしか、仲がいいと呼べる友人はいない。休日に友達と電話をするなんてことは、したことがないのだ。だから何だか新鮮な気持ちになる。
「幼なじみ。家が近所なんだ」
『男?』
「男だよ。俺が女の子とつるむように見える?」
『あー……』
納得したような輝彦の声に幸人はまた笑う。
『でも幸人は、みんなに優しいからモテそう』
「俺が? ないない」
そもそも友達がいないから、モテとは無縁な幸人だ。それでも幸人は困っていないからいいのだが。両親のようなカップルに憧れはしても、自然に出逢って付き合えたらいいな、と幸人の中ではその程度の願望だ。
『……幸人、これから暇? メシ一緒に食わない?』
少しトーンが落ちた輝彦に、どうしたのだろうと思いながら幸人は返事をする。
「いいけど……あ、待って。俺実家暮らしだから、夕飯要らないって言わなきゃ」
幸人は部屋を出て、通話したままリビングに向かった。二人でソファーに座ってテレビを見ていた両親に声を掛ける。
「ごめん母さん、夕飯友達と食べに行く」
「え? 祥孝くんとお昼も食べたのに、また出掛けるの?」
さすが母親、幸人が友達と言えば祥孝くらいしかいないのを把握していた。幸人は笑って首を振る。
「いや、別の友達。もう夕飯用意してたらごめん」
「え? 祥孝くん以外のお友達!? あなた、ついに幸人に新しい友達が……!」
案の定騒ぎ出した母親。隣にいた父親の肩を揺らした母を無視し、幸人はまた部屋に戻る。輝彦はクスクスと笑っていた。
『仲がいいんだな』
「そう? 普通だと思うけど」
そう言いながら、幸人は置いたカバンをまた肩に掛ける。
「今から出るよ。どこで待ち合わせる?」
『じゃあ昨日と同じ駅で。気を付けて来いよ』
「りょーかい」
そう言いながら通話を切ると、部屋を出て玄関へと向かった。母親が目を輝かせて見送ろうとしていたので、「要らないから」とリビングに追いやってから家を出る。
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