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第54話 番外編3 犬も食わない話1
重たい雲がどんよりと空を覆う。今にも降り出しそうな天気なのに、それを窓から眺める幸人の心は晴れていた。
六月中旬。幸人と輝彦は仕事が休みである土日を利用して、新居へ引っ越した。
社会的基盤ができてから、という約束通り、二人は社会人になるまで待ち、ついに同棲までこぎ着けたのだ。幸人は今までのことを思い返し、やっとここまで来れたんだな、と微笑む。
二人は新年度から、それぞれ希望する会社に入社した。それと同時に引越し準備や、パートナーシップ制度の利用に関わる準備や申請と慌ただしい日が続いたが、これで一応ひと段落だ。
幸人はリビングを見渡す。
間取りは二人で住むには丁度いい2LDK。保証人は幸人の父親がなってくれた。同性カップルでも快く受け入れてくれるマンションは、幸人の母親のツテで何とか見つかった。
これで、周りにも認めてもらえる関係になれた。そしてここへは、土曜日の昨日に入居し、日曜日の今日は片付けなのだが……。
続いて幸人は輝彦を見る。
彼は、ダンボールが積まれたリビングでうろつきながら、電話の相手と話していた。
輝彦は営業部配属で、今までの土日も仕事関係の電話が入ることがしばしばあった。今日くらい荷解きを優先してもいいだろ、と思うけれど、新人のうちは断れない仕事もあるのだとか。……すでに社畜の鑑になりそうな勢いだ。
「……ええ。……あー……いや、俺はもう表舞台は懲り懲りなんで……」
またか、と幸人はため息をつく。映画好きの輝彦は広告制作会社に就職したが、そのルックスと愛想のよさで、業界の色んな人から声を掛けられているようだ。営業部配属も多分顔だろう、と彼は苦笑していた。本人が言うのもどうかと思ったけれど、否定できないところが悲しい。
(頑張れ……)
元々輝彦はモデルをやっていたこともあって、全くの素人ではないことも、誘われる要因になっているようだ。本気で困っているのか、腕に巻きついた輝彦の糸が、先っぽで幸人の手の甲をひっきりなしに撫でている。
ツテも大きい武器になる広告業界。顔が利く人に睨まれたら何が起こるか分からない。無下に断れないのも分かるから、幸人はひっそりと応援する。
「よし、輝彦が電話してる間に、少しでも片付け進めておこうかな……」
そう言って、荷解きを再開した。まずは、すぐに使う食器類や日用品、衣類などの整理の続きだ。箱には入っているものが書いてあるので、それを頼りに開けていく。
すると、『いろいろ』と書かれた箱が出てきた。ほかの箱には中身がしっかり書いてあるのに、これだけ曖昧なのが気になる。しかも自分の字ではなく、輝彦の文字。顔に似合わず、彼は悪筆だ。
昨日のうちに、しまう場所と物は一致するように箱も置いてある。箱の大きさも小物を入れるような小さな箱だ。なので幸人は、リビングに収納するものだと思い込んで、その箱を開けてしまった。
「……っ!」
開けたダンボールから見えたのは、紫のチューブ容器と0.01と書いてある白い箱だった。幸人は反射的に箱を閉じ、見なかったことにする。
(どうしてこの箱がリビングにあるんだ!?)
収納するなら寝室じゃないのか、と顔が熱くなった。中身の用途的に、リビングにあっては……いろいろと困る。だから輝彦は「いろいろ」と書いたのだろう。手伝うと言った両親を、断ってよかったと心底思った。
「もう……」
熱い顔を手で仰ぎつつ、不意に起きることはいつまで経っても慣れないな、と思う。輝彦をはじめ、朱里と七海のおかげで人に慣れ、会社ではそれなりに雑談するような同僚もできた。連絡先を交換した同期もいるし、もう少し、狼狽えることなく流せたらな、とため息をつく。
よし、と気持ちを切り替え「いろいろ」が入っている箱を、寝室に持っていこうとする。すると輝彦に声を掛けられた。いつの間にか通話は終わったらしい。
「輝彦、何でこの箱がこっちにあるんだよ……」
「何? 幸人、そんなの持って……もしかして、したいの?」
恨めしく思って輝彦をジト目で見ると、輝彦は気にした風もなくニコニコしている。確信犯だな、と思っていると、後ろから彼が抱きついてきた。
「したいのは俺じゃなくて……輝彦だろ?」
「ふふ、バレた?」
うなじにキスをされ肩を竦めると、そこに舌を這わされる。思いがけず甘い声が出てしまい、後ろのパートナーを睨んだ。
「ちょっと、……片付けは?」
「……ごめん。やっと二人で生活できると思ったら」
そう言われて、輝彦も同じ気持ちだったと知り、胸が温かくなる。もちろん、学生の時とは違って、今後は「お付き合い」ではなく「生活」をしていくのだ、イチャイチャしてばかりはいられない。
「輝彦……」
幸人は振り返ると、正面から彼に抱きつく。温かい体温に酷く安心し、はあ、とため息が漏れた。
「俺も嬉しいよ。ここまで来るのが待ち遠しかった」
でも、と呟いた唇は、輝彦の唇で塞がれる。
(……ああもう)
やっぱりこうなるのか、と思うのと同時に、自分の堪え性のなさにも、内心苦笑した。
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