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覚悟-1-A-
見慣れない部屋。
窓はなく──正確には、窓のあるだろう方角が不自然に壁になっているから、窓の内側に壁を新しく作ったのかもしれない──外を見ることは出来ないし、扉は外側から鍵がかけられていて中から開けることは出来ない。
部屋の中にはベッド、トイレ、バスルームと一通りそろってはいるが、この状態は「監禁」と言えるのではないだろうか。
アルノシトはベッドに座って天井を見上げながら息を吐き出した。
いつものように配達に行った帰り道。今日の夕飯をどうしようか、なんて考えていたところで後ろから頭に袋を被せられた。
抵抗する間もなく、殴られ気を失った後のことは分からない。気づけばこの部屋のベッドに寝かされていた。
財布その他、所持品は綺麗になくなっている。物取りかと思ったが、ならばこんな部屋に閉じ込めるような真似はしないだろう。
外の物音も聞こえない。どんどん、と足元の床を蹴ってみたが、何か反響するような音もない。
──誘拐、されたのかな。
状況から判断して大きく息を吐き出した。しがない雑貨店にお金なんてない────いや。そうか。
一つ思い当たって眼を閉じる。
自分にとっての大事な人──恋人と呼べる人。ベーレンドルフの名を持つ彼であれば、脅迫なり恐喝なりの対象になるだろう。
だとすると、自分がここに連れて来られたのは──
がんがんがん。
乱暴に扉が叩かれて顔を上げた。扉が開くと同時、見えたのは銃口。続けて目出し帽をかぶった男が数人。
部屋に入ってくると、アルノシトに目隠しをした後、袋をかぶせ、腕を拘束してから無理矢理立たせる。ずっと銃口を突きつけられていて、うっかりで撃ち抜かれたら嫌だな、なんて妙に冷静に考えてしまう。
「来い」
袋を被せられた上に相手の口が覆われているからか少し聴き取りづらい。返事をする前に小突かれて、無理矢理歩かされるが、見えないから、転びそうになる。
と、両脇を抱え上げられた。半ば引きずられるようにして歩かされていく。足を止めた後、扉の開く音。
部屋の中に押し込まれてから漸く袋が外された。ふぅ、と深呼吸。目隠しはされているから、部屋の様子はうかがえないが、自分を連れて来た連中以外にも人がいるようだ。
無言のまま引っ張られる。ここに立て、と言いたいのだろうが、何故言葉で──
【──アルノシト】
少し曇った声。多分、無線を通した声。映像と音声を送信する装置なんて高価な代物を誘拐犯が用意出来るものなんだろうか。
目隠しされているせいか、銃口を突きつけられている状況だというのに相変わらず落ち着いている。
ごん、とやや強めに背中を叩かれてよろける。話せ、ということなんだろうか。
「……殴らなくても。口で言ってくれたらいいのに」
思わず呟く。もう一度小突かれたが、誰かが間に割って入ったのか、今度は腕を引っ張られて体の向きを変えられる。
この方向に向かって話せ、ということか。
「……えっと。ルートヴィヒさん」
返事はないが、聞こえているだろうという想定で言葉を続ける。
「ごめんなさい。俺……」
言葉を切った。周囲に居る連中の目的は分からない。が──何を要求するのであれ、自分と引き換えに何かを要求するつもりだろうことは分かる。
彼らが期待しているのは、恐怖に震えてルートヴィヒに懇願すること──なんだろうな、とは思う。が──
「ここで。泣いてお願いする方がきっとルートヴィヒさんも楽なんだと思う……けど……」
笑ったつもりだが、目隠しされていて表情が伝わっただろうか。
「これで最期になるかも知れないから。綺麗な顔でいたいです。だから──」
ルートヴィヒさんも。俺の好きなルートヴィヒさんでいてください。
言い終わると同時に後ろから肩の辺りを殴られた。方向が分からない上に腕も拘束されているから防御も身構えることも出来ず、そのまま床に倒れ込む。どたばたと周囲が騒がしい。怒号めいた声も聞こえるが、殴られた痛みと転んだ際の痛みとで少しばかり遠くに聞こえる。
来た時と同じように。袋を被せられて、両脇を抱え上げられて引きずられる。骨が折れたりはしていないだろうが、とにかく痛い。
元の部屋に放り込まれる。拘束を解かれ、袋と目隠しも外された。部屋を出ていく背中を見送った後、立ち上がろうとして肩の痛みに顔をしかめる。
「いたた……」
折れてない──と思いたいが、寝転ぶのを躊躇う痛み。転んだ時に打った膝も痛いが殴られた場所よりはましだ。
拘束されていた手首にも薄く痕が残っている。まぁ撃たれなかっただけ良かったと思おう。
何もない部屋。頼りない灯りが揺れる天井を見上げる。
「……どうせなら、顔……見たかったな」
あれが最期になるのは嫌だ。
殺されるかもしれない状況だというのに、間の抜けた事を考えているかも知れない。自分がどうなるかよりもルートヴィヒがどうしているのかが気になってしまう。
体は痛いし、見知らぬ部屋に押し込められて、いつ何をされるか分からない状況だというのに、いまいち実感が持てていない。誘拐されるなんて、自分の身に起こると思ってもいなかったからだろうか。
とりあえず。身代金が目的なら、今すぐ殺される、ということはない──と思いたい。
痛む背中を気遣いながら、ベッドにうつ伏せた。
「じいちゃん……ごめんね」
ふと浮かんだ祖父の顔と愛犬。祖父は息子夫婦──アルノシトの両親を既に亡くしている。祖母にも先立たれて、身内と呼べるのは自分だけだ。
こんな形で別れることになるかもしれないなら、もう少し祖父孝行しておけばよかった。
じわりと涙が滲む。ルートヴィヒの事では泣くことなんて思いもしなかったのに。
ルートヴィヒはもし、自分がいなくなっても、生きていける人だから──彼なら。祖父や愛犬のことも、きっと。
そう思うと不思議と笑みが浮かんだ。痛みも少し和らいだ気がする。どれくらいの時間、ここにいることになるのかは分からないが、無駄に騒いで体力を消耗することは得策ではないだろう。
自分は死にたい訳ではないのだ。出来るだけ生きてここを出ることを考えよう。そのためにも、どうにかして時間がわかるようになりたい。
あとは食事──最悪、バスルームで水だけでも飲もう。
そんなことを考えながら眼を閉じた。
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