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日付が変わった後で-3-D-
出来るだけ物音を立てぬようにと求め合った後、眠ったのは空が明るくなり始めた頃。
狭いバスルームでシャワーを浴びて、また狭いベッドの上に戻った。妙な可笑しさに表情を緩めたまま眠りについた──ような記憶がある。
無理矢理に二人で寝転んだシーツの足元、重さを感じてゆっくりと眼を開く。
「……ジーク?」
目に入ったのは愛犬の鼻先。隣で眠っているルートヴィヒを踏まぬよう、器用に鼻先を押し付けてくる愛犬を見て、眼を瞬かせた。
「おはよ……散歩、いかなきゃ」
ぱたぱたと揺れる尻尾。一度頭を撫でてから体を起こす。同時に愛犬は床へと降りて、一足先に階下へと。
「……どうした?」
続けて起き上がろうとしたアルノシトの隣。僅かに眉間に皺を寄せたルートヴィヒの声と表情にアルノシトは軽く笑った。
「おはようございます。まだ眠っていて大丈夫ですよ……ジークの散歩に行ってきます」
返事を聞く間にルートヴィヒも体を起こした。そうすることが当たり前のようにアルノシトの頬へと口付けた後、髪を撫でる。
「……あぁ──」
合点がいった、と何度か頷いた後、静かにベッドから立ち上がる。
「私が行こう」
「え?!大丈夫ですよ、ルートヴィヒさんは……」
休んで、と続けるはずの言葉。一瞬だけとはいえ、口づけられて声が飲み込まれる。ふ、と表情を緩めたルートヴィヒは何度かキスを落とした後、愛し気にアルノシトの髪を撫でる。
「私より──君の方が」
言葉に詰まる。頬が熱くなるのを感じて、アルノシトは視線を逸らした。目を伏せたアルノシトを気にする様子なく、ルートヴィヒはもう一度口付けてから下へと降りていく。
わんわん、と愛犬の声と何かを話しているルートヴィヒの声と。少しの間の後、扉の開閉音が聞こえて静かになった。
一人になったベッドの上。アルノシトはふ、と欠伸を漏らした後、広くなったシーツの上で丸くなる。
「……」
先程まで一緒に眠っていたルートヴィヒの残り香。行為そのものは、特別なものではなかったけれど。
声を殺して求め合う行為は何とも言えない背徳感を感じて、いつも以上に求めてしまった気がする。その分──
「ん……」
体がだるい。久し振りの行為というのもあっただろうが──自分だけが欲しがったわけではないと思いたい。
シーツに顔を摺り寄せる。ルートヴィヒの残り香とシーツの温もりにいつのまにか眠りに落ちてしまっていた。
◇◇◇◇◇◇◇
次にアルノシトが目を覚ましたのは、ルートヴィヒがベッドの脇に腰を下ろした振動。揺れたベッドにゆっくりと目を開いたら、自分を見ているルートヴィヒと目が合った。
「…………ぁ」
愛しげに髪を撫でる指の心地良さ。すり、と自分から顔を摺り寄せると
「おはよう」
と優しい声が静かに響いた。そのまま甘えるように太腿へと頭を乗せて眼を閉じる。
「……おはようございます……」
おはよう、とは程遠い。一度離れた指が再び髪を撫でる心地良さに大きく息を吐き出した。
「朝食を用意しようと思ったが──もう少し後の方がいいかな」
穏やかな声に頷く。が、すぐに眼を開いてルートヴィヒを見上げる。
「あ、でも……ルートヴィヒさん、予定は──」
「……昼には戻る」
昨晩から今日にかけての時間の捻出も大変だったのではないだろうか。そう思うと、こうしてごろごろ甘えていることが申し訳なくなって、アルノシトは体を起こす。
「なら、ご飯……一緒に食べたいです」
本当の本音は、一日ベッドで一緒にごろごろと過ごしたい。
が、それを言ってもどうしようもないことだとは理解しているから言いたくない。口に出すなら、一緒に出来る事がいい。
「そうしよう。あぁ、キッチンを借りても?」
手を引かれて立ち上がる。質問に眼を丸くしながら、キッチンへと。
「大丈夫、です、けど……」
冷蔵庫には何があったか。大した食材はなかった気がするがそれ以上に──
ルートヴィヒは料理が出来るのだろうか。
疑問がそのまま顔に出てしまっていたのだろう。アルノシトを見るルートヴィヒの目は笑っている。絡めたままの指を軽く握った後、首を傾げた。
「難しい物は作れないが。ソーセージを焼くくらいなら」
「……じゃぁ楽しみにしてます」
指を離した。食材の場所や調理器具の場所を説明した後は、作業に入るルートヴィヒを横にポットを火にかけてお茶の用意。
買い置きしていたパンをテーブルへ。
そうしてあれこれしているうちに、テーブルに皿が置かれた。用意していた紅茶をいれてから、アルノシトも席に着く。
「頂きます」
二人で手を合わせた。皿の上には焼いたソーセージと缶詰の豆とマッシュルーム。いつも食べているものだが、ルートヴィヒが用意してくれたと思うだけで美味しく感じるのは、惚気だろうか。
「おいしい」
無意識に呟いた。ルートヴィヒがこちらを見る。
「良かった」
短い言葉。視線が合うと表情が緩む。特に会話らしいこともしないままで食べ進めるが、気まずくはない。むしろ心地良さに表情が緩んでしまう。
「アルノシト」
食事を終えた後。使った食器を片付けた後。改めて名前を呼ばれて動きを止める。
「そろそろ戻らないと」
伸びてきた指が頬を撫でる。名残惜しげに触れる指先と視線にアルノシトは笑みを浮かべた。
「……来てくれて有難う御座いました……本当に、嬉しかった、です」
何か言おうと動くルートヴィヒの唇からは結局何も発せられなかった。そっと両手で頬を包んだ後、触れ合わせるだけのキス。
離れがたくて思わずルートヴィヒの胸の辺りへと手を寄せると、角度を変えて何度か啄まれる。静かに眼を閉じて受け入れていると、ゆっくりと顔が離れていく気配。
「では──」
また。頬から指が離れる。せめて見送ろうと階段を降りると、自分の寝床で伏せていた愛犬が顔を上げた。
二人の姿を認識すると尻尾を振りながら立ち上がる。間に割って入るようにしながら、足元に体を摺り寄せられると自然と笑みが浮かんだ。
「ほら、ジークもちゃんとご挨拶して」
店の入り口。一人で歩かせて大丈夫だろうか、と思案する間もなく、見知った顔がそこに立っていた。
黙ったままひらりと手を振るのは、ルートヴィヒの幼馴染でもありボディーガードでもある人物。彼は店には近付かず、ただ手を振っただけでルートヴィヒと並んで歩き去ってしまった。
いつから待っていたのか気づかなかったが、せめて声をかけてくれたらお茶くらい──いや、多分。だから黙って外で待っていたのではないだろうか。
「……ジーク」
並んで見送った後。ぱたぱたと尻尾を振ったままの愛犬に声をかけると首を傾げて自分を見つめている。その場にしゃがんで愛犬を抱きしめると、伝わってくる温もりに眼を閉じた。
「大丈夫だよ……お前は優しいね」
大人しく抱きしめられた愛犬が鼻を押し付けてくるのに顔を上げる。耳を下げている頭を何度か撫でた後、静かに立ち上がった。
「……お店の整理でもしよっか」
わん、と元気よく吠える声に笑みを浮かべた後、「いつもの作業」にとりかかった。
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