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56 冬磨の好みは吹雪の子?

 寝る準備をするため一緒に洗面所に行った。  冬磨が鏡の横の扉を開くと、そこには以前泊まったときに俺が使った歯ブラシが、冬磨の歯ブラシの隣に並んでた。  驚いて冬磨を見ると「ここだけ先に恋人だったな?」とふわっと笑うから、また幸せで涙がにじんだ。  前と同じ冬磨の水色パジャマを着てベッドに横になる。  冬磨が腕枕をしてくれて、俺は冬磨の胸に顔をうずめた。本当に夢みたい……幸せ……。 「なぁ天音さ」 「ん、なに?」 「お前の髪、前はずっと真っ黒だったのか?」  美香ちゃんのイメチェン発言から時間もたったし、もう聞かれないかと思っていたらここで聞かれてしまった。  話してしまおうかな……吹雪の子だって……。 「うん、ずっと真っ黒だった」 「もしかして……髪色変えたのって、ビッチの振りするためか?」 「……うん」  気づくかな……吹雪の子って……。   「やっぱりか……」  冬磨はそうつぶやいて、俺の髪を梳くように撫でた。 「天音は黒のイメージだな」 「……そう?」 「うん。今のもいいけど、お前は黒が似合うよ」  吹雪の子とは気づかなかった。そうだよね、気づくわけないか。 「……じゃあ、もう染めない」 「あ、いや天音の好きでいいんだけどさ。ただの俺の好みな」 「冬磨の好みがいいもん」 「……っ……かわい……」  冬磨がまたぎゅうぎゅうと俺を抱きしめる。  これ、本当に可愛い。冬磨可愛い。  冬磨の好みの話になったから……聞いちゃおうかな。冬磨なんて言うかな。 「ねぇ……冬磨の好みってさ」 「うん?」 「吹雪の子?」  俺がそう聞いた瞬間、ぎゅうぎゅうが止まる。  しばらく間が開いてから、冬磨は静かに口を開いた。 「天音、頼むからそれもう忘れろよ。ただお前を選んだきっかけってだけで、だからどうとかなんもねぇから」 「なんもないの?」 「ねぇよ、なんも」 「……そっか」  なんもないという冬磨の言葉。喜べばいいのか悲しめばいいのか……どっちだろう。  ちょっとだけ……寂しいかな……。 「俺ね。去年の仕事納めのあと、初めてバーに行って冬磨を見てね。一目惚れだったんだ」 「一目惚れ……そっか。ありがと……天音」 「ありがとうは俺の台詞だよ」  あのときの冬磨の優しさに、ありがとう。 「つか、そんな前から俺のこと知ってたんだな」 「……うん」  吹雪の子って話したら、どうなるだろう。  冬磨の反応がちょっとだけ怖い。でも、気持ちが変わっちゃうなんてことは……ないよね? 「あのね。カウンターで、たまたま冬磨の隣に座っててね。俺、冬磨に見惚れてお酒こぼしちゃったんだ」 「……酒……?」 「そしたら冬磨がタオルで濡れた足を拭いてくれた」 「…………え……?」  冬磨が俺の顔を覗き込もうとしてるのがわかって、冬磨の胸に押し付けるように顔をうずめる。 「一目惚れだって自覚はあったけど、好きになってもどうにもならないから、早く離れたくてすぐに店を出たんだ。でも、お店にマフラー忘れちゃって――――」 「あ、天音……っ?」  グイッと身体を引き剥がすようにして、冬磨は俺の頭を枕に沈めた。  冬磨がゆらゆらと瞳をゆらして俺を見る。  そんな冬磨を、俺は真っ直ぐに見つめた。   「そしたら、冬磨がマフラーを持って追いかけてきてくれて、俺の首にマフラーを巻いてくれた。ほんとおっちょこちょいだなって、俺に感謝しろよって、笑ってくれた。そのときの冬磨の笑顔に……完全に落ちちゃったんだ」    冬磨は、瞬きも忘れたように目を見張った。 「黙ってて……ごめんなさい」 「あ……天音が……吹雪の子……?」 「……うん」 「…………嘘、だろ……」  冬磨はそうつぶやいたまま、驚愕の表情で俺を見下ろし続けた。  沈黙だけが流れていく。  いよいよたえられなくなって、恐る恐る呼びかけた。 「と……冬磨……」  その声にハッと目を覚ましたように冬磨の表情が動いて、俺を力強く抱きしめた。 「と……とぉ……」  一瞬見せた泣きそうな顔。  どうして……。 「……ずっと……吹雪の子がチラついてたんだ」 「え?」 「ごめん。なんもねぇってのは嘘……。本当は、可愛い天音を見るたびに……あの子がチラついてた。俺は天音が好きなのに……お前だけなのに……それなのに、ずっとあの子がチラついてたんだ」 「ほ……ほんとに?」 「……嫌だった。お前を好きになればなるほど嫌になった。俺には天音だけだから、もう出てくんなって思ってた……」  ぎゅうっと痛いくらいに俺を抱きしめて、喉から絞り出すような声で冬磨が言葉をこぼす。 「こんなの……ほんと奇跡だろ……」  俺を抱きしめる冬磨の身体が震えていた。  そっと背中をさすると、またぎゅっと強く抱きしめてくる。 「すごい……嬉しい。ずっと俺を思い出してくれてたんだね」 「……あんなちょっとしか会ってねぇし、顔もはっきり思い出せねぇのに、ずっと俺の中に吹雪の子がいて……こんなん初めてでマジで怖かった」 「え、怖い?」 「天音が好きだ、って気持ちを否定されてる気がして……もしまた吹雪の子に会ったら、俺どうなるんだろうって……怖かったよ」  ビッチ天音を演じたりしたから俺が二人になって、こんな思いを冬磨にさせちゃったんだ。  ごめんね、冬磨。もっと早く伝えられればよかったけど、それはどうしても無理だった。  ……でも、どうしても嬉しい気持ちが隠せそうにない。  冬磨がずっと本当の俺を忘れずに思い出してくれていた。  俺を見て思い出しては『俺には天音だけだから出てくんな』って……こんなの最高の告白だ。  だって、本当の俺とビッチ天音と吹雪の子と、冬磨の中は、俺で……俺だけでいっぱいだってことだもん。 「ごめんね、冬磨……本当にごめんなさい。吹雪の子も俺だから……もう安心して……?」  かすかに震える冬磨の背中を優しくさすり続けた。 「冬磨……もしかして、抱いてるときもチラついてた?」 「…………チラつくに決まってんだろ。一番チラつく時間だよ」  俺を抱くときの冬磨はいつも笑顔で優しくて、裏でそんなことに悩んでいたなんてなにも気づかなかった。 「じゃあ、これからはもう、チラついて冬磨を悩ませることもないよね」 「……そうだな」  大好きの気持ちを込めて、冬磨をぎゅうっと抱きしめた。  目の前にある冬磨の首筋にちゅぅっと吸い付くようにキスをすると、冬磨がかすかに反応した。 「冬磨……抱いて?」  もう一度、今度は本気で吸い付いて冬磨の首元にキスマークを付ける。 「本当の俺も、ビッチ天音も、吹雪の子も、ちゃんと一つになれるように……俺を抱いてほしい」 「あ、天音……」 「うん」 「俺……いま瀕死状態……」 「ひん……えっ?」  俺に覆い被さる冬磨の身体を、そっと押してベッドに寝かせると、冬磨の目には涙があふれて今にもこぼれそうだった。  

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