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06
その空間では多くの人間が集まり、各々固まって酒を飲み交わしている。
四方から聞こえてくる歓談の声、怒鳴り声、店内の中央で行われる生演奏の音が混ざり合い、この猥雑とした雰囲気が出来上がってるのだろう。
落ち着かない気分のまま、俺は人にぶつからないように避けながらもハルベルの姿を探した。けれどそれらしい姿は見かけない。
それよりも、ハルベルを探して辺りを見渡していると、やたらこちらを見ている人間と目があった。
粘着いた笑みを浮かべ、微笑みかけてくる男たちがなんだか気味悪くてさっと視線を反らす。
「リシェス」
そんなとき、頭の上から落ちてきたアンフェールの声に釣られて顔を上げる。
どうしたんだ、と聞き返すよりも先に、アンフェールにそのまま手を繋がれるのだ。
手のひらを重ねるように、硬くて大きなアンフェールの掌が俺の手を覆う。乾いた指先が絡まり、心臓が小さく跳ねた。
どういうつもりなのかと顔を上げれば、こちらを見下ろしていたアンフェールの視線は逸らされる。
「こうしていた方がいいだろう。……変なのが寄り付かずに済む」
目を逸らされたと思いきや、どうやら辺りを警戒していたようだ。アンフェールの言葉に『そういうことか』と納得すると同時に、なんだか調子が狂わされるようだった。
先程までの粘着いた視線は減ったが、今度は若い女性たちの黄色い声と好奇心に満ちた視線を集めてるような気がしないでもないが。
アンフェールはそれ以上なにも言わなかったし、影できゃーきゃー言われるくらいならまだマシ……なのだろうか?
俺にはたまにアンフェールがよくわからなくなる。
甘い酒と香ばしい料理の匂いが充満した店内。
取り敢えずカウンターで適当に注文だけして、グラス片手に更に店内の奥のテーブル席までハルベルを探しに来た俺たち。
そして、ハルベルの姿は案外あっさりと見つけることができた。
ハルベルは二人がけのテーブル席で誰かと相席をしていた。店内の照明は薄暗く、その人物の姿形まではっきりと見えたわけではない。それでも遠目から見ても細身のハルベルに比べてガタイがいいのが分かった。
――ユーノか。
それは直感だったが、いつの日か校舎裏で見た光景と目の前の光景が確かにダブって見えたのだ。
アンフェールもハルベルに気付いたらしい。
「あそこの席が空いてる。……姿はお互い見えにくいが、会話くらいなら聞こえるかもしれない」
アンフェールの視線の先には確かに丁度いい二人がけのテーブルがあった。俺は頷き返し、なるべくハルベルに気付かれないように空いてたテーブルへと移動する。
この席からではハルベルの背中しか見えないが、逆にハルベルに見つからずに丁度いいかもしれない。
そしてハルベルの肩越し、そのまま相席している男を確認する。そしてすぐに視線を逸した。
――ユーノだ。
いつの日か見たときよりも髪は長いし、荒んだ雰囲気ではあるが、あのとき俺が出会ったユーノは学園に潜入するために整えられたあとだったのかもしれない。
賑やかな雰囲気の店内、二人のテーブルだけは一際浮いていた。笑い声も一切なく、BGMに掻き消されるほどの静かな声でやり取りをしている。
そのせいで、周りの人間もハルベルたちの席には近付かないようにしてるようだ。
ユーノとハルベルはここで出会ったのか。それとも、ハルベルはユーノと会うためにここにきたのか。
聞きたいことはあるのに、深入りできない。
盗み聞きがバレないように、俺は取り敢えず手に持ったままのグラスに口をつける。ずっと抱えてたせいで水滴を纏ったグラスの中、琥珀色の液体に少しだけ口をつけた。
「おい、あまり一気に飲みすぎるなよ」
「ん……っ、ぅ……げほ……っ」
「……言わんこっちゃない」
口の中、果実酒の通った後粘膜が焼けるように熱くなる。鼻腔の奥までも抜けていくアルコールはそのまま脳の髄まで染み込んでいくようだ。途端に目の周りが熱くなり、体の重心が傾きそうになるのをテーブルに手をついて耐えた。
おい、とアンフェールの目が細められる。
「大丈夫だ、これくらい……コクのあるジュースみたいなものだ。いまのは、……けほっ、変な器官に入ってしまっただけで」
アンフェールに初心者向けの一番クセのない酒を頼んでもらったはずだが、これで初心者向けというのならば俺は一生上級者向けの酒には手を出せないな。などと思ってると、伸びてきた手にグラスを取り上げられる。
「……お前にはまだ早かったらしいな」
俺の手からグラスを避難させたアンフェールは小さく呟いた。騒がしい店内なのに、アンフェールの低い声だけがやけに鮮明に頭の中に木霊する。
……心地良い。
「あんたは、呑まないのか」
「呑むつもりだったが、変わった。……酔っ払いを宿まで送り届けなければならないからな」
「……弱いのか?」
「お前程じゃないと自負してるつもりだが、万が一のことがある」
「万が一」
「体調やその場の空気で変わる」
場酔いっていうやつか。
大学で所謂飲みサーに入って毎日のように居酒屋だとかバーだとかに通ってるやつらのことを思い出す。なんかそんな話を教室の片隅で聞いてたのを思い出した。楽しかったら酒を飲んでなくても酒を飲んだみたいになるだとか、ならないだとか。
喉が熱い。乾いていく。酒の代わりにアンフェールが通りすがりの店員からもらった水の入ったグラスを俺に手渡した。ちび、とそれに口をつければ、すぐに粘膜に浸透していくようだ。
水がこんなに美味しいと感じたことも早々なかっただろう。
「……アンフェールは今、楽しいのか?」
ハルベルたちには相変わらず動きはない。
アンフェールはただ俺に巻き込まれたようなものだ。居てくれて助かったとは思うが、部屋で早めに休んで疲れを取った方がアンフェールからしても良かったのではないかと未だに思えて仕方ない。
けれど、アンフェールは相変わらずの仏頂面のまま、静かに目を伏せた。
「そう、なのかもしれないな」
「ふふ、……なんだか他人事だな」
「……そうだな」
なんだかアンフェールの声が普段より優しく聞こえた。楽しくなって、つい笑みが溢れる。
ふわふわとアルコールで満たされた意識の中、ハルベルたちの座っていた席の方からがたりと音が聞こえた。……どうやらハルベルが席を立ったようだ。
つられて俺も立ち上がろうとしたとき、そのままアンフェールに手を取られる。
「アン――……」
アンフェール、と名前を呼びかけたとき、顎を掴まれ、そのまま俺の顔を隠すように唇を塞がれるのだ。
ほんの一瞬、アンフェールの熱い唇と触れ合う。その熱は唇が離れた直後も残っていた。
「……アンフェール」
「――あいつを追うか、一緒にいた男の同行を探るか。どちらがいい」
顎を掴まれたまま、アンフェールは小さく続けた。その言葉に、俺はすぐに現実へと引き戻される。
ハルベルを追ってきたが、本来はユーノを探るためでもあった。
「……このままで、いい」
アンフェールの視線が僅かに動くのを見た。わかった、と小さく口にするとともに、アンフェールは俺の唇を再度塞いだ。
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