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8:手を繋ぐ客
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占いの料金を一万円に値上げした。そのせいか、値上げした直後から、俺への客足は、それまでとは違ってゆったりとしたモノになっていた。
『……コレ。丁度良いかも』
客足は減ったものの、その分料金を上げているせいで売上も落ちていない。この塩梅で、週末占い師を続けていくのが、俺的には丁度良さそうだ。この調子なら、明日あたりメガネを買いに行く事が出来るかもしれない。
『やっと、買いに行ける……』
今や、俺のメガネは常時鼻眼鏡状態だ。視界の上半分は常にぼやけている。おかげで、仕事でも最近、妙に集中出来ない。
『あぁ、ねむ……』
現在。土曜日の十九時ニ十分。次で最後の予約だ。さて、早いところ終わらせて、帰ってまたゴロゴロしよう。
そんな事を思っていると、早速ブースに人の入ってくる気配がした。
『あ、こんばんは』
『……』
いつものように挨拶をするが、相手からの返事はなかった。しかし、カツカツという音で、相手が此方に近寄ってくるのを感じる。
『あの……ご予約のお客様ですか?』
『ああ』
『あぁ』と静かに返された返事に、俺はホッとした。何も見えていないこのスタイルだと、会話が成り立たなければ何も始まらない。どうやら、男性一人の客のようだ。これは、なかなか珍しい。
『お前は、運命と番わなくても死なないと言ったな』
『え、何の事でしょう?』
まだ、タイマーすら押していない中で、相手が喋り始めてしまった。どうしよう。占いを始めてこんな事は初めてだ。
しかも「運命と番わなくても死なない?」なんだっけ。どこかで聞いた事があるけど、何の話だろう。
『お前、まさか覚えてないのか!』
『あ、えっと……すみません』
『嘘だろ……』
心底信じられないといった様子の相手に、俺は更に焦った。どうやら、前にも俺の占いを受けた事のある客のようだが、どうも思い出せない。いつもなら「あぁ、あの時の!」というノリで、どうにかこうにか乗り切れるのだが……こんな風にド直球に来られたら誤魔化しようがない。
『先週の同じ時間、運命の番の二人組が来ただろう』
『……こ、こ、来られたかも、しれません』
『それすら覚えていないのか!?』
ひっ、すみません!
でも、覚えていないのだから仕方がない。そう、覚えていられるワケがない!俺が一日何人の人間を占っていると思っているんだ!「客」にとっては“その日”の占い師は俺一人だろうが、俺にとっては「客」は大量なのだ。
「客」は個人じゃない、「カテゴリ」なんだ!
『……すみません』
とは、さすがに言えないので、素直に謝る事にした。すると、相手は深く溜息を吐くと、ツラツラと話し始めた。
『先週、土曜日。同じ時間。アルファとオメガの運命の番の二人が来ただろう。結婚前で、相性を占いたいといったオメガに連れられてきた、俺はそのアルファの方だ』
『……は、い』
居たような気がする。気がするけど、一週間も前の客の事だ。ぼんやりしていてハッキリ思い出せない。すると、そんな俺の気持ちが伝わったのだろう。相手の口から『ぐっ、まだか』と悔し気な声が響く。
えっと、この時間。タイマーを押してもいいだろうか。……ダメだろうな。まだ手も繋いでないし。
『俺は、その……態度が悪かった。貴方に対してベータだと下に見るような態度を取った』
『……気にしてませんよ?』
『これでも思い出せないのか……』
『あ、いや……えっと』
別に、態度が悪くても構わない。俺、全然覚えてないし。それに、アルファがベータを下に見るなんて、けっこうよくある事だ。ていうか、今回の占いは前回の件を絶対に思い出さないと進められないのだろうか。
すると、ブースの向こうから『どうすれば……』と呟く困ったような相手の事が聞こえてくる。
うん。どうやら、思い出さないといけないらしい。
『手つなぎさんではなく、目隠しさんの間違いだろ……と、俺は最初にアンタに言った』
『……あ』
なんか、ソレは記憶にある。
------手つなぎさん?目隠しさんの間違いだろ?
------ジル!失礼だって!
『……ジル、さん?』
『っ!そうだ。ジルだ!』
俺の言葉に、それまで不機嫌そうだった相手の声が一気に明るくなる。ついでに、ブースの机の上に相手が乗り出す気配を感じる。なんだろう。見えないけど、目の前に感じる。相手の気配を。
『思い出しました。すみません、ド忘れしてしまって』
『……接客業としてどうかとは思うが、まぁいい』
目の前にあった相手の顔が少し離れていくのを感じる。あぁ、思い出せて良かった。そうでなければ、いつまで経ってもタイマーを押せない所だった。
『今日は、その……占いの予約で間違いなかったですか』
タイマーを手にかけながら尋ねる。思い出したからこそ尋ねずにはいられなかった。
なにせ、このジルという男は、そもそも『占い』なんてモノなど欠片も信じていなかったのだから。
『っは、ベータのお前に占い以外何が出来るというんだ』
『……そうですね。俺には占い以外大した事は出来ません。鉄の凡人なので』
『鉄……いや、そこまでは言ってない』
正直言うと、占いすらできないのだが。微かに戸惑いの色を見せるジルさんに、俺は、早速タイマーに手をかけた。その時だった。
『おい、手』
『え?』
『お前は、手を握って占いをするんじゃないのか。……手繋ぎ占いだろう』
『あ、はい。そうです』
ジルさんから、手について尋ねられた。そういえば、こないだは俺の手の甲に指を添えて占いをされたんだった。
あぁ、なんかやっと色々思い出してきたぞ。実は、さっき『思い出した』なんて口では言ったものの、実は詳細を思い出していなかったのだ。
俺はタイマーを素早く起動させると、机の上に手を置いた。
『俺の手に、指先だけでも良いので触ってください。無理に手を繋がなくて大……』
大丈夫ですので、と言おうとした時だった。俺の手は、ヒンヤリとした大きな手に包み込まれていた。そして、俺の手を掴んで尚、大幅に余った指先が、俺の手の内側へと入り込んでくる。
『これでいいか』
『……は、はい。大丈夫です』
むしろ、ちょっと手繋ぎ過多だ。いや、初めて言った。『手繋ぎ過多』なんて。でも、『過多』と表現したくなる程、ジルさんの手は完全に俺の手をすっぽりと包み込んでしまっていた。こんな風に、しっかりと手を握られたのは……生まれて初めてだ。
なんだろう。なんか、変な感じだ。
『さぁ、俺の“これから”について、お聞かせ願おうか。俺が運命を手放して尚幸せになれるように、アンタには責任を取ってもらう』
『……はい』
何が何だか分からないが、ともかく俺の「占い」を始めなければ。
俺は、目隠しの下で目を瞬かせると「占い」とは名ばかりの、いつものヤツを始めたのであった。
そして、三十分後。
ピピピ、ピピピ。
『っ!……もう時間か。早いな』
『そうですね。あの貴方ならきっと自分で幸せを掴め……』
『延長だ』
『え?』
何だって。何をこの人は言っているんだ?延長?
『延長だ。まだ俺はお前の話に納得していない』
『あ、いや。でも……もう』
いや、納得って何だ。この人は一体占いに何を求めているんだ。言いながら、俺の手を握るジルさんの骨ばった手が、更に俺の手を強く握りしめてくる。
『金は払う。さぁ、講釈を続けろ』
『あ、えっと』
いや、何だ。講釈って。俺は一体何をしているというんだ。講義か。いや、俺は『占い』をしていた筈なのだが。
『……あの、今日はもう、これが最後の枠で』
『金は払うと言っているだろう。延長料は割増か、いくらだ』
『いや、このブースの貸し出し時間も最後で』
『それなら、場所を移せばいい。場所代は俺が払う』
そこまで言われて、俺はずっと握りしめられていた手をスルリと離した。冷たかった彼の手は、今や俺と彼の間で熱を持ち妙に熱くなっていた。
『……ぅあ』
ちょっと、このままではこの熱で押し切られそうな気がする。それは、ダメだ。
『な、納得がいっていないのであれば、また予約をしてください!』
『……予約?』
『そうです。今日はおしまいです!』
まぁ、納得がいっていないのであれば、もう二度と予約をする事などないだろう。俺はテーブルの下で、消えない相手の手の熱さに、自分の右手で手を撫でた。なんだか、ずっと変な感じがする。
『……そうか』
すると、押し黙っていた相手が席を立つ音が聞こえた。もしかしたら、怒ってしまったのかもしれない。でも仕方がない。占いとはそういうモノだ。納得するしないの問題ではない。当てに行くかどうかは『自分次第』でしかない。
『……わかった。また来る』
『へ?』
何か最後にボソリと口にされた言葉に、俺は耳を疑った。いや、何だって。
『……最後に、言う事はないのか』
『え?』
『こないだは、俺を残して色々と言っただろう』
どうやら、前回の占いの最後にやったアレについて言っているらしい。いや、アレは二人組の時に使う手なので、今回は特に言う事はない。なので。
『お、お気を付けてお帰りください?』
『……』
俺はジルさんが居るであろう方向に体を向けつつ、静かに頭を下げた。その直後、小さな溜息と共に、ブースから人が出ていく気配を感じた。そして、最後に俺は一人残された空間で深い溜息をつく。
『はぁぁっ、なんか。ちょっと疲れた』
その日、俺はずっとジルさんに手を握りしめられている感覚が抜けず左手がモヤモヤした。そして、その直後。家に帰り着いた俺は目を見開いた。
『あれ?』
先程まで、まだ余裕のあった翌日の予約が全て埋まってしまっていたのだ。ジルさんの占いの前にチェックした時は、今日と同じ位余裕があったのに。
『明日は、久々のフルかぁ。メガネ、買いに行けなくなった……』
しかし、その時の俺は特に気にしていなかった。メガネはまた来週に行けばいい。
そう、思っていたのだが――。
「来たぞ、昨日の続きを話せ」
「は?」
「まさか、もう忘れたのか。昨日、最後に予約をしていた」
「……ジルさん?」
「そうだ」
さすがに忘れてはいなかったようだな。
そう、どこか得意気な声で口にするジルさんは、次の日の全ての空き枠に予約を突っ込んでいたのだ。
「さぁ、手を出すんだ。手つなぎさん」
「はい」
こうして、毎週末。ジルさんは俺の占い枠を、少しずつ、少しずつ埋めていき。
「……また、フルだ」
今では、朝から晩まで俺の占いブースはジルさんによって占領されていた。俺のメガネは、未だにユルユルのグラグラだ。
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